ブログ「いらけれ」

今日は、先日公開いたしました「特別編-対話のボイスメモ#1:ボイスメモを公開する。」の、放送後記的なものを書きたいと思います。(もちろん、ポッドキャストの宣伝でもあります。)
まだお聞きでない方にはぜひ、これを機会に聞いていただきたいです。

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席について、とりあえず間を持たすために頼んだコーヒーゼリーと、飲み物のコーラのマッチングが微妙だったことを後悔しながら、お相手のとびお氏とポッドキャストについて話していたら、ちょっとずつエンジンが掛かっていった感じ。(コーラは、氷の入ったコップと別に、ビンで出てきてビックリしました。)

『美しい顔』問題について。
話の流れ的に、かなり周辺的なというか、それを批評する人々について語っていましたが、もちろん僕の興味の中心は、実在の人の〈声〉を、フィクションの中に取り込むことの是非です。石原慎太郎の『天才』が、故人を題材としていながら、おとがめなしなのはなぜか、とか考えていくと、表象=代弁の行為の中でも、問題になる、問題を含むものと、そうでないものがあって、難しいですね。僕は、誰かの代弁をするならば、そのまま取り込むのではなくて、自分をその誰かの立場まで追い込んで新しい言葉を書くような、そういう態度でいたいし、そういうものが読みたいなと思います。

現状への不満について。
この「何でこういう本や記事がないの?」的な感じは、荻上チキさんも言っていました(「セッション22 2018年7月13日(金)の番組オープニングトーク」)。面白い人、もの、ことはたくさんあるのに、それがつながっていないのが「もったいない」と思う、これも編集者的に偏った視点なのかもしれませんね。

透明な私→愛→口出し→意識高い系問題について。
結局、何を読んでも、何をやっても、実はその人の振る舞いの「感じの良さ」が問われている面はあって、その属人的なところから離れられないのならば、戦略的に、なるべく育ちの悪さを隠して品よくいるしかないなと思うと同時に、しかし、読み手としては、あまり人に引っ張られず、文章をちゃんと読まないとなあとも思いました。

『HINOMARU』問題について。
愛国VSリベラル的な、ある種のイデオロギー対立に矮小化されていく雰囲気はあって、それは違うかなと。僕はずっと、ライブでの言動も含めて表現として拙いことが嫌だと思っていて、もうちょっと表現として頑張ろうと言いたくて。まあ、矮小化されやすい批判的言説の内実の多様さ(=一様じゃなさ)を示せたことは良かったかなと思います。

次回予告
政治の話にからめて、最近の風潮について
「遊び心論」について
現代の思想・哲学の潮流から、思想的な興味について
バカが芸術をやるべき理由について

実は、この先の方が面白くなっておりますので、お楽しみに!