ブログ「いらけれ」

ソーダって、飲む機会より、曲の歌詞で聞く機会の方が多い気がするぜ。その日はソーダ色の空だった、というのは完全な後付けだが、本当に雨の降らない東京に暮らしていると、潤わない懐と心。

僕の、すべてのメランコリーに聞く薬こと『本と雑談ラジオ』の最新回が処方されて、聞きながら歩いた。あと、先週(これが公開されているころには先々週か)の『SHIBA-HAMA ラジオ』で、インターネットに上げられている落語の感想について、いろいろ話されているのを聞いて、今までの自分の感想も、どうだったのかなと思ってしまった。もちろん、隠れて録音したことはないし、新作の大幅なネタバレや、書かないでと言われたことは書いてないつもりだけど。誰が読むか分からないということで、一層気を付けなければならないなと思う。

聞いたもの、そうだ『熱量と文字数』の、「オタク心をくすぐる番組特集」を聞いて、僕は(僕はオタクではないけれど)『ばら・す』が好きだったなあと思いだした。フジテレビのCSチャンネルでやっていたこの番組は、基本的には、機械や物を分解して、その部品一つ一つが、どんな役割を果たしているのか専門家が解説するという、物をばらして構造を視聴者にばらす番組だった(たまには、建造物のように、物として分解できないものも、テーマとして取り上げられていた)。こういうの、古くは『NANDA!?』とか、いまなら『球辞苑』といった解説系の番組が好きで、また、自分が知らないことをテーマとして扱った『ぷらすと』とかも、興味深く見ることのできる僕だ、嫌いなわけがない。見られるチャンネルで放送されていたときは、よく見ていた。今検索して、系列の有料チャンネルでは、未だに放送されることもあるようだ。見たいなあって、そういうことは番組に直接メールしたらいいんじゃないだろうか。

自分のご機嫌を取りながら散歩して、危険だからとフェンスで封鎖された歩道橋を、小学生のころは必ずここを通らなければならなかった、車通りがそこまで多いというわけではない、信号はないとはいえ横断歩道だってあるのに、だから、ときどき禁を破ってこっそりと下道を通るときの、いけないことをしているという感覚は忘れられないものだ、僕は見上げて、足一つ分ほどの穴が開いているのを見つける。
めったにないことだが、通りかかった瞬間にビルが倒壊したり、道路が陥没したり、天井が落ちたり、床が抜けたりして死ぬということに、とてもリアリティを感じてしまう。めったにないことだが、絶対にないわけではなくて、稀に、そうやって人が死ぬ。そうやって死ぬこともあるのだと、強く感じることで、だからこそ嫌なことは我慢しない、耐えたりしてやらないぞって思うことが、僕はできる。今だけを考えて、今を最大に生きなければ、どうせ僕は、強風に飛ばされた看板に当たって死ぬのだから。

ブログ「いらけれ」

「世界が色褪せて見えるのは脳のせい―離人感・現実感消失症の病態解明への第一歩―」
そっか-、僕の世界が色褪せてんのは脳のせいかー。そうか、どうりでー。この現実感のなさは全部、僕のせいじゃないんだなー。
……というのは置いといて、これめっちゃおもしれえなあ。文学とか感覚とか、言葉だけで語られてきて、言葉の上で謎を解明しようとされてきたものに、科学でメスが入る感じのって、わりと好きなんだけど。小説のテキストを、統計的に分析したりとか。
でも、こうやって心という言葉が、どんどん脳にすり替わって、良い小説の書き方が公式化されて、すべてが科学で説明されて、それで分かった気になる世界は、脳がどうとか関係なく色褪せて見えるよ。

覚えておくべき大切なことが、時間が過ぎて、忘れられてしまうことに対して、ずっといけないことだと思っていたんだけど、過熱していた興奮が冷めて、時間が解決してくれることもあるんだなって、この歳になってやっと分かってていいのかどうか。「時代は僕を救いはしない」かもしれないけれど、でも、とにかく時間が僕たちを助けてくれることがあるのは確かだ。

僕はヒーローのなるために生まれてきたので、人を救わなければなりません。ですから、僕に助けられる困っている人が必要ですので、街中を歩いているときに、きょろきょろと何を探しているのかといえば、倒れている人やうずくまっている人です。つまり、誰かに不幸が降りかかれば、僕はヒーローになれるわけですから、もちろん他人の不幸を望んでいます。ええ。

小学生のころから、クラスメイトをゲームショップで見かけて逃げたり、隠れたりしてきた僕は、道端でバッタリ知っている人に会ったときに、会釈して目をそらして、逃げるようにその場を離れる癖を直したい。おそらく、一人でいるときの僕は、誰かと会うことになっているときに作っている僕と違っていて、だから、知った顔にビクッとして逃げる。でも仮に、そこで会った人が会いたい人なら、勇気出して声をかけたら、もしかしたら、そのことによって楽しい思い出が増えたら?取り返しのつかない毎日の選択のなかで、逃げた場所に引き返してみたら?そんなことが僕にできたらって、強く思う。


sunbrain「Houston」

心に強く響くこの歌は
滲んだ絵に少しずつほら 色を成してゆくんだ

ブログ「いらけれ」

国家とか民族とか、まず、君が自明視しているそれを、考え直すべきだとか言い出すやべー奴だからなあ、俺。しかし、これだけ人の移動が自由になって、人が自由に移動するようになったというのに、なぜ古臭いそれが帰ってきているのか、と考えるのは逆で、つまり、あまりに根無し草だからこそ、それが帰ってきているのだろう。とか。やべー奴、だよなあ。

ミルクレープにハマっていて、スーパーを回って、安い店を探している。結構値段が違っていて、あと、値引きシールが貼られるタイミングの規則性が見出せていなくて、でも今日は、その話ではない(まだ観察&考察中だ)。僕は、ミルクレープのおいしさを、これから語る。
ミルクレープのおいしさは、メンドクサソウな口当たりだと思う。考えても見てほしい、家で、何層にもクレープを重ね、そして、間にクリームを挟む手間を。そんな、メチャクチャメンドクサソウなブツが、だいたい200円程度で買えてしまうのだから、これはつまり、「コロッケ作るのメンドイが、買うと安い、そしてウマイ」現象と、まったく同じものだと考える。
さて、今日のあなたのおやつを、ミルクレープにしてみるのはいかがだろうか。おいしいぞ。そして、意外と、しれっと、どこのスーパーにも置いてあるぞ。

「『いいでしょ』って、どのアルバムだったけかなあ」と、スネオヘアーのウィキペディアを見たら、略称として「スネヘア」があるって書かれていて、この前ニュース番組で、「ボヘミアン・ラプソディ」の監督の性的暴行疑惑のニュースのテロップに、「『ボヘラプ』監督が……」って出ていたことを思い出した。このどちらも、僕は、見たことがない。

神様はきっと、この時がずっと続けばいいって思ったから、ずっとその時をコレクションして、だから、死ぬ間際に見る走馬燈のなかに、あの時として出てくるのだろうから僕はそっと、今のこの時がずっと、このまま続けばいいと思った。


スネオヘアー「Slow Boat」

I love you
言えたことが無い
I love you
あくびの出る言葉

確かな言葉がずれて、頭の中が混乱して、何も言えなくなる。手応えのない毎日に、後悔だけが溢れている。大きくなったらなりたかったものはなかった。ずっと生きているのが嫌だったんだ。筋金入りの僕が、書くことをやっと掴んだ。手放さないように大事にしていかなければならない。
書いたことがなかったようだから、今、ここで書くけれど、僕が一番好きなスネオヘアーの曲は「Slow Boat」で、僕は、この曲を聞いたときから、僕の中には、この曲の歌詞の世界があって、僕はこの景色のなかの、この日差しの下で生きている。

僕らは眠れないまま
もう何も望みはしないだろう

ブログ「いらけれ」

寒い世界から帰ってきて、外出時から、家で作って食べようと楽しみにしていた味噌汁をこぼして、ずっと香ばしい匂いのしている部屋から、こんにちは。みなさま、ごきげんは、いかがですかな?
わたくしは、全っ然人生が上手いこといかなくて、お分かりの通りダメで、それを象徴するかのように、auスマートパスで将棋ウォーズの配信が終わるという。これまで何千局と、指し放題を利用して、対局を重ねて来たというのにだよ。なんかもう、将棋自体を指す気がなくなってしまったよ。あーもう、スマートパスやめるぞ……っていけないいけない、愚痴になってしまった。
気を取り直して、今日も、創作された実話で、あなたの一瞬を少しだけ彩るために。それでは参りましょう。

すべては有機的につながっているが、個人の記憶は、確かな不確かさでもって、僕を驚かせてやまない。昨日だって僕は、あったことを書いたはずなのに、工場と商業ビルの位置は逆だったし、ハーレーダビッドソンを売っている店だって、壁に大きくロゴがあって、強烈なインパクトだったのに、書くのを忘れていた。そう、だから僕は、昨日と同じところへ行ったのだ。
それで今日は、大きな道から逸れて、別のルートで帰るつもりで右に行って、道なりに歩いていたら全然知っているところに出なくて、グーグルマップで確認したら、地図の左側の思いもよらない現在地が表示されていた。軌道修正するために、慌てて右に曲がったら元のルートに戻っていたのだが、そのことに、「あれ、あの大きなアップルの看板見覚えあるな」って、そこで初めて気が付いたのだから、これはつまり、記憶の不確かさの話ではなくて、ある男がポンコツだって話だ。

この前のことがあって、「Mリーグ」を本格的に見始めたら面白くって、困っている。上手い人が打つと、ドラマのない局がないものなのだなあ。裏ドラというルールについて、真剣に考えたりしてしまうよ。これにより、僕の休日の時間が、大幅に使われることになっている。プレイヤーたちの、それまでのスタッツが出るのも、スポーツ番組のようで楽しくて、演出も派手過ぎないし、これまで見てこなかったのを後悔している。あとは、選手たちが解説者となって、今週あった対局を、牌譜を使って振り返る番組とかあったら最高だ。囲碁将棋や釣りのように、CSにチャンネルができたらいいのにとまで、思ってしまっているんだ。
でも、単純な一対一ではなくて、4者がかかわる麻雀って、だいたいの決勝戦で複雑な気持ちになるんだよなあ。絶対に追いつけない最下位にいる人の選択が、優勝者を決めてしまったりということがあってね。もちろん、目無しが左右しないようにという慣習は知っているのだが、左右しないように、と振る舞っても、絶対に何かしらの影響は与えてしまうわけでね。これは、解決されていない問題としてずっとあって、「麻雀の目無し問題」として、ウィキペディアに詳しい。あと、平均打点が高い「打点王」の選手が表彰されるのならば、跳満以上のあがり回数が多い人をホームラン王とか、放銃が少ない人を最優秀防御率とかって、賞を作っても面白いのかなって思った。そもそも麻雀って、単純に平均打点が高いから良いかっていうと、そういう訳でもないはずだから。あがる手数を増やすために、鳴きを増やすと、平均打点が……もう、長いこの話!あと、まだまだ長くなる!やめやめ~!


PAR-019 科學麵 EP

※洪申豪さんのやっているレーベルの、ユーチューブアカウントにアップされていて、普通に良かったから、ボーナストラックとして、みんなにプレゼントするよ。ありがたく思えよ(冗談だよ)。