ブログ「いらけれ」

それまでに思ったことが、考えていたことが、膨張する宇宙の、移動を続ける地球の、上に立つ僕の頭のなかで、LIBRO「胎動」によって一気に収れんする。ツイッターに溢れるどんな言葉よりも、この曲が必要だったんだ。

寒さに震える誰かの胸は 世界の憂いを教えてくれた
乾いた貧しすぎる気持ちや 軽すぎる投げやりな命

平日の街の昼下がり、ポスティングに勤しむおばさんと、犬を散歩させるおじさんしかいない僕の世界は開かれている。僕の世界が、僕に向かって開かれているのは、偶然と幸運のおかげだ。僕が引きこもり引きこもり、青春時代のほとんどを捧げ、底なし沼の底で息もできずに、鍵のない部屋からの脱出ゲームでクリアを諦めていたあの部屋は、今これを書いているここだ。同じ壁に囲まれているのに、まったく別物のようになった。
“乾いた貧しい気持ち"を持った誰かを見て、その人の中に悪魔を見るのではなく、"世界の憂い"に思い至るようになったのは、僕がその誰かで、誰かが僕だったかもしれないと、僕の中に誰かを、誰かの中に僕を見るからだ。
他人の痛みを勝手に受け取り、勝手に憐れに思うことが正しいと、そう思っているわけではない。その苦しみは、いつまでも僕の中にしかないもので、あの悲しみを、かの怒りを生み出した呪われた世界を、僕なりの方法で裂くためにだけ、僕は生きているというだけの話である。

新しいあなたらしい道を探し 手に入れろ生きる証

思っていたのと違う。とはいえ、あの頃の理想とも、今の理想とも僕は違って、どれだけかっこいいことを言っていても、このように僕だ。くだらない面接を受けて、嘘を言ったり、大きなことを言ったりして、空虚を抱えて歩いている。自分を裏切り続けている。他人の前に、まずは己をなんとかしなければならないということを、曲のなかに見つける。今っぽく言えば"刺さる"。音楽が好きとか嘘だ。僕が音楽のことを好きだと言ったら、嘘だと思ってもらって構わない。どこまで行っても、僕は言葉の世界の住人で、歌詞に感動しているだけなのだろうと思う。新しく踏み出したこの道は、僕らしいのか?生きる証を手に入れることができるのか?そんなことばかり考えてもいられない。急な発作や思いがけない事故で、突然の宇宙人襲来で死んでしまう前に……。


不意に最終回感が出てしまう。本当のことを話すと、この日記をやめる計画もあったのだが頓挫した。その顛末についても、これから書いていこうと思う。写真は、あるものを撮影しようとして、ミスして写した道。

ブログ「いらけれ」

ダムの底に沈んだ一日は、12時には予定が終わった開放感で、世界が輝いている。結果は分かりようがないから、悩みようもない今だけは幸せだ。

『すっぴん』の月曜日を聞いていたら、このブログには、2018年6月15日以来の登場となるトミヤマユキコが、「働く」をテーマにマンガを紹介していて、とてもいいコーナーだ。それはよくて、コーナー終わりにかかった曲がレミオロメン「日めくりカレンダー」だった。

戻らない やぶいてしまった 日めくりカレンダー
長い影 引きずって追ったボールも夢もさ

本当に最高だ。この頃のレミオロメンが好きな同世代男子は非常に多いが、例に漏れず、それは僕もそうだ。気分が晴れて、ホームに滑り込んできた黄色い電車すら、僕を歓待しているかのようだった。

これを書くために聞き返して思い出したが、そうだ。サンキュータツオが、芸人の世界には基本的に働きたくない人しかいなくて、「これで仕事さえなければ最高なのになあ」とか言ってビールを飲んでいる人が一杯いるという話をしていて、その後の行動が決まったのだった。

田無で降りたのは、かなり久しぶりだと思う。何の本を探していたのか、今では忘れてしまった何かの本が欲しくて、ブックオフに行った時以来だろうか。改札の前に、立ち食い寿司屋があって、へー、こんなのあるんだと驚く。昼間から寿司を食ってビール!という選択肢は、とても魅力的だったが、それまでに予定を組み立ててしまっていたから、またいつか。

帽子、忘れてしまったが暑いぞ。日焼け止めも塗っていないというのに。住宅街、知らない道。歩きながら僕は、スーパーを探していたのだが、平日昼間のちょっとした企みは、一旦棚上げされた。至高の一瞬のために、本当は何も飲みたくなかったのだが、ローソンに寄って、auのクーポンでコーヒーをもらって、のどの渇きを潤す。グッジョブau、ありがとうau!applemusicの件、まだ許してないけどな!(なにそれ気になるって人は、3月あたりの日記を読んでね!)

コーヒーが入った小さなカップと、お天道様と時間と人のいない街だ。これが幸せでないとしたら、何を幸せとして数えればいいのだろう。状況が音楽を呼び込んで、(LIBROに、今の状況にピッタリの曲なかったっけ)と曖昧な記憶でかけた「対話」には、"不安なんてない 昼の繁華街"という歌詞があって、それはそんなに合ってなかったけれど、「胎動」を聞いて、大事なものを見つけることができたので、明日はその話をします。

ブログ「いらけれ」

これは面接後記である。

僕が、その後も祈りに祈ったおかげか、ビルがデカすぎて上手くしゃべれなかった会社(2番目の面接)と、嫌な思いをした会社(3番目の面接)から、二次面接の連絡が来たので、お賽銭のご利益が違う方へ刺さったのだなと思った。正直言って、1番目の面接だった会社にだけ受かりたくて、次の次の日の朝に電話がきて、「絶対これ、あの会社だ!」と盛大なぬか喜びをした。人生の望み通りにならなさ。どうなっているんだ!

またあの大きなビルへ、二次面接へ向かう朝、改札前に人が多くておかしいと思ったら、人身事故で電車が止まっていた。運転再開は1時間後だという。途中までは電車が動いていたので、検索した別ルートで向かう。40分が1時間半だ。片道400円が500円だ。中央線に乗る羽目になって、満員電車に30分だ。乗り換えの前には、駅で会社に電話を入れて、遅れそうであることを連絡しなければならなかった(15分ぐらいの遅れで済みそうだと話したら、そのまま来てくれと言われた。実際に遅刻は15分程度で、面接はそのまま始まった)。
ムカつくなとか、イラつくなという方が無理なのかもしれない。僕はそれでも、高潔な精神性と世界観で、しょうがないと思うことにしているから、しょうがないと思うことができたけど。すべての人身事故に愛を。

改修中の渋谷駅は薄暗く、前回は都バスを使ってしまったから、グーグルマップを開いて方向を確認していたところ、右手をどつかれて「危ないだろう」と、じじいに言われる。めっちゃ痛くて「ごめんなさい」と言ってしまう。下を見たら、テープで描かれた矢印はこちらを向いていたが、僕が歩いていたのは壁際も壁際で、何一つ危なくなんてなかったから、とても悲しくなった。
これは『文化系トークラジオLife』でも話されていたことだけど、ルールとして明示されているからといって、なぜそんなに偉くなれるのかという問題でもあるし、勝てる相手にだけ強く出るという問題でもある。僕がいかつい奴だったら、こんなことされてないはずだから、なめられているんだ(とはいえ僕は男だ。男でもこうなのだから、女の人はもっと大変なんだろうなと思った)。
こういうやり方しか取れないまま、この年まで来てしまった人に、何て言ったらいいんだろうなと虚しい。なんとかなる方法はないものかと考えていたら、面接会場に着いた。

面接はどうでもよかった。まー、いろいろ問題あるよ(アルバイトから社員になるまで、何度も契約し直さなければならないこととか、募集要項に書いてなかったし)。ビルを出て、僕にはブコウスキーが足りないと思った。腐った世界に火をつけるために、本買って読むしかねえな。

ブログ「いらけれ」

持ってるものを認めて自分に言い聞かすより
ないものを数えて欲するほうが自然
だから痛いのは当然
何度も拭って 染みついた考え落とす方がつらいね

泉まくら「さよなら、青春」

「死人に口なし」という言葉がなければ、どうなっていたか分からない人生だ。誰にも追記されないウィキペディアは悲しい、それならばまだしも、デマや嘘を訂正できないことだってある。僕は僕の物語を更新しなければならないと、ある時から自覚的になった。

物語的に、主人公として渡っていかなければならない暮らしの、新たな章を開くために、だから僕は祈ることにした。朝から忙しく動き回った一日の晩飯を食べた後に、それでも、陽が沈んだ街へ出た。人生をドラマチックに彩るためだけに。

祈るというのは文字通り、神社に行って手を合わせるということだ。今日面接をしたばかりだから、おそらくはまだ「酋長の踊り」にはなっていないだろう。
「酋長の踊り」は、ある部族の酋長が、若者たちのライオン狩りの成功を祈って踊るのだが、ライオン狩りが終わって帰路にある時でも、酋長は成功を祈願し踊り続けるという話だ。すでに狩りの成否が決まったあとに、その幸運を祈るとはどういうことかが哲学的な問題となる。一見すると、終わった出来事について祈るというのは、おかしなことのようにも思えるが、例えば、遠くに住む親戚の家の近くで大規模な災害が起こったというニュースを耳にして、親戚が巻き込まれていないことを祈ったり、試験の結果発表を、神社に合格祈願をしてから見に行ったりというのは、誰もが経験のあるようなことだし、それほどおかしいとも思えないだろう。
僕がここで言いたかったのは、後から祈ることについてではない。後から祈ることのおかしさについて考えることによって、後からだろうが前だろうが、いずれにしても、そもそも祈りなどというものに効力はなく、意味などないのではないかということが、きれいに忘れ去られてしまう。そのことが面白いと思った。

もちろん、すでに面接官の気持ちは固まっていて、落ちているのかもしれないが……夜の神社は、なおさら人がいない。昼間にだって、ほとんどいないのだから。恐々と境内に入ってお社まで行き、賽銭箱の前に立つと、不届き者を追い返す防犯ライトが点灯した。悪いことをしているみたいだ。1円玉を投げて、からんと音が響いた。そそくさと立ち去った。次の日の朝、散歩をしている途中にも寄った。祈らないと落ちる、なぜだかそう強く思って、財布から5円玉を出して握った。6円は、インターネットを使って稼ぐのは結構大変だ。6円がもらえるアンケートの回答には、5~10分ほどかかることが多い。でも、神頼みに差し出すのには、少なすぎる気さえする。金銭感覚というのは、よく分からないものだね。