ブログ「いらけれ」

権堂駅は、時が止まっているみたいだ。あの、小さなサイズの切符を買ったのも久しぶりだったし、それを駅員さんに手渡して、ハンコを押してもらったのなんて、いつぶりだろう。さらに深いところにあるホームへの階段を下りながら、子どもの頃のことを思い出していた。こちらの小学校へ転校する前には、武蔵大和駅の近くに住んでいた、物心がついた頃は、ホームにつながる長い階段を上ったところに立つ駅員さんに、切符を手渡していたのではなかったか、遠い過去の記憶には靄がかかっていて、ディテールがはっきりしない。

切符を買った時に、必ずといっていいほどしてしまうのが、記載されている4つの数字(通し番号?)で10を作るという遊びだ。手元に目を落とすと、「4266」と書いてある。年季の入ったベンチに座って、考えながら辺りを見回す。その番号に電話をかけてもつながらなさそうな、商店の名前が入った鏡や時計が置かれている(数の組み合わせ的に、惜しいところまでは行くんだけど)。都心とは異なるリズムで、針が進んでいるのだろう(これ。絶対に10作れるはずだ。諦めないぞ)。悪魔みたいな音を立てて、電車は到着した。乗客は少ないようだった。開いたドアの真ん中に、その時、6を6で割って1、それを4に足した5に、2を掛ければいいと閃いた。僕の心は、とても満足した。

大きな麒麟の後ろでは、もっと大きな夕日が地平線に向かって落ちていく、天に向かって枝を広げた木には葉がなく、四本足の哺乳類の巨大な群れはゆっくりと西に進み、羽ばたきを止めた鳥が空を滑っていく。そんな夢を見る間もなく、再び長野駅に到着する。二駅だからね。駅員さんに切符を手渡してエスカレーターに乗り、やっと現代に戻る。ああ、今よありがとう。

最後の時間潰しで、おすすめされていた平安堂という、百貨店のなかの本屋に入った。もちろん、褒められたものではない本の棚もあったけれど、比較的大きくて、マイナーなジャンルの書籍も取り揃えられていたし、レジ前の花形とも言えるスペースに、海外文学が置かれていたので好感を持った。上の階では、文具や雑貨に加えて、あまり見かけないボードゲームも販売されていたし。

この間、ずっと聞いていたのは『東京ポッド許可局』だった。「最強論」の週だった。いつか「忘れ得ぬ人々」のコーナーで採用されたい。何か食べようか。食べないまでも、もう2万歩を超えているし、どこでもいいから腰掛けたい。コンビニのイートインスペースに座ろうか。ツイッターにDMが来ている。目立つところは、あの街頭ビジョンの下のドン・キホーテだろうか。「そこにいます」と返事をして、駅から歩道橋がつながるその店の前まで、エスカレーターに乗って行くと、もう一度ラジオに心を奪われた。駅前を行き交う人々のことを見下ろしながら、考え事に気を取られていたら、背後から声をかけられた。ビビった。

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権堂アーケードに入り、いろんなことが分かる。何一つ伝わっていないだろうが、本当に、少し歩いただけで、すべてが理解できた。基本的には夜の街なのだろう、午後1時半では、ランチをやっている飲食店さえ少ない。ブティックや八百屋に混ざって、「おっPパブ」という看板を掲げている店の扉も、もちろん閉まっている。あまりにも雑多で、区画が分けられているだけではなく、もっと隠匿的な東京の態度とは、まったく違う明け透けさに驚かされる。そこには、強い生命力が宿っているようにも思えた。

長野相生座・ロキシーは、そんなアーケードの店の並びが途切れて、光が差している方を向いたらあった。あの嘘みたいな光景を目にした瞬間の感動は、一週間経っても心に残っている。歴史のなかに取り込まれたような気分で、その建物へと近づいた。よほど映画を見てやろうかとも思ったが、午後3時までには終わらないようだったから、やめておいた。

僕は、レトロという概念について、よく考えている。レトロ……そう評価されるのは、新しい何かの登場によって、そっぽを向かれた過去を持つもの。例えば今、僕の手元にあるマッチも、そのほとんどが安価なライターに取って代わられた。そのことによって、見かける機会はかなり減少してしまった。不便という面もあっただろうし、どうしても古臭い道具と見なされてしまった。しかしだからこそ、レトロなものという価値を身に付けるに至ったマッチは、それまでとは別の道で、生き残り続けていくことだろう。つまりレトロは、それ自体が生まれた瞬間には付属していなかった価値が、後々に発見されるという形式を持つのだ。

この先には、"生まれた時からレトロ"という物があって、それはオリジナルなのに、過去の時代の雰囲気を模して作られていて……などと考えている内に、アーケードを抜けている僕がマップを見たら、どうやら近くに駅があることが分かったから、そこまで行く。地下に降りていく階段の上に貼られたバス停にあるような時刻表を見て、まだ時間に余裕があったから、そばのイトーヨーカドーに入る。全体的な色合いかテナントの看板のフォントか、フロアの照明が暗めだからか、一抹の寂しさを感じさせるような店内だった。エスカレーターの照明だけは、とてもキラキラしていた。一番上の階には、スクリーンが一つの小さな映画館があった。上映中のようで、入り口には赤いロープが渡されていた。踵を返して店を出て、駅の階段から地下に降りた。ヨーカドーと駅がつながっていることには、降りてから気が付いた。ICカードは使えなかったので、170円の切符を買った。

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だから、ひねくれ者と言われるのだ。旅の真っ最中なのに、裏道へと入ってしまう。そこに住んでいる人みたいな顔をしていたら、時代の付いた喫茶店のカウンターに一人立つおじさんが、こいつ入ってくるのかという顔で、変な表情が向き合ってしまった。東京から遠く離れた。旅館みたいな建物に、トヨタレンタリースと書かれた看板が出ている狭い道を抜けよう。

ここは狭い道の方が少ない。とにかく、ほとんどの道の幅が広くて、歩くために作られていないことが分かる。ビルを避けるかのように左へとカーブした道の先、視界が開けたところで立ち尽くしてしまう。そこから見える景色が、えげつない美しさだったから。まるで背景ではなく、主役級の存在感。

上り坂。向こうは青空なのに、小雨が降ってきた。日が当たらないと、メントールを含んでいるみたいな空気が、より一層冷たい。水滴で、上手く操作できないグーグルマップを確かめたら、道を間違えている。マフラーから出ている耳が痛くなって、昼飯時、ぞろぞろと出てきた人々の間で、泣きそうになっている。それでも、上り坂を行く。

30分で着くはずだった僕は、参道の入り口にいた。正規ルートを辿ってきた観光客に混ざった。ようやく雲が晴れて、土産店や茶屋が賑やかで、気分が高揚してくる。ずっと上ってきたこともあって、汗ばんだ首元からマフラーを外した。すれ違ったツアーガイドの説明が耳に届いて、足元の石畳は確かにきれいだ。

そんなこんなで、やはり観光は苦手である。謂れを知ろうともせず、信仰もないように見える人々は、なぜここにいるのだろうと考えてしまう。なぜ写真を撮っているのだろう。それはスタンプラリーのようなもの、あるいは、とにかく長い歴史があるということのありがたみ……他に行くところもないからと、ここまで来てしまった僕も、同じ穴の狢なのだが。
簡単には行けないからありがたいという、つまり、神聖さの源泉となっているものの一つが距離なのだとしたら、その反対にある気軽さが生み出すものは経済効果だけではなく、大切な何かを塗りつぶしてしまっているのだろうと思った。申し訳ないから、本堂をぐるりと一周して、しっかりと目に焼き付けた。

まだ時間はあるけれど、とりあえず駅方面に戻ろう。途中、本屋があったから寄ってみた、客はおじいさん一人、どうしてこうなってしまったのだろうという酷い本の並ぶ棚の横、エッチな雑誌を開いていた。真っ昼間。リアリティにクラクラしながら店を出て、坂を下って、少しすると左手に、大きなアーケード街がある。おそらく僕は、ここに足を踏み入れるのだろう。

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新幹線のなかでは、文学フリマで購入した『クライテリア4』を読んでいた。それは、帰りの新幹線でも同じだったが、その時はまだ、そのことを知らなかった。少しずつ市街地を離れていき、山々や畑かと思ったら、デザインされた軽井沢が出てくるという景色を、このまま見ていたいという気持ちもあったから、窓から差し込む光は遮らなかった。白い紙が、太陽を反射していた。

本来、批評に託されているはずの(本文中のさやわか氏の言葉を借りれば)「語りや読みを多様化させる」という、それは、単純な善し悪しや、何を買えばいいのかを言うことではない仕事が、どうにも難しくなってしまった世界に生きている。これほどまでに豊かさが失われてしまった理由は想像に難くないし、Web上に無価値な文章を撒き散らして金を稼いでいる僕も、その片棒を担いでいるのかもしれないと思う。ネッカーの立方体のように、こうだと思ったものが引っ込み、新しい視点が飛び出してくる瞬間を、物事の見え方が変わってしまう批評を、僕は知っている。現代においてそれは、とても幸福なことなのかもしれない。出来れば、書くものに別の可能性を忍ばせたい、そうして誰かに、批評という果実を手渡したい。

平日の昼間には弛緩した空気が漂っていて、今度は、目の前のネットからフリーペーパーを取った。こういうところでエッセイを書ける人になりたい。載っていた角田光代の文章は、震災から立ち上がり、始められた飲食店について、そうした頑張りが、そこで飼われている犬の日常も取り戻したのだという、はっとする内容だったように記憶しているが、読んでからかなり時間が経ってしまったから、細部が合っているかどうか、自信が持てない。

足元から伝わる振動が、読書に集中させてくれていた。あっという間の1時間で、眼前に現れた山の立派さに驚く。それ以上にびっくりしたのは、山にかかっている雲が、地表に近いところに浮かんでいることだった。山水画で見たことがある、そんな風景だった。後に尋ねたところ、街中の標高が3、400mだという。言葉にはしなかったけれど、それを聞いた僕は、「マジか、すごいな……」という顔をしていたに違いない。

枕の位置と席の傾斜を元に戻してダウンジャケットを羽織り、手袋と帽子とマフラーを身に着けたから、11時半の長野駅は暖かくさえあった。15時に会うことになったから、まずは、置いてある観光マップを手にした。よし。とりあえず、知らない街を歩きながら、善光寺を目指そう。