ブログ「いらけれ」

押しても引いてもガタガタ言うだけで、頑なに動かない扉を蹴破った。そのような心持ちの夏だった。水色に近い空に、真っ白で分厚い雲が形を成していて、一面の窓ガラスがスクリーンみたいに、今しかない季節を映している。チョークが黒板を叩いている。小気味いい音に、私は眠ってしまいそうになる。空調の効いた21世紀は、ビクビクした時代だ。将来有名になったとき用のサインをノートから丁寧に消して、出たかすを丸めて、前の席の襟首目掛けて飛ばした今の私みたいな敵が、どこに隠れているか分からないと、皆がそう思っているのだろう。運動場から伝わる軽快な掛け声に気を取られた一瞬だけ、教室の外に渦巻く悪意の恐ろしさを忘れることができた。忘れても戦争はなくならないけれど、今日が終われば明日になって、明日になれば、私を乗せた飛行機が、あの空を飛ぶ。

久しぶりにレゴブロックを触った。それは、帰省していた甥っ子を大人しくさせるために、押し入れから取り出されていた。遊びが終わった後の部屋は、直すほどでもない程度に机が斜めになっていて、僕は気配を見る。プラスチックの青いバケツに手を入れて、まずは一握りする。手のひらのマッサージになりそう。いくつかのブロックを取り出して、色とりどりのそれを、どう組み合わせるか考える前に、やたらにくっつけてみる。くっつけてみたはいいものの、その先の未来が見えなくて、手が止まった。レゴで遊んでいた頃の僕は違った。もちろん、いくつかのブロックの形状を見ただけで、自分が作らなければならないものが導き出されてしまうような、想像力の豊かさがあった。それ以上に、でたらめにつなげられたブロックが戦闘機になり、飛行船になり、戦隊ヒーローのロボットになった。他の誰かには、そう見えなかったとしても。出来上がったそれが、空を飛ぶ動力源は、僕の中にあった。つまり、見出していたのだ。今の僕はどうだろう。作り始める前から上手く行かないと諦めてしまっているし、出来上がったものを見ても、不細工に連結したレゴブロックとしか思えない。歳を取った。現実を知った。夢を見なくなった。

かもめがいた。群れていた。灯台から光が伸びている。夜だった。波がある。大きくなった。音の波が距離を伸ばした。数分前まで、砂浜に男がいた。もう、その姿はない。そうして、いつもと変わらない風景になった。月に反射した光が、雲に遮られた。より一層、辺りは暗くなった。

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朝の街は冷たく、ミスドのコーヒーは温かい。温めてもらったクロックムッシュとフレンチクルーラーの後だと苦い。手元の本に目を落としていたら、店員さんがポットを持って来て、おかわりを注いでくれた。家の近くにミスドはなくて、コーヒーがおかわり自由なことを知らなかった。だから驚いた。1時間以上待たされていた。待ちながら読んだことは、その日の内に受け売りした。

本当は一日遊ぶはずだった。しかし彼は、夕方には職場へと戻らなければならなくなったという。忙しい事情を知っているから何とも言えないけれど、やはり寂しかったのが、結果的には功を奏したのかもしれない。少しテンションが下がったまま、とりあえず入ったコメダ珈琲で、将棋を指す気にもなれず、なんでコメダって豆が出てくるんだろうね嬉しいけどって話をしたり、アイスコーヒーを頼んだら、店員さんに甘みのあるものとないもののどちらにするか聞かれて、なんだそれってビックリしたり、「シロノワールプリン」というメニューを紹介する写真には、甘そうなパンの下に、甘そうなプリンがばっちり写っているのに、実物には付いてこないと聞いて、なんだそれってビックリしたりしていた。そのように、うだうだした昼間を過ごしていた。

「今どんな小説を書いてるの」と切り出したのは、事前のメールでそういう話が出ていたからだ。掌編さえ書いたこともないのに、行き詰っているという創作について、その原因を一緒に考えたりした。そうこうしているうちに、僕たちのなかで、知らぬ間に高まっていたのだ。それは目に見えなかったし、どんな計器を使っても測れなかっただろうけれど。

それで、「速報(あるいは遅報)」でお伝えした通り、同人誌を出すことになりました。僕が一番驚いています。

その場で、来年5月に行われる「第三十回文学フリマ東京」に申し込んだ。先着1000ブースに入ったので、抽選を受けなかった。つまり、出店が確定した(一応、キャンセルする道はあるんですけどね……)。それからは、外見も含めてどんな本にするか、何を何ページ、どういったテーマで書くのかといったことを詰めていった。ある程度構成が決まってしまったから、それは約束になった。約束によって、僕たちはお互いを掴み合っている。逃げられないし逃がさないという相互監視状態で、退路が断たれている。

時間になって、駅まで送ってもらって、再会を誓って、まだ出発までは2時間あったからお土産を買って、駅ビルの「草笛」で信州そばを食べて(やっと長野らしいものを!)、最後に5℃の街を散歩してから、乗り込んだ新幹線のなかで小説を書き始めた。だからその物語は、新幹線に乗る男が主人公だ。(完)

【お読みいただき、ありがとうございました。これにて、長野への旅行記は終わりです。いつもは嘘ばかりついている僕ですが、上に書いてあることは本当ですよ!本当なので、頭痛派のメンバーが増えました(「頭痛派とは?」参照のこと)し、頭痛派の公式ツイッターが出来てますもの。まだまだ動き出したばかりで、不確定なことも多いですが、暖かい目で見守っていただければありがたいです。ちなみに、まだまだメンバーは募集中ですので、ご興味を持たれた方は、ぜひご連絡ください!】

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それだけと言ってもいいほどに、白い天井が印象に残っている。開けた氷結は飲み切られることもなく、ポットの水を沸かすこともなく、そのまま透明で小さなコップに注ぎ注ぎ飲んでいた。お湯と水を調整しなければならないシャワーは慣れないし、足を伸ばせない湯船は身体が休まらない。そもそも、一人でホテルに泊まっていることが面白い。分からないことばかりだが、寂しさを紛らわすラジコで名取裕子のオールナイトニッポンを聞きながら、ブラシみたいに硬い歯ブラシで歯を磨き、建付けが悪くてぐっと力を込めないと閉まらない扉を閉めた。

コンセントが枕元にない。探す。コンセントは、ベッドからでは充電ケーブルが届かない位置にあった。それで、日記を書くのは諦めた。その負債が、ツケが、こうして回ってきて、日記に置いて行かれたのである。

浴衣って着たのいつ以来だろう。誰にも見せないのだから、前にする方を間違えてもいいんだけど、やっぱりグーグルで検索、律義に右前で着てしまう。「着てしまう」って簡単に書くけどさ、全然上手く着られなかったじゃない。大きな鏡のなかで、四苦八苦する男には呆れた。服も着られないし、間違って一度シーツのなかに入ってしまうような男には、呆れない方がおかしいじゃない。僕は僕を辞めたいと、その時に思った。

眠れなかったので、久しぶりに『ロンドンハーツ』を見た。鏡の前に置かれたテレビ、地上波しか映らないんだもの。終わったのでチャンネルを回したら、BSなのかなんなのか、静止画と文字で構成されたニュース番組や、通販番組が流れているよく分からないゾーンに迷い込んで、その内の一つが、おそらく県内の交差点に設置されたライブカメラで、リモコンを操作する手が止まった。たまに車が通った。ぼんやりと数分見て、アレが映ったら嫌なので、テレビを消した。

『クライテリア4』の続きを読んでいる内に、寝落ちてしまうつもりだったのに、目が冴える。ベッドも浴衣も落ち着かない。阿部和重『オーガ(ニ)ズム』についての論考が面白かったので有益、でも眠らないと。

4時間ぐらいは寝た?夜中は流石に寒かった。寝ながら寒いと思っていた。窓の内側に取り付けられた戸を開けて、新鮮な光を迎え入れた朝、何が起こるのか分からず、怖くて触らなかった壁のつまみを回したら、ぼーっと音がして暖房が入った。暖かさの向こうに、神様の存在を感じた。朝といっても、すでに8時半。冗談に現を抜かしている場合ではない。髭を当たるのは止しといた。血まみれになりそうだったから。軽くシャワーを浴び、歯を磨き、残っていた氷結を飲み(順番がおかしいのでは?)、着替えた。終えてしまえばすべてが、いつだってなんてことないのに。チェックアウトと会う約束は10時だったけど、9時半には部屋を出た。

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そんなこんなで、予約してあるという居酒屋が開くまで、駅前の居酒屋に入った僕らは、再会を祝って乾杯した。それまで何も食べていなかった僕は、酔いが回るのを恐れて、一杯目はウーロン茶だったけど。

基本的には、長野県らしさのないものを食べ、さまざまな話をした。個人的な会話を明かすわけにはいかないから、内容を詳細に書くことはしないが、それまでに彼の書いたものを読んで、いわゆる美少女ゲーム的なものの知識を持っているようだったから、年代的に同じか、少し上を想像していたので、年下と聞いて驚いた。人生の先輩(冗談だよ!)として、驚いている場合ではないのだが、そういう仕事が決定的に苦手なのだ。出来ない後輩ポジションで甘えていたいのだ。それらしいことは何も出来なかったので、出来ないのに先輩という最悪の位置に収まった。

場所を移しても、同じような会話を続けていた。「千曲錦」を飲んで、やっと長野感を味わったといえるのだろうか、と考える間もなく酔った。酔いながら、将棋を指していた記憶と、かなり優勢になった記憶と、負けた記憶のピースがあるのだが、どうしてそうなったのだろうか。強い人の王様には謎の耐久力があり、指しながら、これだから将棋は嫌いだ……と、ぼやいていた気がする。そう言いながら、明日もう一局やろうと約束をしてしまう。将棋へのツンデレである。

対局中、隣の個室からビックリするほどネトウヨのテンプレみたいな会話が聞こえてきて、ドン引きしてしまう。前後の話からして、社会的な立場のありそうな人々だったけれど。それ、ネットで読んだことある奴……と思った。そうした人々は、なぜ他者の言葉を、どこかで読んだ論理を、そっくりそのままなぞることが出来るのだろうか。少し考えれば、あまりにも馬鹿馬鹿しいと気づくようなことも、誰かから拝借すれば言えてしまう。「その言葉は誰のもの?、本当にあなたの言葉?」という問いは、深めていくと面白そうだと考えてしまったから、負けたという言い訳をするつもりはないが。

締めのラーメン屋でカレーまで食べて、ラーメン屋なのにカレーが美味しいということの面白さを堪能している内に22時。チェックインの時間。お金を払って手渡される鍵。サービスでもらったホットミルクティーを飲みながら、狭いロビーで談話。『ヨーロッパ企画の暗い旅』が好きだという話の流れから、スマホで動画。次の講義まで時間がある時の大学生感。

彼がどう思ったかは知らないが、僕は勝手に、これは大丈夫だぞ、と思った。これは増えたぞ、俗に言う友だちが、とホテルで一人になった僕は思った。自販機で氷結を買い、階段を上り、自室の扉がやけに開けやすかったので、缶を取り忘れたことに気付き、急いで戻った。氷結はまだ、そこにあった。