ブログ「いらけれ」

10月になりましたね、2~3日前に。本当に時は早く過ぎる、あんなに楽しみにしていた大谷翔平の今シーズンが、もう最終戦を迎えたように。そんな10月。でも、なんだか暑い日もあったりして、季節もよく分からないし、自分の未来もよく分からないですね。ただ書くために、書くための本をまた読み直したりしているので、もちろんブログも続けますが、ぜひ新しい書く仕事をしたいなって思います。小説やエッセイなど、お仕事お待ちしております。

家を出て歩いていたら、駐車場の車止め、あの車の下に板が上がるやつを、完全にぶっちぎろうとしてウィリーしている車を見た。車は、そうして乗り上げて、抜け出して、走っていった。あの瞬間、暴力性が剥き出しになっていた。感情は、正しくは恐怖か、その光景に身がすくんでいた。何もできなかった。その運転手に対して、運転手のような人に対して、話が通じる気がしないと思ってしまった。とにかく逃げるように、その場から離れた。

金木犀の匂いがする。街中から金木犀の匂いがする。歩いていると、突然その一帯が甘くなるような、あの金木犀の匂いが特別に好きだ。金木犀の匂いを感じると、小学校の校庭の金木犀を思い出す。校庭の金木犀は、片隅の小山の近くに植えられていた。小山は変わっていて、半分くらいのところでぶっつりと切れていて、断面には壁がくっついている。壁は、小山の頂上と同じ高さだから、1mくらいある。壁の下は砂場になっていて、低学年の子どもたちは、休み時間は山の周囲で遊び、帰るときには壁の上から飛び降りる。それが度胸だめしのようになっている。僕はずっと怖くて飛べなくて、壁に沿って小山を下りていた。皆が先に教室に帰っていくその背中を覚えている。その日も、皆が飛び降りていった。僕は小山の上に立っている。


Things – Louis Cole

Things may not work out how you thought

西武新宿駅から遠回りして、サブナードに入って、銀行のATMを使おうと思っていたのに、そのATMをアルソックの人が開けていて、そのATMに付属の電話をかけ始めたりして、それを見ながら、直前まで聞いていた2018年9月29日放送の「菊地成孔の粋な夜電波」で、マック・ミラーに捧げられたこの曲と、その翻訳された歌詞を思い出していた。「物事は思い描いたようにはならない」!!!朝から電車の中で聞いて感動して、そしてこの仕打ち。本当に人生ってやつは。

ブログ「いらけれ」

真夜中まで起きて、明日というか今日、返却しなければならない本を読む。絶対に間に合わなそうだと思いながら。webサカで監督転生を目論んで(監督転生とは:「卑劣な男」)、3時50分に監督を変えて、また本を読み始めたら寝落ちして、起きたら朝8時。「しくじった、馬鹿した」と思ったけど、他のチームに監督を取られてなくてよかった。本はまだ半分も読み終わっていない。

一日の初めには大抵、ブログのアクセス数をチェックする。その時、アクセスがゼロのことはよくあって、それは今日もそうで、あなたは「そんなもんだろう」と思うかもしれないけれど、やっぱりガッカリする。仕事で手を抜いているわけではないけれど、絶対にこちらの方が面白いはずなのに、あちらは金になって、こちらはアクセスがゼロだ。本は6割くらいのところまで来た。こういう人文書に付いた注、参考資料の多さを見てしまうと、僕の文章なんて読まないで、もちろんまとめサイトなんて読まないで、本を読んでくれという気持ちになる。

読んでいたのは『シャーデンフロイデ』という本で、内容がビンビンくる。翻訳が読みにくいところもあるけど、扱われているテーマは完全に興味のど真ん中。今の時代のことを考えると同時に、仕事で誰かのシャーデンフロイデを呼び起こしてしまっているなと反省もするし、自分の過去の恥ずべき感情と行動を思い出すこともあった。本にも書かれているように、キレイな人間なんていないけど、キレイになろうとしない人間は嫌だから(しかし、「公正」、「正義」といった感情もシャーデンフロイデと分かち難く結びついているのだが)。それでノッてきて、本を読み切ってしまう。

台風の大雨が来る前に家を出る。さっきまで止んでいたけど、小雨。録音した「粋な夜電波」を聞きながら歩く。いい調子だ。

図書館で1時間近く悩んでいる間に、ひどい雨になっていて、屋根を叩く音がすごい。目的の何かを借りるのではなく、何を借りたいのかというところから考えている内に、まず自分のことが分からなくなる。あの困惑がたまらない。自分が、何に興味があって、何を知りたくて、何を知るべきなのか。自分探しは図書館でしろ。

アーレントのことを勉強したかったので、とりあえず仲正昌樹の『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』と、船木亨『現代思想史入門』に決める。船木は知らない著者だから、一回調べてしまったよ(調べた結果、「ツイッターで千葉雅也が名前を出したことがあるからいいか」って、それもどうなんだ)。はずれを引きたくないというか、自分じゃ正誤が分からないから外側に頼りたいというか。こういうのがよくないのは分かってるんだがなあ。借用の手続きを終え、帰る頃には雨は弱まっていた。

帰り道には、僕の中にある黄金について考えていた。どれだけくだらないことをやらされていても、どれほどつまらないことをやらされていても、僕が保っていられるのは、僕の中に黄金があるからだ。絵にできないのが惜しいほど、はっきりと見えている黄金の館。いつだって僕の帰るべき場所は脳内にある。いつだってあそこに帰れるんだ。あそこにいれば気分がいいんだ。霧雨のような雨だったけど、普段は水量のほとんどない川には、それなりの水が流れ込んでいた。僕が、この川に飛びこまないでいられるのは、なによりもあの黄金のおかげだ。

家に帰って、風呂に入って、憤っているわけではないけれど、小説家なら何を書いても出版されるのはいいなあって思った。もう、何かを書いて許されるのは、他の分野で何者かである人だけで、それは精神分析医でも、音楽家でも、お笑い芸人でもいいけど。僕が、ものを書くということだけでものを書く人、批評家やライターを尊敬しているのは、そういう後ろ盾なしに書いて、それで認められることのすごさが分かっているからだ。それを分かっていない人ばかりが、もの書きを過剰に馬鹿にする。分かれば馬鹿にできないからさ。でも、僕は小説家になって、何を書いても"エッセイ"とかいって、出版されたい。小説は別に、そんなに書きたくないけど。

ツイッターを見ていると、いろんなイベントや公演が中止になっていく。台風に備えて、電車が早めに運行を終了させるからだそうだ。家でぬくぬくしている僕が、シャーデンフロイデを覚えるかというと、それはどうも微妙だ。なぜなら、「シャーデンフロイデを覚える」っていうことを認めるのが人間には難しいから。それを否定しようとする心の動きがあるから。自分の感情すら、きちんと把握できないなんてね。

西武ライオンズが優勝したらしい。ヤフーニュースで知って、その瞬間は見たかったなって思った。

ついに豪雨となる。with超強風。イヤホンをしているのに、ノイズのように音が入ってくる。窓の外を見る。なんでこんなにも大雨って見ていられるのだろう。水の玉が道路で跳ねる。商店街の旗がちぎれそうだ。目が楽しい。ブログを書き始めたら2000字になってしまった。でも、書かなかったことの方が多い。

ブログ「いらけれ」

朝から停電。困ったかというと自由になった。やることがない、いや、やらなければならないことができない、それが自分のせいではないという、その状況がよかった。スマホで将棋を指したら連勝した。復旧後にも指し続けていたら、連敗した。
停電には、なってみないと分からないことがある。例えば、停電理由が分からない不安とか、復旧しても電話線の方がダメなのか、固定電話やネットがすぐにはつながらなかったりとか。予測することや、準備することも必要だが、分からないと思っておくことの方が、きっと大事だ。

ポッドキャストでBluetoothイヤホンが壊れたって言ったけど、3日くらい時間をおいて、再起動リセットしたら直った。通販で頼んだ2枚のCDは、送料無料のために抱き合わせで買った方は入荷できずにキャンセル、返金されて、本命だった方だけ送料無料で発送された。こう良いことばかり続くので(よ~く見ると、良いことではないのでは…)、勇気を出して、ずっと行ってみたかった参加型イベントに申し込んだ。俺、ルンルンである。

大人なら誰もが最古の記憶を持っている。最古の記憶は、しかし、幼少期に経験したその時に生まれたわけではない。刻み込まれていた出来事は、「ねえ、最初の記憶は何?」などという、つまらない飲み会でされるような問いかけによって、そこで思い出してみることによって、初めて記憶として生成される。記憶は出来事とイコールではない。出来事を材料に作られた生成物なのである。

ヤマテツとマツケン引退か、というのはヤクルトスワローズの選手の話。全盛期は毎日、毎日黙々と投げていた二人。好きな選手だっただけに、悲しい。
「WOWOWぷらすと」が終わりを迎える(ぷらすと自体は、親元を変えて続くとはいえ)。東京ポッド許可局→マキタスポーツ司会だからっていう理由で、初期Ustreamで配信されていたころから見ていたから、やっぱり寂しい。映画を見るようになったのもそうだし、もっと観念的なところで、例えば「父と映画」という回の大谷ノブ彦の話とか、人生にデカい影響を与えた番組だった。エンターテイメントを語る、語ってもいいんだという構えを作ってもらったと思うし、僕がブログとかポッドキャストを始めたキッカケにもなったと思うし。いつか出演したいと思っていたのにな。
これはもう終わってしまっていたものの話。「ファミ通WaveDVD」関係者の同窓会的なものが開かれていたらしいとTwitterで見た。「ファミ通WaveDVD」は僕の青春だった。○○タイムの催眠術の回は何度も見た。売れる前の星野源を初めて見た。ポッドキャストも楽しみだった。
終わってしまったものは終わってしまった。新しいものを見つけろっていうのはもっともだ。でも僕は、そんな訳知り顔はしない。終わってしまったものが、新しいものより大事なんだ。僕は、終わってしまった過去を生きる。