ブログ「いらけれ」

日々の研究の結果、ポケモンGOで駅前や公園に集まる人たち(「無言の大人たちが公園の一角を占拠しているのは、子供の教育上よくない!」というのは冗談です)の、その距離感と銘々の向きが、いつも遠くから見ている、駅前などの喫煙所に集う人たちと、まったく同じであることが分かった。
ゲームでも、たばこでも同じ。同じ目的を持って集まっているわけだが、それぞれが単独で物事を行えるので、お互いを意識しつつも、お互いが関わるわけではないが、そこにいなければならないため、一つの群を形成する人々だ。
あるポイントから離れられないが、他者がいるため、近すぎないように、向き合わないように図っている彼らの、その立ち方の研究をしたら面白いんじゃないか。もうすでに、どこかで調べられているのかもしれないけれど。

WWEが、サウジアラビアで開催する予定だった大会「クラウン・ジュエル」が今、開催の危機だという。「プロレスを見れば、世界が分かる」というのが僕の持論なわけだけど、マジでサウジアラビアが、それとアメリカの関係が、こんな風になってしまうなんてなあ。それもこの時期に。別の場所でっていう説もあるみたいだけど、どうなるんでしょうか。要注目。

あるとき誰かが思ってしまった。それが風邪のように、ゆっくりとその人から伝わっていって、周りの人々を変え、果ては日本中の意識を変えてしまった。
少し前に、この保育園の前を通ったときには、大声の子どもたちと同じか、それ以上の大きさで叱る大人の声が聞こえたものだ。しかし今では、それなりに年を取った人々は、声を荒げることも、もっと言ってしまえば、ちょっぴり大きな声を出すこともない。つまり、声が大きいということが、子供っぽいというように、価値観が変わってしまったのだ。
人々がささやくようになって、怒るとしても、パントマイムのように怒るようになって、アイコンタクトのために見つめ合うようになった。誰もが近づいて、顔を寄せ合っていたけれど、だからといって、世の中がよくなるということはなかった。小声で、顔を寄せ合って、誰かの悪口を言い、悪巧みをしただけだったから。

日めくりの孤独について。いつだって、それなりに面白いつもりなのに。それなりにだぜ、それなりにだけど。でも、この世界には、それなりにも面白くないものも多いし、そもそも、書かなければ何もないのだ。だって、僕が何もしなければ、本当に何もないのですよ?いいんですか?だからさ。

ブログ「いらけれ」

わざわざここにきて、時間を使って読んでくれた人に、ありがとうってどうやって言うの?書かれていなくても、ずっと感謝しているよ。もう二度と読まない人に、もう何かを言うことはできない。だから、今のうちに感謝を。「僕らに拍手を みんなにも拍手を」@『ライフワーク』peridots

返却期限を延長したとはいえ、読まなければ読み終わらない『現代思想史入門』は、非常に面白いのだが。面白いと言いつつ500分の100ページしか読んでいないのだが。
「あなたを健康にします」という権力に対して、どのように考えるべきかという議論が、投げかけるものはとても大きい。ちょうど千葉雅也が、その関連のことをつぶやいていて、タイムリーだった。

職場で先輩が怒られていても、何も思わないようにした。一ミリも未来は見えないけれど、10年たったら、なんとかなっているだろうという、そういう楽観主義。ここは最後の場所ではないし、僕には未来があるし、なんていったって筆が、剣よりも強いペンがあるのだから。

アルバイト情報を見てイライラしながら(平日のみ週3日からという募集多すぎ。みんなそれだったら、平日は5日しかないんだから、一つのバイトで3日働いたら掛け持ちできないやんけ。採用担当者って、みんな頭弱いんですか?)、やはり街へ出て仕事を探すべきなのであるとか思って、キッチンで豆を炒っていた。ミックスナッツチャレンジ(通称:MNC)はずっと開催中で、ごま油かけたり、よく分からない中華のスパイスを買ってきてかけたり、七味をかけたり、コショウをかけたりしていたのだが、今日は!思い切って!フライパンで炒めてみることにして、ポッドキャストで「マキタスポーツ食道」を、本放送ではカットされた部分があるというので聞いていたら、納豆チャーハンの作り方を語っていて、そのなかで、またごま油の話していて笑った。マキタスポーツはごま油ラバーだなあ、などと僕もフライパンにごま油を入れていた。肝心のナッツの味は、焦げていて、脂っこくて、でも、豆があったかいだけでおいしいかった。


『恋は桃色』細野晴臣

好きな曲が結構あって、で、それを紹介できて、spotifyは便利。ありがとう、現代の文明。最初にこの曲を聞いたのは、中村一義のカバーだったなあ。「ここがどこなのかどうでもいいことさ」!僕の友達たちに聞かせたいと思ったから、僕の友達たちよ、聞いてくれ。

ブログ「いらけれ」

友人と飲んでいたら「前に連れていってもらった落語(主に柳亭小痴楽のまくらのハチャメチャさ)が面白かった」という話になって、それまでいろいろなイベント(主にテニス)をおごってもらっていたので、こちらのおごりで久しぶりに一緒に渋谷らくご行こうかってなった。

僕は、この会に第一回から通っていたのだが、今年の一月にインフルエンザにかかって行けず、それから足が遠のいていた。仕事してなかったから、お金もなかったしね。この回になったのは、スケジュールの都合が大きかったのだが、なかなかに通好みなメンバーだなと思った。

待ち合わせに少し友人が遅れたこともあって、会の前に飯食い行こうってなってたんだけど、結構ギリギリに。30分前、店も見つからず焦りながら、なんとなくメイン通りから道を一本入ってみたところ、なにやらよさげな店を発見。滑り込んだ。

「松濤カフェ」という名前のお店で食べたハンバーガーは、めちゃくちゃうまかった。来た瞬間、青ざめるほどデカくて、しかも気さくなマスターにだいぶオマケしてもらったみたいで、友達の頼んだパンに肉を挟んだもの(名称失念)もデカさがヤバくて、二人で言葉を失っていたのだが(これ食べきれるのかな……)。

気付いたら、口の周りベトベトにしながら10分で食べ終わっていた(この時点で開演10分前、ユーロへ向かい、トイレ行って席に着いたらぴったりだった)。友人も「渋谷に来たらまた来よう」と言っていたが、本当にオススメだし、僕はサービスしていただいた手前、みなさんにも行ってほしいと宣伝する。ユーロスペースを出て左、交差点を突っ切って真っ直ぐ歩くと、左手にありますので。

で、終わってから喫茶店に感想戦をしに行ったんだけど、「まだお腹いっぱいだね~」っていう話で盛り上がってしまった。そんで、よもやま話してたんだけど、最終的には、来月も来よう(そして12月の「しゃべっちゃいなよ」は絶対行こう)という話になってよかった。

……落語の感想は!?

志ら乃師匠。おもろいわ~、というか、ずるいわ~。キラーフレーズとパワーワード連発(ゾンビあ~!)だわ、まくらでの前フリを回収するわで。友達と後で話したときも、一番盛り上がったな。

圓太郎師匠。小言を言う姿が似合いすぎ!っていうかまくらでも小言を言ってたし。圓太郎師匠の小言をずっと聞いていたい。自分に向けては言われたくないけれども(笑)

音助さん。うまいわ~、これで二つ目?って思ってしまった。これから、もっとはじけていったら、将来すごい人になるかも。

扇遊師匠。扇遊師匠~!!明烏~!あ・け・が・ら・す~!ふぉー!ありがとー!本当に扇遊師匠は、出てくるだけで、ニコニコしているだけで雰囲気が変わるよなあ。その場の支配力たるや。僕はいつもライオンを思うんだけど、人としての圧倒的な強さを感じる。扇遊師匠、強いわ~。言葉にはできない、幸せな30分の体験だった。ありがとー!

……と、いうことで、また来月にお会いしましょう。(いや、楽しかったから、他の落語会にも行くかもねー)

ブログ「いらけれ」

クライマックスシリーズの初戦にヤクルトスワローズが負けて、心がやられてお腹が痛くなっていたのだが、クライマックスシリーズでノーヒットノーランってなんやねん。この試合じゃなくてもいいだろー!!ままま、まー、運もない感じだったし、相手チームに監督解任による士気の高揚があったみたいだし、しょうがないと思っているんだけどね。
考えてみれば、期待の若手がたくさん出てきたわけで、それで2位だったわけで、これからドラフトもあるわけで、なにより去年は96敗だったわけで。来年は厳しいかもしれないが、3年以内に優勝できるような気がするような、そんな戦いぶりを見せてくれただけで、それだけで満足だって、ちょっと訓練されたスワローズファンすぎる気もするけれど。また来年も、応援しますよ。

そういえばこの前飲んだのだった、久しぶりの友人と。最近できた、看板の無い飲み屋に行ってみない?ということで、連れて行ってみたのだった。おすすめだというワインは飲みやすく、創作料理っぽいもの、チーズのジャム漬けとかはおいしかったんだけど、メインであるはずの串焼きは焦げていて、冷めていて、あるものは生っぽくて、あるものは硬くなっていて、正直まずかったので、あれを頼んだのは失敗だったな。

それで、二軒目に行ったときに、友人がある女の子を呼んで、それがすごい人だった。詳細には書けないけれど、タレントになってクイズ番組に出たら売れそうな人だった。
それで、一般的には馬鹿にされがちであろうその女の子から、男がよく使う性的にどぎつい言葉が出てきて、会話のオペレーションの中では笑い話になって処理されていたけれど、少し暗い気持ちになった。内容も、性的な欲望の対象としてだけ、見られるのが嫌だという話だったし。大変なんだなあって思った。自分は、そういうことに関わりのない人生だったから、どうにも分からないところがある。悪意のない人だったので、幸せに暮らしていってほしいなと思った。
また会いましょうと言って別れた、それが実現することはあるのだろうか?

こんな文章が、誰かに届くはずがなかった。そんなことは知っていた。だが事実が、どんどん心を腐らせていく。ひどく世間に対する不満。世界に開いた井戸の底から上を見ている感覚。声は空間に響いて、ひとつも聞かれない。
いつも忘れてしまうけれど、だから、ここから始まるんだ。腐った者が何を書くのか、ということから始まるんだ。そうやって腐りながら書く。腐っていることも、晒しながら。