ブログ「いらけれ」

内側から湧き出る何かとか、もうとっくになくなってますからね。それに、ネヴィルことPACが、ドラゴンゲートに復帰したことも最近知ったくらいの情報弱者だし。何も知らねーな、俺。だからといって、ドラフトでスワローズがクジを外し続けていることについて、書く気にもなれないしなあ。どうなっているんですか、野球の神様!(あれ、訴え出るべきはクジ引きの神様か?)
もう人生が毎日辛くて、起きたことを書くと辛くなってしまうよ。あるいは、毎日「辛い」と書くしかなくなってしまうよ。人生を好転させるためにこそ、僕はサイトのドメインと、サーバーの契約を更新することに決めるけれど、それで、どうなるっていうんだい?結局は、インターネットの海に、マイクロプラスチックのようなゴミを出しているのと変わらない。

とにかく今ネットで流行るものはつまらないと思っているし、世界がどんどんつまらなくなっていると思う。多くの人が、実はそう思っているのではないだろうか。だって、ツイッターに流れてくるあんなの、面白いと思っているの?
おそらく、いま価値を持っているもの、人気になっている物/者は、これからのどこかのタイミングで、無価値になるだろう。だから僕は、地力をつけるように、コツコツと地道に、ものを書いたり、話したりしていくしかないのだ。今はいつか終わる。盛者必衰。
いずれ来る次の時のために、孤島のような場所を確保した。沈没した土地から避難してくる者たちを救うために。

あらゆる可能性が、古い角質のように固まっている。毎日を続けていくように、混雑した道を歩いて、曲がった角に立つ男が、手に持つタブレットでやっている野球ゲームだ。男は、何かを一言二言つぶやいたあとに恐ろしい相貌になって、勢いよく道に投げつけて、それが跳ね返るまでの数秒間。スローモーションのようになって、蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなって、そこには男と、それを見る男だけが残った。これは長い、長い物語の始まり。ある人生の終わり。


Tristan Prettyman – My Oh My (Official Video)

「InterFM897 Music Mix」で流れてきて、自分が好きというより、友人が好きそうだなと思った。それで、そういう感情はいいなと思った。プレゼントを贈るという行為の本質は、誰かのことを思う、考える時間にあるのではないだろうか。あの人がこれを好きそうだとか、だからあげたいだとか、そういう感情の中で生きていたい。

ブログ「いらけれ」

意志することがなければ、人間だって、ただの石と変わらない。

来月の頭あたりに、珍しく、それもどうしてか分からないわけですが、なんとなく流れで、旅行する予定が入っていまして、なので、このブログをお休みするかもしれません、数日間くらい。僕が頑張ることができれば、もしかしたら、お休みしないかもしれません。旅行先は群馬で、もしかしたら皆さんにも、お土産話の一つもできるかもしれません。しないかもしれません。

「みんなコピペライターに対して悪口を言うけれども、コピペライターだって人なんですよ?コピペライターだって傷んですよ!コピペライターの気持ちも考えてください。」というのは冗談で、僕も、僕も含めてなくなって、いなくなってしまえばいいと思ったし、だから辞めた。

仰ぎ見るテレビの中のプロレスラーたちにも、それぞれのリアルライフがあるということを知ったのは、いつのことだっただろうか。幼い僕にとっては、そこで行われていることのすべてがリアルだったし、悪者は悪者で、ヒーローはヒーローだった。その頃とても幸せで、とても熱中していたことを覚えている。
でも、年を取って、純粋さなんてなくして、裏側も知って、それでも彼らを尊敬している今も、そんなに悪くないと思っているよ。大人になったということだろう。でも、大人になっても僕は、まだ子どもでもあるんだよ。だからさロマン、君がヒーローとして戻ってくることを信じているよ。

午前2時の道は真っ暗だった。この先に海があるという情報と、頼りないカーナビだけで、レンタカーは速度を保つ。運転免許証のない僕は、車内の雰囲気作りを役割として引き受けた。初めに話していた話は、すぐにどこかにいってしまった。ただ音として、Bluetoothでipodとつながったスピーカーから流れる曲。イントロ当てクイズが始まった。数時間それだけやっていた。正解数を競うわけでもないし、正解したからといって何があるわけではない。ただ楽しさは充満して僕は、『プレーンソング』のラストを思い出した。何も話していないように僕たちは話していたし、誰が話したことも、誰が話してもよかった。ただ会話があって、空間があった。

頑張って忘れたいことも、でも、忘れようと頑張ることはできないし、忘れようとするときには思い出してしまっているわけだから、記憶は、努力して消せるものではなくて、忘れるべきことでさえも、頭に残り続けてしまう人間というのは、面白い存在だなと思った。

ブログ「いらけれ」

最近は仕事のことばかり考えてしまっている。今の職場をいつ辞めて、辞めるなら何をするというのか、そんなことばかり。人としてダメだから堪え性がないので、それにこのままでは未来が見えないので、新天地を探したい。ここにいたことは、文無しからの緊急避難にはなったわけで、それだけでもよしとしたいところだ。懐に余裕のあるうちに、いろんな企業に応募して、ステップアップ先を探そう。どこがいいかなー。
追記:とりあえず新しいところに応募してみた。会社名だけじゃなく、職種とかも書かないでおくけど。僕は頭がいいからね!恥ずかしい自己PRと志望動機を書いて、その内容も書かないでおくけど、とにかく一歩踏み出してみた。ここですぐに決まるとも思えないが、近いうちに、別のところに移ることになるだろう。どうなるんだろうなー。未来が楽しみだってことにしておく。しておく。

テレビで自動ブレーキの話。それを聞いて、車で崖に突っ込もうにも、速度は出ないし、直前で止まるしってなるんだろうなって思った。誰かの労りのおかげさまで、死ねなくなる社会。そんで、その妄想は飛躍して、僕たちを生かす優しい権力者の作った街が、ビルから人が飛び降りると形をウネッと変えて、下がクッションのようになって、どうやっても死ねないというSFになった。
これはSFで、現実はきっと、そんな大変なことせずに、死にたいと思わないように、脳にアプローチしてくるんじゃないかと思う。薬か電極か、はたまた情報か環境かは分からないけれど。誰もが希死念慮を抱かなくなった世界は、ユートピアなのだろうか。

いつもいなかった誰かみたいだった私が、青梅街道沿いのサイゼリヤで、黙って探していた最後の間違いを見つけたときに兄は、これまでのことを責めるような目でこちらを見ていた。これまでのことを責められていると思ったのは私の勝手だ。ただ団欒の時間に、一言も発さずに、子どもを黙らせるために置かれている間違い探しすることで、子どものように黙った今の数十分に怒っていたのであって、それも分かっていたけれど、まず高校に行かなくなって、家に帰らなくなって、顔を合わせなくなっていたのだから、久しぶりに会う気まずさを思ってほしかったし、なによりも、まずここにいることを祝福してほしかったわけよ、私は。あと、黙るのが長くなってしまったのは、間違い探しが難しすぎるからだし……。

人の一生を左右するドラフト、日付変わって今日のことだね。とても楽しみにしている。別に、誰がチームに来ても応援するし、有力選手の誰がどこに行っても構わない。僕の楽しみ方は、指名された選手の名前で検索して、成績を調べたり、フォームを見たりして、来年を妄想すること。小川の時なんか「かなりいいんじゃね?」って思ってたし、大下も「世評よりはやれそうだけどなあ」って思ってたよ!(後出しじゃんけん)
まあでも、人の仕事場がどこになるかより、自分の仕事場の心配をした方がいいことは、重々承知の助だ。

ブログ「いらけれ」

僕の脳内という「そこ」にある街の、犬一匹の位置を気にするように、あるいは、構築する世界の細部にまでこだわるように、今を文章化するためにある気構えを持って、毎日に立ち向かっていたというのに、それがさっき、突然に、雷に打たれたようにどうでもよくなった。
僕がさっきまでしていたのは、ドミューンを見ることで、それはあの、新宿でしか手に入れることができない、新宿歌舞伎町を舞台に書かれた文学についてで、それはまあ、それとして、とにかく、「菊地成孔の粋な夜電波」が終わるということを知ったからだろう。
想像以上に、精神的な支えになっていたらしい番組の終わり、それも打ち切りということで腰が砕けたようになって、ただただTBSラジオ許すまじという気分にしかならない。編成という、こちらからは見えないところで、何かが起こっているのか?内紛か?政変か?
僕がしたかったのは、僕が面白いと思う好きなものを、僕が経て、僕がなにかを思って、僕が書いて、僕が伝えるという、どのつまりそういうことで、だから、好きなものがなくなってしまえば、僕に書く理由も、動機もなくなってしまうのだし、確実に一歩、僕が書くという行為が、終わりへ近づいたわけだ。

ある時期から、死ぬことばかり考えるようになった。中学校に火を放って、その校舎の中で死ぬという妄想を、いつも寝る前にしていた。死にたさは、年を取ったらなくなるのかと思っていたが、そんなことはなかった。今でも、いつも死ぬことばかり考えているが、死なないでいる理由は増えた。楽しいことが増えたわけではない。楽しいと思うことが、うまくなったのだと思う。

「特別編-対話のボイスメモ2-1」
僕のポッドキャスト「ボイスメモを公開する。」の特別編が公開されました。実は収録したのが10日で、「もうすぐ公開すると思うのでお楽しみに!」と書いたのが13日で、なにやってたんだって話ですけど、むしろなにもしていなかったからこそ、更新されなかったわけですね。はい。
内容についてですが、仕事内容に関する赤裸々な告白という、誰が聞きたいのか分からない話から始まり、最終的には人間という存在の、生の不可思議さについてという、それこそ誰が聞きたいのか分からない話になってますけれども、少なくとも、ラジオを聞き始めた中学生のころの僕が聞きたかったような中身にはなっていると思います。僕は、あの頃の自分のために、あの頃の自分のような人のために、今生きていて、発信をしているというところがあるのでね。
なにはともあれ、50分と少々長くなっておりますが、ぜひに皆さまに聞いていただきたいという宣伝?です。また、この続きの音声が、これから二週にわたって公開されますので、そちらもお楽しみに。