ブログ「いらけれ」

袋に入ったパンを、真剣な目で見つめている。腕組みをしながら、うんうんと唸っている。時計の針は、12時を指している。頭にバンダナを巻いたら、ライク立川談志といった風情である。今日一日のことを思い出してみれば、食べてはいけないという思いが、頭をもたげるのも当然だろう。

メインは映画を見に行くことだったし、さらに言えば、午前中には髪を切りに行ってしまうつもりだった。やる気に満ちていた朝の8時に、いきなり出鼻をくじかれた。時間を確認しようとして触ったスマートフォンが、画面に綺麗な模様を映すだけの機械になっていた。時間が解決してくれることを祈って、もう一度眠った。

時計の針は12時を指している。すべての予定は吹っ飛んだが、確かに問題は、時間が解決していた。昨日申し込んでいた故障の補償が届いていた。データを移行させる準備は終えていた。本当に間一髪だった。リビングで作業を始めた。

アナウンサーが何かを話している。意味は分からない。僕は、この国に来て間もない。それにしても、噂で聞いていた通りだ。誰もが目を合わせないように立っている。子どものころにテレビで見たSFを思い出した。

準備さえしていれば、何とかなると思うなよ。すべてを終えるまでに、3時間はかかっただろうか。ダウンロード、インストール、ログイン。これが21世紀だなんて信じられない。かくいう私は、20世紀の終わりに生まれたから、21世紀を輝かしい未来だなんて思ったことがない。その新しい時代は、私が夢を見る前にやって来たのだ。

準備が万端だなんて、絶対に思うなよ。まあ、大したことではなかったんだけど、二つのゲームアプリの、引き継ぎのために必要なパスワードをチェックしていなかった。しかし、前のスマートフォンは、複雑な緑色のパターンの表示に特化してしまったはずだった。時間を巻き戻すと、視界の端で、母が試しに触っていたのを見た気がする。ダメ元で電源を入れると、いつもの画面に戻った。
それで作業して、また置いてをしていたら、再び緑色。母に冗談で、「また壊れたから直してよ」とスマートフォンを渡した。飲み物を取りに行った私の背後で、「画面ついたよ」という声がした。
この話には続きがある。「なになに!?」と驚いた私は、本当に何かの力があるのではないか、いやそんなはずはないと、科学とオカルトの間で揺れていた。それで、部屋に戻って、使えるようになったスマートフォンを使って、気になっていた「バトルライン」というアナログゲームを基にしたアプリをダウンロードして遊んだ(100回ほどしかダウンロードされていなかったので、現役のスマホに落とすのが、少し怖かったのだ)。ちゃんと遊べるじゃん、というか、かなり楽しいなあと時間を忘れて熱中していたのだが、一度電源を落とし、トイレに行って戻ると、案の定また壊れてしまった。もう夕飯の時間になっていた。ついでにリビングへとスマートフォンを持って行き、科学を捨ててオカルトに頼った。そして案の定、母の手でスマートフォンが生き返った。背筋がゾクッとした。偶然以上、心霊未満だ。

そしてまたアプリで遊び、一日が終わった。台風が来ているわけでもないのに、外に出なかったのは久しぶりだ。パンは食べない方が良いだろう。これ以上太るのはゴメンだ。腹が減って、日記が書けないということもないだろうから。

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一行も書かないまま『失踪日記』を読み始めてしまい、最後まで読んだ後に、表紙の裏に隠されたインタビューまで読んだ。

夢とか希望が体から抜けていく感じがある。そのようにして暮らす自分を認める。天才たちの仕事を見ていくことが、この先の人生だ。カンチガイしていないだけで充分、そう思って生きていこうと思う。

寒くなると眠くなるという話は、もしかしたら前の冬にも書いたのかもしれない。暖房一つつけていない部屋のカーテンを開けると、サッシに結露している。空間のなかから現れた水分がそこにある。光の差し込む部屋で二度寝する。体温が"一回り"上がったような感覚があって、ふわふわと起きて、時間が来たので手を動かす。

部屋着も外着も長袖になって、気分が新しくなる。天気はくもり。行く当てもなく彷徨う。ベビーカーに乗り込んだ犬が振り向いて、信号が赤になる。後ろ姿では小学生のようなおばあさんが前を歩いている。青になったから横断歩道を走って渡る男の子は児童館に誰を待たせているのだろうか。下を向いて歩けば、今でもシケモクが落ちていたりするのだろうか。視界に入ることと見ることは違うから、見ていない人間には見えないというのは、すべての物事に通じている。心の空白を通り抜ける電車を待って、踏切を越えて、コンビニの入り口の横のフリーペーパーの求人誌を手に取って、電話をかける。アルバイトに応募するのは初めてだったから、緊張しながら、恐る恐る「求人を見たんですけど……」と切り出すと、応接もそこそこに、「どちらにお住まいですか、ウチは交通費が出ないんですけど」と書いてなかった情報が出てきた。西所沢の酒屋だった。「じゃあ、やめておきます……」と断って、電話を切った。

スピーカーから聞こえる機械的な音声に従って、いくつかのボタンを押して、やっと女性が出てくる。置いておくと勝手に再起動するようになった、と症状を話す。「お済みですか」というアプリのチェックなどは、すでにやっている。電話の向こうで、同じ画面を見ながら操作すると説明されるが、それは知っている。経験したことがある。会話が進行して、同じ機種をタダで送るという。イヤホンジャックが壊れてしまったらしく、片耳が聞こえなくなっていたので、ついでとはいえありがたい。こうして、手続きを一つずつこなさなければならない。生きているから。

ポイントをたくさんもらうためには、まず、楽天ブックスで1000円以上買わなければならなかった。だから、長嶋有の『いろんな気持ちが本当の気持ち』と『安全な妄想』を注文した。ごお、という音が部屋に響く。雷が鳴っている。雨も降っているらしい。日記を書かなければならないのに、本棚に手を伸ばしてしまう。これは日記だ。その他の何物でもない。

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今日は、楽しい事をたくさんしたいと思って、たくさんしてきたわけですが、その話はまた後日。

帰ってきて、夕飯を食べているときには気づかなかったけど、楽しい事が一斉に、僕の元へとやってきたため、かなり疲れていたらしい。自室の布団にへたり込んで、ラグビーワールドカップの日本対南アフリカ戦を見ていた。前半の途中、南アフリカの選手が頭に手を置きながらキツそうな顔をしていて、日本の田村選手は笑顔だったから、「これは後半、日本がグッと点数を伸ばすぞ」なんて思っていたけれど、見当違いだったようだ。やっぱり、決勝トーナメントに入ってからが本番というか、また一つレベルが上がるようなところがあるのだろう……って、見当違いをかました男が、何を言っても説得力はないけれど。

僕が面白いなあと思うのは、言葉の使われ方が変わっていることに、言葉を使っている張本人たちが気づいていないこと。そういう言葉の一つに「考察」がある。インターネットに暮らす人々は、朝から晩まで「考察」、寝ても覚めても「考察」、「考察」でユーモラス。そして語られる勝手な深読みと謎解き。映画は、ドラマは、アニメは、物語はパズルではないのに、そういう基本も分からない人が、伏線回収ができていないとか言うのだろうか。どれだけ「考察」したって、正しそうなことは正しいことではないし、合ってそうなことは合っていることではないのだ。そもそも、答えのない問いだってあるのだ。はあ、と一つため息(このサイトの検索窓に「考察」って打ち込んじゃダメだぞ☆)。

あの、駅の向こうの小学校の前の大きな道のこちら側にある、一階がガラス張りになっていて、その向こうには、今は何もないけれど、昔は保育園があった建物。そこの入り口の上に、木の棚が作ってあって、植物が絡まっている。緑色の実が、いくつも連なって房になっている。
これは……葡萄だ!街中に葡萄がなっている!光景にリアリティがない!誰かが採って、食べるのだろうか。そして、美味しいのだろうか。とても気になる葡萄が木になる。


TWICE 「Fake & True」 Music Video

日本語曲にしては!って思った(察してください)。しかし、曲を作ったのが誰か、検索しても分からなくて、そういうところを大事にしてほしいと思った。そして、「HAPPY HAPPY」のMVを久しぶりに見返して、やっぱり、全体的なやっつけ感がすごいなって思った。クオリティをコントロールしてください、お願いします、って思った。

まじでポッドキャスト番組がリリースされそう。なぜならサイトを作ったから。あとは、音声を編集して、記事を作って、iTunesに登録するだけだ!
……うん、まだ結構あるね。大変だね。僕、頑張るよ。

ブログ「いらけれ」

すっかり肌寒くなったので、長袖。長ズボンで歩いていたのは、夏の間もそうだった。どんよりと曇っていたが、雨は降っていなかった。左手の甲の真ん中の皮が、小さく剥けて血が出ていた。そのことに気が付かないほど、集中していたみたいだ。

伏線は「ダイアリー」にあって、僕は、将棋大会に出ていた。その結果、賞状をもらった。トーナメントの山は二つしかなかったが、それでも代表は代表だ。来月の頭には、河口湖近くのお店にまで行って、全国から集まった(岐阜代表もいるらしい……)猛者と、熱い戦いを繰り広げる予定だ。この事態に、僕が一番驚いているのではないか。恐ろしいことになった、本当に。

将棋に勝ったのは嬉しかったけれど、山梨からの帰りは自費になりそうで、それはそれで恐ろしい。高速バスを使っても、2000円ちょいかかるって、乗換案内アプリが教えている。これは……大会に優勝して、賞品をいただいてくるしかないな。

いくつかのクリニックが入った建物の前に、それは立っていた。高さ2メートルはある、大きなオブジェのような看板だった。立っていたと書いたが寝ていた。根元で折れたのか、それとも予め倒されていたのか、錆びた面が顔を覗かせていた。あの台風のことを思った。

灰色の空が黄色くなった。黄昏時が訪れていた。飛ぶ鳥を見ていた。黒い羽が広がって、広がっていた黒い羽に重なった。戯れるように二羽が、左から右へと移動した。そちらへ目をやると、視界に収まらないほど長い電線に、すでに、無数の影があった。ああ、そうだ。僕はそう思った。秋から冬にかけての季節を、僕は繰り返し、もう何度も、何度も生きていた。だから、満員電車のように、鳥たちでぎゅうぎゅうの電線を見て、はっとした。それは、あの秋にも、いつかの冬にも見た、ありふれた光景だ。しかし、だからこそ実感できたのかもしれない。高温の季節を乗り越えたということを。

おセンチな気分に浸っていたのは、それほど長い時間ではありませんでした。行き交う車に、流れる川に、どこにでもあるキンモクセイにさえ、趣を感じていたのは。
そんなものは、向こうから歩いてきたおばさんの、左手に着けられた厚手の手袋に、フクロウと思しき鳥が、がっしりとつかまっている姿に、ぶっ飛ばされてしまったのです。猛禽類ですぞ。
フクロウが、それと同じか、それ以上にミミズクが好きな僕は、素直に羨ましいと思いました。とても可愛らしかったのもあって。でも、実際に飼うとなると、きっと想像以上に大変なのでしょうね。羨ましいと思えるのは、何も知らないからなのでしょうね。

気にして歩いてみると、民家の庭から公園まで、本当にキンモクセイはどこにでもあるということを、思い知らされます。もしキンモクセイが、地球を侵略しにきた宇宙人だとしたら、日本支部については、かなり成功を収めていると言えるでしょう。