ブログ「いらけれ」

「パニック障害文学」ってえのはアリだなって、「KPD」を書いて、そして、それを読み返してみて思う。パーソナルなことだし、今までは書いてこなかったんだけど。「これこそが新しい表現だ」なんて、これっぽちも思っていない、また、同じ病を抱える人に何かを伝えたいわけでもない。ただ、現実のように書くのは難しく、書き手として問われるものが多かったから。難しい題材を書くことでしか成長できないし、勉強になりましたって感じだ。
基本的に病とは辛いもので、それは僕にしたってそうで、悩んでいた時期もあったし、苦い思い出もあるけど、でも、悩んだり向き合ったりしてもしょうがないのだ(もちろん、その悩みに意味がないとは言わない。その先へ行くためには、必要なプロセスだ)。あまりに偶然に、無意味に降りかかる病と、それに苦しむ自分を見つめること、それを受け止めて言葉にしていくことぐらいしか、僕にはできない。
あれを読む人の息が、読み進めるに従って荒くなっていたらいいなって、すごい意地悪みたいだけど笑、身体が反応するくらいに、その"感じ"が伝わればと思うし、そう書けるようにもっと精進しなければなと思った。

久しぶりに夜に眠った。「バシンッ」という音で起きた。深夜4時に、ポスターが剥がれ落ちていた。「はがせるポスター用タブ」という100均で買ったテープで、ドアの近くの壁の際に貼っていたのだが、側を通るときに何度か引っかけて、片側を剥がしてしまっていた。寝ている間に、剥がれやすくなっていた片側が勝手に剥がれて、その重みで落ちたようだった。今、つまらないと思ったあなたは、ブログに何を期待しているのだろうか。それが私には、さっぱり分からなかった。
残っていたテープで貼り直し、そして、開けていなかった段ボールから、丸まって入っていたポスターを取り出した。これが届いたのは二月ごろだったか。そのころに僕は精神の冬を迎えて、何もできなかったんだったな。こんな機会でもないと、もう一生表に出さないだろうと思ったから、四隅にテープを貼って、放置していた二枚の内、一枚を壁に貼ったところでテープがなくなった。お店に買いに行かなければならない。
何ヶ月も丸めていたポスターは意思を持っている。貼ったそばから剥がれようとミシミシいっていた。そして突然、「バッ」と片側が剥がれて、クルクルと丸まったりするたびに、手で丁寧に押さえて、壁に付け直していた。少しリビングに行って、ご飯を食べて部屋に戻ると、床に落ちて丸くなっていた。物質は志向性を持っていた。その意志力には見習うべきところがあった。感心している場合じゃなかった。根本的な解決のために、紙を伸ばして重しを置くしかなかった。
出かけるのが早すぎた。あの暑さの中で時間をつぶしてしまったのは失敗だった。テープを買えたのはよかったけど、スーパーとの温度差にやられた。また、上の階のお店が開くまで待っていた普段じっくり見ないフロアで、理想的な帽子が、この前買ったものより1000円以上安い価格で売られていたのを知ってしまったのもショックだった。なんだかぐったりしてしまって、ぼんやりしたり、居眠りしたりしながら日中を過ごした。
夜に、ある競技の大きな勝負があって、「無冠の帝王」と呼ばれていた人が、やっと称号を得ることになった。喜びは控えめだったが、今の気持ちを聞く記者からの質問に、同世代の活躍に焦りを覚えた時期のこと、もう無理かもしれないと思った時期のことを話していて、その秘められた内側にある思いを想像させられた。そのドラマを理解できるほどに、それを見てきたことが嬉しかった。感動して元気が出た。

そして、こうして文章を書いている。僕は、内容より表現の方に興味が行っている。中身がなくても読めるものが書きたいと思う。情報とか本当に下らないと思う。人間は、情報があっても死ぬときは死ぬ。情報では豊かにはなれない。芸術があれば死は、どうでもよくなる。

西友で流れてきて、気になったので録音して、家帰ってから聞き取れた歌詞で検索しても分からず(大幅に間違っていた。リスニング力がなさすぎる)、shazamをダウンロードして、スマホのスピーカーから録音したそれを流して検索して、判明したのがこの曲だ!

Lisa Hannigan-「Passenger」