ブログ「いらけれ」

2019年5月は、忘れらんねえだろうな。あなたは6月か、もっと先の地点から、過去の記録を読んでいる未来人だ。未来人のあなたならご存じの通り、試合に負け続けている東京ヤクルトスワローズは、チームワースト記録でありセリーグ記録である16連敗まで、あと1に迫っているはずだ(と書くと、それがまだ先のことだった頃に書かれたようだが、これを書いている僕は、実は5月31日の22時にいる)。

時は、5月28日にまで遡る。ファミリーマートにいた僕は、証明写真の印刷を試していた。証明写真機で撮影したデータを、スマホにダウンロードして再コピーできる「Withスマホ」というサービスを使っていたのだが、機種変更した際のデータ移行手段がなく、「困ったもんだなー」と思っていたが、検索の末、コンビニのコピー機で証明写真を印刷できると知り、アルバムに残っていた画像データを使った。
出来上がった写真が、コピー機から出てきた。大丈夫そうな仕上がりだ。これからは、コンビニプリントを使おう。しかしこれは本題ではない。待ち時間の暇つぶしであり、神宮球場で行われるヤクルト-広島戦のチケットを持っている友人は、少し遅れて来た。

仕事が忙しいという友人と、まったく忙しくしていない僕が他愛もない話をしているうちに信濃町駅に着いて、あの歩道橋を渡って少し歩くと、すでに試合の始まっていた神宮球場の方から、大きな歓声が聞こえる。ヤクルトファンでも、広島ファンでもない彼には分からなかったようだが、僕にはそれが、ヤクルトの応援でないことがすぐに分かった。球場に着くまで、試合経過を確認することはなかった。手荷物チェックを受けて中に入り、席へつながる階段を上る前に、高い場所に設置されているモニターでスコアを確認した。1-1だった。ピッチャー陣が、開始早々から試合を壊していないことに安心する。売店でカレーを買って、ベンチの上あたり、通路が前にある非常に良い席に座った。試合は、すぐに壊れていくこととなる。

あの歓声を生んだヒットのランナーを、確実に点数へとつなげていった広島は、その回と、まるでリプレイのようだった次の回の攻撃で、3点ずつを奪い、あっという間に6点差になった。満塁のピンチで出てきた久保は、初登板ながら落ち着いたピッチングを見せ、なんとか回が終わった。このことを一人喜んでいた僕は、それだけで満足していた。そして、そもそも両方の球団に興味のない彼との会話は、当然のように、いつ帰るかというものになっていた。もう少し点差が離れたら……と言った直後、目の前に大きな放物線。山田のホームランだ。

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元WWE王者モスクリーがAEWと複数年契約を発表
噂はあったとはいえ、AEWすごいなあ。本当に地殻変動が起きているのですね。と思っていたら!
アンブローズが電撃参戦表明 6・5新日本両国大会
「激熱」ってこういう時に使うんだろうなあ。マジで変革が起きつつあるこの凄さが、プロレスを知らない人にどれくらい伝わるのか、それどころか、プロレスのファンやマニアと言えるレベルにない僕自身がどれほど分かっているのか。素晴らしくイカレた、強烈に面白い世界が、今そこにあることだけが分かっていて、僕は、ああちゃんと追いかけなきゃなあと思う。

人生には、絶対にひどいことが起こる。みんな、いつか死ぬんだし。だから、それは確率的な出来事で、仕方がないよねって言って、心から納得できる人が、この世に何人いるというのか。というのが、僕が一貫して考えているテーマ。同じことにばかり悩んでいるから、同じ話ばかりしてしまう。

U-NEXTの株価が上がっていて、「もしや」と思ったら、やっぱり「Mリーグ」2019シーズンについて、概要が発表がされていた。関係あるのかは分かんないけど。僕は、「Mリーグ」によって株価が上がるのではないかとウォッチしていたので、読みが当たった形だが、残念ながら、予想しても買わなければ、お金が儲かることはない。さらに上がることを見越して、株買うか?貯金があるから、戯れに買ってもいいけどね。そんなことより、「Mリーグ」の開幕が待ちきれない。早く始まって欲しい。楽しく生きています。

レオナルド・ダ・ヴィンチについてのドキュメンタリーをやっていたテレビ。科学的な分析の結果、二つの肖像画に描かれた顔が、同一人物のものであると特定できたと言っていた。僕が何も言わずとも、このことの怖さが分かってくれる人とだけ話したい。
サイコパスという言葉の濫用が表すように、人々の他者に対するイメージは変化していて、現代は人狼ゲームのようになった。人狼化するポストモダン。自分と隣り合わせた表面的にはにこやかな誰かの中に、理解の及ばない異常が隠れているという恐れ。恐れから選ばれる相互監視。

例えば、僕が生きてしまったがために、どこかの国で搾取される誰かや、多大なストレスを感じる人がいて、それによって、「年平均5人が亡くなっていると試算されます」と告げられたら僕は、1人で死ななければならないのだろうか。こういうのって、なんて言うんだろうか。想像力、いや妄想?

(僕が生きたことによって、あなたのおかげで、年平均5人の命が救われましたって、そんな人生であってほしいものだ)

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ワクワクするような予定ではなかった。1000円カットの店(今は値上げして1200円だけど)は、平日の昼間(午後1時)にもかかわらず、とても混んでいた。隣駅まで歩いて、別の店へ向かう途中には、平日カット690円という店もあって、それは流石に勇気が出なくて入れなかったのだが、検索してみたら、激安カットのチェーン店として有名らしいので、今度はそこで切ってもらおう。なんせ、何のこだわりもないのだから。しかし、これから切ってくれる店員さんに「何のこだわりもないので、とにかく短く……」と言ったのは、あまりに失礼だった気がする。うだるような暑さでかいた汗を、持っていたハンドタオルで拭うという気づかいまでは、ちゃんとできていたのに。
あと、僕が入ったときは待っている人がいなくて、座って待っている間に、後から二人入ってきたので、タイミングばっちりだったわけだが、そのうちの一人のおじさんが、その店のシステムを知らないで、券売機で券を買ってなくて、僕は一応、手に券を持ってますよ感をアピールしていたのだが動かなくて、僕が呼ばれて髪を切られているときに、案の定、次の人に順番を抜かれていた。僕は、おじさんに「券を買いましょう」って声をかけるべきだったのかなあ、人情的に。でも、他人の間違いを指摘するのは、とても難しいよ。プライドの高い人で、何か言われたら嫌だし。髪型は、まあ、僕は僕です。

何かに待たされている時間は、自分が所有しているはずのものが、誰かのものになる。しかし、その逆もまた真なりで、誰かのものでありながら、動かしようもなく自分の人生だ。共同所有されたある時間は、二者の間で宙吊りにされながら、蠟燭の蝋のように、ただ溶けていく。

それで僕は、履歴書を印刷するためにコンビニに行った。それと、今やっている仕事の資料として、webページをPDFファイルにして持って行った。大層な量だ。時間のかかる作業を、人の出入りする入口近くでやるのはなんか辛いな、と思ったので、歩き回ってよさそうなコンビニを探してしまった。15分ぐらい歩いた先の駅の、駅前のコンビニには、窓際に休憩スペースが広く取ってあるということを、初めて入ったから初めて知った。サラリーマンが二人、お互い端の席に座って、食事をしていた。その奥の隅に、プリンターがあった。ここならば、人が後ろを通ることがないので邪魔にもならないし、人目に付く場所でもない。
印刷を始めてから終わるまで、誰か順番待ちしていないかと気にかけながら(待っていたら、一旦譲るつもりだった)、7~8分はかかった。あと、400円ぐらいかかって、小銭入れがすっきりした。約40枚の紙束は分厚く、すべてをまとめて入れたクリアファイルを押し退ける存在感だった。
最後に一回り、店内を物色していたら、店員がキャンペーンと書かれたプラスチックの板を団扇にしながら歩いていき、レジ前につながる小さな扉を蹴って開けた。僕は、印刷以外でこのコンビニを使うことはないだろうな、少なくとも一年ぐらいは、と思った。

ブログ「いらけれ」

『瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法』を読んでいたら、「ウルチマ・ラチオ」という言葉が出てきて、これは、ラテン語で「最後の手段」という意味らしいのだが、そんなことはどうでもよくて、もし僕が新たにラジオを始めるとしたら、「ウルチマ・ラジオ」ってタイトルがいいなと思ったという話。

人生のティップスを一つ。突然思いついて、急にやる気を出して、一日に4社の求人に応募してはいけない。返事が大変。返事が来た3社がすべて同じ日に、10時・12時・14時という感じに面接をすることになってしまって大変。履歴書を用意するのが大変。あと、覚えておくのが大変。忘れそう。
そんなこんなで、日曜日に1000円カット的なところへ行ったのだが、めちゃくちゃ混んでいて、ぎゃひーんってなってやめる。せっかく平日に働いていないのだから、平日に髪を切るべきなのだ、僕は。髪を切って、ビールでも飲むのがいいだろう、平日の昼間はね。早くさっぱりしたいものだ。

街の変化に敏感になるまでもなく、きな臭い商売をしている場所が増えてきたなと思う。商店街のゲームセンターの二階の扉には、「プライムショップ」と書かれており、下にチラシが貼り出されていて、おそらく催眠商法が行われているのだろう、老人たちが出入りする様子を、信号待ちをしながらよく見ていたものだったが、すぐになくなったかと思えば、今日また健康食品云々という幟が立っていた。同じ通りにも、別の商店街にも、同じように老人を集めてセミナーを開き、健康食品や健康器具を売るショーバイ(商売とは書きたくないものだ)をしているらしきところがある。いや正確には、あったと思ったらなくなって、なくなったと思ったらまたできている。リスクを回避しながら金を巻き上げる、あまりにも資本主義に適った人たち。彼らのような人間ではなくて、心底良かったと思う。

「So!スポ」を見ていたことによって、おすすめにNBAの動画が表示されていたから、気まぐれ再生してみた。その動画では戦術解説をしていて、これが超面白い。実際のバスケの試合を見ていても、スピードが速くて目まぐるしいから、よく分かっていなかったんだけど、つまりは人の問題と空間の問題であって、サッカーにも通じるところが多いのだなあと思った。それからというもの、ウイニングイレブンをしながら動画のことを思い出して、バスケ用語であるスクリーンなどを意識して選手とボールを動かすようになった。僕は、これで上手くなっているのか、強くなったのか、今一つ分からないままに、サッカーゲームをやりながら、脳内ではバスケをイメージしていた。