これだけコンテンツが溢れている現在、自分が読むものだってそうだが、読まれるためには権威になるしかないと思った。大学の先生が書いているから読むとか、そういうことしかないでしょう。僕は権威じゃないから、現状厳しい。なにかしらの方法で、読む動機としての権威付けをしなければならないが。
今のインターネットの人気コンテンツはコミュニケーションそれ自体であって、夢のインターネットはなくて、とにかく現実で周辺にいるような人、アウトサイダーには向かないもので、アウトサイダーの不遇感や憎悪を増幅しているだけになってしまっていて、それに対して、アウトサイダーを煽らないようにテクノロジーで手当てする方法もあるのだけど(ニコニコ動画の、みんなからNGにされたユーザーの発言は、そのユーザーは気付かないが誰にも表示されなくなっている、とか)、それは然るべき人がなんとかすればいい問題だ。
僕は、僕の仲間たちに言いたい。インターネットコミュニケーションなどせず、ただ表現に向かえ!と。歴史が証明するように、評価されるということはアクシデントでしかないのだから、どうでもよくって、とにかく部屋に籠って、石を拾って、作るような行為がそこにあればいいのだ。
だから僕は、アピールも権威付けもしないし、コミュニケーションもしないよ。書くのみだ。
芸術の再現不可能性。素晴らしい芸術を、批評的にリバースエンジニアリングし、完璧に分析、解析したところで、同じように素晴らしいものを作れるわけではない。それは、分析しきれない成分が必ず混入しているということでもあるし、分析と制作がそのままつながらないという芸術の特性にもよるだろう。
また、素晴らしい芸術作品を作った当人にも再現は不可能で、これでこうやってこうなったのだから、同じような手法で次を作れば、同じように素晴らしいものになるだろう、ということが通用しない。それは、ある手法にはある表現しか合わないということだろう。だから新しいものを作るときは、手法そのものを発明する必要があるということだ。
もちろん分析も手法の知識も無駄ではなくて、それは、いつかのどこかで新しいものに"化ける"。あるいは化ける栄養になるように、堆積させておくこと。そして作れ、心と体と頭を総動員して。
今一番読みたい本がこれ。先崎九段が将棋の解説のとき「こんどの本はヘビーな内容」って言っていて気になっていたけど、「うつ」だったのですね。
僕は「うつ」と診断されたことはないけど、違う病に、もう苦しんでいるってほどじゃないけど、かかっていて、病気に対して、やはり社会の無理解というものがあり、それには苦い思いもしたから、だからこういう本を出版する勇気は、やはりすごいと思う。
「うつ」には、書くことで治していくやり方もあるらしくて、この本も、もとはそういう側面から書かれたのかもしれないけど、とにかく、僕も「うつ」に関しては知らないことも多いから、勉強の意味でも読んでみたいし、そもそも先崎九段の本だから面白いだろうという信頼感もあって読んでみたいと思った。
スワローズのサヨナラ勝ち(山田哲人のホームランを見て「ぴゃー」と叫ぶ)を見て、いい気分で日本代表のポーランド戦の観戦へ。
前半、コンディションも考慮したのだろうが、選手を変えてバランスを崩した日本と、プレーの強度が弱くワンチャン狙いしか攻め手のないポーランドという感じで、両者良くない試合をしていた。
後半、「一発が怖いな」と思っていたら点を取られた。「ダメか……」ってなってたけど、コロンビアが点を取ってくれて、負け抜けの線(フェアプレイポイント!!)も出てきた。そして、日本は負けていながら守り、時間を潰すという選択肢を選ぶ。セネガルが負けて(コロンビア様!!)、日本は決勝トーナメントに辛うじて進出することになったのだった。
負けながらにして攻めないという選択は、よかったのか悪かったのか、いろいろ意見はあるかと思うけど、こういう状況を経験していくことが未来につながるのだろうし、これをどう思うのか、あれを良しとするのか否かを議論していくことが「日本らしいサッカー」の日本らしいとは何かを決めていくのだろうし、とにかくいいものを見たと思ったよ。
僕のポッドキャストが更新されました。「2018/07/02 今日のボイスメモ」
ここで「作品にまつわる全てのエピソードが公開されるべき」ということを語っているわけだが、これを聞きながら、昔「僕とTWICE」でアンチ裏話(というかアンチ噂話)という態度を書いたことを思い出し、僕は変節したのか、あるいは噂話と当事者の語りは別なのか、自分でも整理はついておらず、皆さんがそれは好きにとらえてもらっていいけど、とにかく、まず聞いてほしい。