【N】の旅-3
権堂アーケードに入り、いろんなことが分かる。何一つ伝わっていないだろうが、本当に、少し歩いただけで、すべてが理解できた。基本的には夜の街なのだろう、午後1時半では、ランチをやっている飲食店さえ少ない。ブティックや八百屋に混ざって、「おっPパブ」という看板を掲げている店の扉も、もちろん閉まっている。あまりにも雑多で、区画が分けられているだけではなく、もっと隠匿的な東京の態度とは、まったく違う明け透けさに驚かされる。そこには、強い生命力が宿っているようにも思えた。
長野相生座・ロキシーは、そんなアーケードの店の並びが途切れて、光が差している方を向いたらあった。あの嘘みたいな光景を目にした瞬間の感動は、一週間経っても心に残っている。歴史のなかに取り込まれたような気分で、その建物へと近づいた。よほど映画を見てやろうかとも思ったが、午後3時までには終わらないようだったから、やめておいた。
僕は、レトロという概念について、よく考えている。レトロ……そう評価されるのは、新しい何かの登場によって、そっぽを向かれた過去を持つもの。例えば今、僕の手元にあるマッチも、そのほとんどが安価なライターに取って代わられた。そのことによって、見かける機会はかなり減少してしまった。不便という面もあっただろうし、どうしても古臭い道具と見なされてしまった。しかしだからこそ、レトロなものという価値を身に付けるに至ったマッチは、それまでとは別の道で、生き残り続けていくことだろう。つまりレトロは、それ自体が生まれた瞬間には付属していなかった価値が、後々に発見されるという形式を持つのだ。
この先には、"生まれた時からレトロ"という物があって、それはオリジナルなのに、過去の時代の雰囲気を模して作られていて……などと考えている内に、アーケードを抜けている僕がマップを見たら、どうやら近くに駅があることが分かったから、そこまで行く。地下に降りていく階段の上に貼られたバス停にあるような時刻表を見て、まだ時間に余裕があったから、そばのイトーヨーカドーに入る。全体的な色合いかテナントの看板のフォントか、フロアの照明が暗めだからか、一抹の寂しさを感じさせるような店内だった。エスカレーターの照明だけは、とてもキラキラしていた。一番上の階には、スクリーンが一つの小さな映画館があった。上映中のようで、入り口には赤いロープが渡されていた。踵を返して店を出て、駅の階段から地下に降りた。ヨーカドーと駅がつながっていることには、降りてから気が付いた。ICカードは使えなかったので、170円の切符を買った。
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