身につまされたくない
頭痛で臥せっていた。その痛みは耐え難く悪心を伴うもので、実際に吐いたごみ箱のなかを見つめ、夕食から5時間も経っているのにな、と思った。一向に涼しくならない夜に、しかし、冷房を切っても悪寒は続き、止まらない冷や汗でTシャツがぐっしょりと濡れた。
自律神経の失調。ストレス。それを思考することがストレスになっているのは明確なのに、考えずにはいられない。世界に考えさせられているとき、私の脳は私の支配下にない。
自分の痛みや苦しみは大きく、他人のそれは小さく見えるのだな、と思う。苦痛に苛まれている私は、人生は地獄だと思い詰めるだろう。そして、苦痛の訴えを前にした私は、理解や共感の素振りを示すだろうが、どこまで行っても自分のものではない苦痛を、我が事のように深刻に捉えはしないだろう。私たちは、本当は身につまされたくなんてないのだから。
「分かろうとしなければ分からない」の反対側には、「伝えようとしなければ伝わらない」があった。ときには黙することも必要だけれど、黙っていては変わらない現実もある。苦しみの表明を蔑ろにされ、余計に傷ついたとしても、そうすることでしか知り得なかった感情を、その先で語ろうと腹を決めた私は、ようやく眠りにつくことができた。
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