ブログ「いらけれ」

それについて、たくさんの本が出ているということは、多くの人が成功してないし、正解を知らないってことなんだよな。ダイエットとか株とか。あと健康とか。それでも本が出続けるのは、それでも正解を求める人々がいるからで、みんなどうかしてる。

アンケート開始前に、久しぶりに大学の講義を受けるみたいな部屋と机と椅子で待っていて、後ろの方に座っていた僕は、この一人一人に主観があって、それぞれの世界を構築していて、その中で生きているということが恐ろしくなった。同じ方向を向いて、同じスライドを見ていても、決定的に違うんだって当たり前のことも、すぐに忘却の彼方だ。

部屋を借りたいと思っている。なんか、遊びに使える部屋。遊び部屋といっても、そういうのではなくて、ラジオ収録に使えたり、集まって話したり、ボードゲームしたりしたい。たまには一人で、そこで寝たりしたい。もちろん僕には、金も友も無いのだが。
それでまた夜更かしをして、ここら辺の物件情報を見ていた。こんなところだからと思っていた、しかし思っていたより高い。安くても3万ぐらいか。気兼ねなく遊ぶためには、もうちょっと高いところにしないと、壁も薄いだろうしなあ。それで、気になった物件を、歩いて見にいってみる。20年以上このエリアに住んでいるのに、一度も入ったことがなかった路地の先に、通りから隠れるようにアパートがあって工事中だった。繰り返すが、僕に金と友は無い。空想と妄想と理想で、こんなに楽しむことができる。それで思い出した。
幼稚園か小学校低学年のころ、父親が会社で使っていたのか、どこからかもらってきたのか、パソコンではなくワープロが家にあって、よくそれで遊んでいた。記憶媒体はフロッピーディスクだった。それを使って僕は、文章を書いていたわけではなかった。僕は、銀行やガソリンスタンドなどのスタンプと、自由に線を引ける機能を使って、架空の街の地図を作っていた。高低差も考えて、坂道は線を変えたりしていた。出来上がったら、フロッピーに記録して引き出しに入れた。たくさんの街が、狭い引き出しの中に、折り重なるように詰め込まれていることも面白かった。
僕の作った街は、どこへ行ったんだろう。あのフロッピーは、家のどこかに、まだあるのだろうか。あったとして、記録を読むことができる機械がないけれど、できることのならば、あの街を見てみたいと思う。

今、こうして書いていることも、空想の地図を作っているつもりだ。

スチャダラパー「TT2オワリのうた」

行った事ない街 まだ通った事ない道

ブログ「いらけれ」

愚か者は蹴って蹴って、死ぬまで蹴り続けると、時代の趨勢が決定したようなので、地獄に向かってまっしぐらですね。僕はもう、知らない!

今日はあるアンケートで初台へ。カラッと晴れた空に感謝しながら、西武新宿駅から歩く。貧乏人にとって節約は、とても大事なことなのですし、また、どうせ散歩するわけですから。趣味と実益を兼ねるってこういうことかなと思った。多分違う。
休日の新宿には、ポケモン広場というものがあるようで、そこでいっぱいの人が、ユーロライブの客席をいっぱいにするぐらいの人が、座ったり立ち止まったりしている。ポケモンGOをやったことのない僕の目には、無心に画面を連打する人々が、とても奇妙なものに映るわけだけれど、それはまあ、どこかで何かしている僕も、誰かにとっては奇妙なのだろう。
東京オペラシティの中の書店は、比較的品ぞろえが良くって、ロードサイドのショッピングセンターの本屋との違いを考えるに、やっぱり文化度って大事なんだなと思う。もちろん、話題のアレな本も置いてあるんだけど、その隣にカウンターとなる本が並置されている感じ。頑張れる余地はまだあるんだって少し頼もしくて、少し安心する。
アンケートは、今まで経験したことがない感じだった。あることについてのプレゼンが、アンケートの途中に挟まるという構成。知らない世界を教えてもらうのは、確かに面白いんだけど、安価に宣伝されているような気もしてしまう。ウェブ上でやるアンケートにも、アンケートの皮を被った宣伝が増えているように感じていて(ステマの一種?)、なんだかなーと思う。もやもやを抱えて帰った。

初めてあなたに会ったときから僕は、10キロ以上痩せていて、だから数字で分かりやすく、見た目に分かりやすく僕は変わった。自宅周りのストリートビューを見ると、ときどき、少し古いデータが残っていて、今では立派にマンションが出来上がった土地に、一軒家が並んでいたころの写真が表示されることがある。あなたは、初めて会ったときから変わったのだろうか。髪を少し短くしたことなんて、僕にとっては、サイゼリヤの間違い探しみたいだ。叶うのならば心の方が、ちょっとは好きに変わってもらえていると、僕は嬉しい。ストリートビューみたいに、あの時のデータが残っていて、比較できたら、どれほど楽だろうか。でもこれは現実だから僕は、不安を打ち消すために、好かれるようにずっと、頑張っていくしかないんだと思う。


The Magic Gang – All That I Want Is You (Lyric Video)

You’re trying to save me but maybe all that I want is you
You’re trying to help me but maybe all that I want is you

ブログ「いらけれ」

リビングの片隅に、見向きもされず残っていた「お年賀あられ」を、自室に持ち帰ってポリポリと食べる2月。とある事情により、安い焼酎くさい部屋から。まったくもって、人生が好転する気配なし。ただし原因は自分にあり、あなたもそうであるように、自分を苦しめるのはいつだって自分だ。

深夜というのは、うまく使わなければならない時間で、僕にとってはそのことが、とんでもなく難しい。気がつくと、好きだった女の子が、私とかあたしといった一人称ではなくて、会話でもメールでも「家(うち)」という一人称を使っていて、これを聞いたときに「第三の道!」と思ったことなどを、なぜか考えたりしてしまう。

2月の良いところの一つは、プロ野球のキャンプ情報が見られること。新聞社のネット記事を、ニヤニヤしながら読んでいる。その情報によれば、我が東京ヤクルトスワローズは昨年から引き続き、地獄ともいえる練習量を選手たちがこなしているようだ。しかし、他の球団の多くが、テレビやネットを通じて番組としてキャンプを放送しているのに、我が軍は固定カメラによるユーチューブ配信のみとなっていて、だから、平日昼間にJ SPORTSをつけて、広島やオリックスの選手が練習しているのをぼんやり見ながら、心から羨ましいなと思う。

インターネットはもう、ディープなものを読んだり、見たりするものなのかもしれない。最近熱を上げている麻雀について"秘境"を探るように、横滑りするように、ネット上の文章で麻雀プロを出すときって名前の後ろに「p」付けるんだなとか、雀士同士の揉め事について、あるいは「東風荘」という、以前人気だったネット麻雀ゲームで強かった人の話、吉田光太p(さっそく使う)のブログ「プロ雀士吉田光太の横向き激闘記」めっちゃ面白いなーなど、どんどん無駄に詳しくなる深夜1時。そうそう、「Mリーグ」のチェアマンであり、麻雀とのつながりを書いていくとキリがなくなってしまうサイバーエージェント社長・藤田晋さんが、スワローズファンと発言したこともあるようだから、AbemaTVでキャンプ中継どうっすかね?

午前3時に始めたフリーセルを4時までやっちまって、就寝用BGMを探すために半分眠りながらユーチューブを開いて、朦朧としながら画面を見つめていたら、BUGY CRAXONEの好きな曲のPVが新たに作られ、アップされていることに気づく。

BUGY CRAXONE「わたしは怒っている」Music Video

ふがいない
やるせない
そうじゃない
わたしはいま怒ってる

元気が出たから、また明日ね。

ブログ「いらけれ」

中学ん頃の引きこもりの自分に、外への出方を教えてあげたい。高校に通うようになって、初めての休みの日に、僕は自転車に乗って外に出た。行き先はなかった。40分ぐらいだった。多摩湖の自転車道だった。行き交う人をたくさん追い抜いた。ただそれだけをして家に帰ると、親に驚かれたほどの僕だ。毎日1時間は外に出るようになった、今は。

風呂場と街で思考している。音がこもる風呂場は、とても閉じ込められているように感じる。街には、壁と天井がない。開かれていない場所と、開かれ過ぎている場所でのみ、考えることだけに集中できる。今日も、麻雀の世界で「デジタル派」と呼ばれている、とても合理的な考えの人々が、なぜあれほどのアレルギー反応を、一部の麻雀ファンに引き起こすかといえば、人間という生き物が非合理的であり、麻雀というゲームが不条理だからだろうということが分かって、これは、僕にとって有益な気づきだったからよかった。

12月に借りた本の話をしなかった理由は単純で、読むことがなかったからだ。時間を有効に使えなくて、前に進まない自分が、自分を傷つけ続けていた。延長までした本を返しに行って、図書館から出たときには、なぜか手元の本が二冊に増えていた。この愚か者めが。

図書館を出たときに、「どんな朝にでも変わりなく~」と、sunbrainの「Houston」が頭の中で流れた。だから、ポッドキャストではなくて、sunbrainの『rainbow album』をランダム再生していた。その時の雰囲気と景色に合っていて、とてもよかった。だからこれらは、勘の良い方ならお分かりかもしれないが、二日前のブログを書く前の出来事だということだ。

1月が終わると、僕の誕生月になる。そうすると例えば、今掛けている眼鏡を作った眼鏡屋から、これを持ってきてくれれば割引しますよという内容の手紙がくる。誕生日を迎えると僕は27歳になる。27歳になることを思い出して、西友のエスカレーターでクラっとする。こんな奴になって、こんな状況にいるなんて、中学生の自分には、とてもじゃないけれど、教えたくないし教えられない。

パレードは繰り返されない。パレードは、日常の憂さ晴らしに行われて、その場限りだからこそ、盛り上がるのだから。パレードが繰り返されるのは、夢の国だけだ。

家に帰ってきてツイッターを見ていたら、『文化系トークラジオLife』のイベントで、さっき借りてきた『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』が、塚越さんのオススメ本として紹介されていたようでビックリした。流れが、ついに僕のところへ来ている。先月には本を一冊も読めなかった馬鹿が、踊り狂うように加速するのだ。その馬鹿が僕だ。