【N】の旅-2

ブログ「いらけれ」

だから、ひねくれ者と言われるのだ。旅の真っ最中なのに、裏道へと入ってしまう。そこに住んでいる人みたいな顔をしていたら、時代の付いた喫茶店のカウンターに一人立つおじさんが、こいつ入ってくるのかという顔で、変な表情が向き合ってしまった。東京から遠く離れた。旅館みたいな建物に、トヨタレンタリースと書かれた看板が出ている狭い道を抜けよう。

ここは狭い道の方が少ない。とにかく、ほとんどの道の幅が広くて、歩くために作られていないことが分かる。ビルを避けるかのように左へとカーブした道の先、視界が開けたところで立ち尽くしてしまう。そこから見える景色が、えげつない美しさだったから。まるで背景ではなく、主役級の存在感。

上り坂。向こうは青空なのに、小雨が降ってきた。日が当たらないと、メントールを含んでいるみたいな空気が、より一層冷たい。水滴で、上手く操作できないグーグルマップを確かめたら、道を間違えている。マフラーから出ている耳が痛くなって、昼飯時、ぞろぞろと出てきた人々の間で、泣きそうになっている。それでも、上り坂を行く。

30分で着くはずだった僕は、参道の入り口にいた。正規ルートを辿ってきた観光客に混ざった。ようやく雲が晴れて、土産店や茶屋が賑やかで、気分が高揚してくる。ずっと上ってきたこともあって、汗ばんだ首元からマフラーを外した。すれ違ったツアーガイドの説明が耳に届いて、足元の石畳は確かにきれいだ。

そんなこんなで、やはり観光は苦手である。謂れを知ろうともせず、信仰もないように見える人々は、なぜここにいるのだろうと考えてしまう。なぜ写真を撮っているのだろう。それはスタンプラリーのようなもの、あるいは、とにかく長い歴史があるということのありがたみ……他に行くところもないからと、ここまで来てしまった僕も、同じ穴の狢なのだが。
簡単には行けないからありがたいという、つまり、神聖さの源泉となっているものの一つが距離なのだとしたら、その反対にある気軽さが生み出すものは経済効果だけではなく、大切な何かを塗りつぶしてしまっているのだろうと思った。申し訳ないから、本堂をぐるりと一周して、しっかりと目に焼き付けた。

まだ時間はあるけれど、とりあえず駅方面に戻ろう。途中、本屋があったから寄ってみた、客はおじいさん一人、どうしてこうなってしまったのだろうという酷い本の並ぶ棚の横、エッチな雑誌を開いていた。真っ昼間。リアリティにクラクラしながら店を出て、坂を下って、少しすると左手に、大きなアーケード街がある。おそらく僕は、ここに足を踏み入れるのだろう。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤