ブログ「いらけれ」

こうすれば良かったとか、ああするべきだったというような記憶に、やけに苦しめられるぐらいなら、前だけを見ていたい。過去は決まっていて、未来しか動かせないからだ。しかし、あまりにも突然、大きく事が動き出すと、流石に心が付いていけなくて戸惑う。戸惑いのなかにいる。

まったく関係のない話をしよう。そうやって、都度都度思考をさっぱりさせていこう。幹線道路から一本入った裏道を歩いていたら空き地があって、その前に大きな看板が据え付けられていた。カラフルな配色の背景の上に、「この物件に関するお問い合わせはこちら」と、でっかい文字で書かれていた。馬鹿者には見えない家なのかなって思った。

およそ実家というものは、見る気つもりのない番組が、リビングのテレビに映っているものである。そういう実感を噛みしめつつ、出かける準備のために右往左往していたら、ナレーションをする水樹奈々の声が聞こえてきた。
僕は、将棋や野球、サッカーがとても好きだから、話されている声から、解説しているのが誰かを当てるのは造作もないことで、「聞き解説」検定があれば、準一級ぐらいは軽々合格してしまうことだろう。
でも、僕はオタクではないから、声優という仕事に就いている人々のことをよく知らないし、当然、聞き分けられる自信もない。それなのに、一声聞いただけで水樹奈々だと分かった。そのことに、とても驚いた。
人間というものは、思いも寄らない能力を、思い掛けずに獲得していることがあり、その上、勝手に習熟していることがある。意志とは無関係にできることが増えるというのは、ある面ではポジティブな現象なのだろう。でも、得ようとして得たものでは無い何かは、なんだか不気味だ。

スコットランド戦も見ないで遊ぶために入ったカラオケ屋は満室で、ロビーで待ちながら、ユーチューブで違法に試合を生放送してはいなかったから、持ち込み可能の文字を見て買い込んだお菓子を食べることもできずに、ただそこにいた。部屋が空けばこっちのもので、新しく買った(のは僕ではないが)「ガイスター」で遊んだり、持って行った(のは僕だ)「カルカソンヌ」で街を作ったり、「バトルライン」でハイレベルな攻防を繰り広げたりしていた(戦術カード4枚の撃ち合いの末、形勢が二転三転するなど、かなり極まっている)。そして、その様子を録音していた。つまり、新しいラジオ番組が起動したというわけである(ゲームをプレイ中の音声については、結構な沈黙の間があったので、公開するかどうか未定)。番組名も、夜中の2時に決まったし、あとは僕がサイトを作るだけ……って、それもそれなりに大変なんだけど。明日は落語を見に行くし、予定が詰まっている。良い日々だ。

<記事作成中の様子(ユーチューブ)>

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星野源 – さらしもの (feat. PUNPEE) [Lyric Video]

ぼっちの足元の先は
ほぼほぼ 道すらなかった

タワーマンションの最上階で、眼下に広がる街並みを見ていた。落ちたはずの陽は、私が眠っている間に昇って、斜線の光が降り注いでいる。風に煽られた鳥が、それに逆らうように飛んでいく。絵画のような世界。スムージーを飲みながら起動したMacで、おすすめされるままに動画を再生した。

あらゆる言論活動において、邪魔なものでしかないのかもしれない、思い入れは。まさか、まったく別々に、まったく別々のタイミングで、まったく別々の場所で知った二人が、このような形で合流するなんて、生きるっていうのは驚きの連続だ。星野源について少しだけ詳しい僕は、歌詞の意味に涙を流さざるを得ないわけだが、やっぱりヒップホップというのは、自分を語るのに最適な音楽ジャンルなのだろうと思った。

自分のことをいかに語るか。

最近は麻雀ばかり見ている。近藤プロが「カッ」って言って發をツモって、大三元をアガるところも生で見ていた。前シーズンの、瀬戸熊プロの四暗刻に勝って、清一色をアガった時と同じ「カッ」だった。こういうことって、書いていかないといけない気がする、なぜか。

台風が過ぎ去った後の朝は、結構暑かった。現状確認のために、僕は外へ出た。野次馬根性的な、いやらしいところが出た。
街は恐ろしく変わりがなかったから、台風をすっかり忘れてしまったかのようだった。歩道は乾いていた。あれだけ降った雨の水は、どこへ行ったのだろうか。中学校のグラウンドには、いくつも水たまりができていたが、あの雨から考えれば、小さいといっても過言ではなかった。マンションの外壁工事のために組まれた足場は、そのままの形を保っていたから、僕の心配は杞憂だったようだ。全面を覆っていたカバーは、上の方を外して、絞って、風の影響を受けないようにされていた。
普段は水がほとんど流れていない川に、白濁した水流があって、それだけが異様だった。見たことのない色をしていた。速度もあった。川べりの雑草が一方向に傾いていたのは、もっと水量があったときに付けられた癖だろう。
スーパーマーケットにも、しっかりと商品が揃っていたから、観測者気分のままで見て回った。イートインスペースで、おじさんが寿司を食べていた。平和な状況をもらった人間は、それを活かさなければならないと思った。無力さや非力さを嘆くのは、後世にとっておこう。

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非常に勢力の強い台風は、この場所も襲って、僕はその様を見ていた。夜中から降り始めた雨は、ある時には、ひどい夕立のようになった。激しい風の、その強さも、木の枝が大きく揺れる姿で確認した。灰色しかない空の濃淡で、雲の流れる異常なスピードが分かった。

家の近くにだって川は流れているのに、川が氾濫したということが、一つのニュースとしてしか受け止められない。安全圏なんてないのに、自分が安全圏にいると思っている。他人事だと思っている。

それでも日記を書こうと思ってしまったのは、僕の傲慢さなのかもしれない。でも、ここにはデマもヘイトも陰謀論もないから、少しは安心できるはずだ。見ず知らずの眠れない誰かが読んで、退屈すぎてウトウトしてくれたら、それだけでもいいし。

ただし、部屋の真ん中に座り続けていた一日だったから、ビックリするほど書くことが無いんだよなあ。人体切断イリュージョンを見た時ぐらいのビックリだ。
あ、そうそうTVerで『人間性暴露ゲーム 輪舞曲~RONDO~』は見た。正体隠匿系のゲームで遊ぶ番組。解説者として出演していた伊集院光が、抜群の仕事をしていた。ボードゲーム好きで、分析力とコメント力が確か。出てもらえれば勝ちという感じの人選だから、「オファーした人、分かっているねえ」と、嫌な視聴者みたいな感想を持った。
第2ゲーム目の最後は「おおっ」と思う結末だったわけだが、公式サイトでルールを読んだら、「おおっ」と思う結末ではなかったことが分かった。

※以下ネタバレ注意。10月26日まで視聴できるようなので、見てから読むことをおすすめする。


「魔女狩り」での勝利を、「独身」の松丸は「これしか生き残る道はない」と語っていたが、実はそうではなかった。お互いの役職が、「独身」だと考えている松丸と若槻は、そのままお互いに「プロポーズ」をしても、勝利していたはずだ。

「独身」チームがプロポーズし合っていた場合、「結婚相手」の指名権を得るのは、最多得票(2票)を集めた「既婚者」の高橋か松丸。同票のため決戦投票となるが、そこで若槻が心変わりをしなければ、仮に松丸が指名権を得たとしても、若槻を選んで勝利となる(幸せな結婚)。

そして、「魔女」の長谷川と「貧乏人」の指原が、「プロポーズの時間」と同じく高橋を選び、高橋が指名権を得たとしたら……。
ここで、番組内では明確に語られていなかったと、私は思っているのだが、見逃していたらゴメンナサイなルールが問題となる。それは、【「悪人」チームと呼ばれる、「独身」以外の役職陣で結婚が成立した場合、「独身」チームの勝利となる】というものだ。

つまり、「既婚者」高橋が指名権を獲得する上記パターンの場合、「結婚相手」に選べるのは「魔女」か「貧乏人」であるため、公式サイトに載せられたルールの表現を借りれば、「独身に不幸が訪れなかった」として、「独身」チームが勝利となるのだ。


ふう。思っていたより長くなってしまった。どうやら僕は、ゲームの細かい戦略やルールについて考えるのが、とても好きみたいだ。しかしまあ、これぐらいのことは、誰でも書けることだから……とか言っていたら、まっさらだった明日のスケジュール帳に、ボードゲームをする予定が入る。すごい偶然、というほどでもないのは、僕から水を向けたからなんだけど。やったーと思って、今日は大人しく寝よう。

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明日は外へ出られないかもしれないと思って雨は降っていたけど出かけた。

これは本当のことだろう。記憶ではそうなっている。最近は本当の事ばかり書いている。本当の濃度が濃くて息が詰まる。不自由が嫌になる。

教養がなくて勉強もしない人はゲームをやるか思い出を語るか暴露をするかしかなくなっていく。そういうユーチューブチャンネルをたくさん知っている。そういう他人に苛立っている。つまりそういう自分にも苛立っている。

雨はそこまででもなかった。たまに強くなった。大体は傘を差すほどでもなかった。風もそこまでではなかった。一度だけ傘が裏返った。そこは熱帯魚を売っている店の前だった。大きなガラス窓だった。割れたら大変だなと思った。窓ガラス一つとってもテープを貼った方がいいとか悪いとか意見が割れていた。期せずしてジョークになった。

木のこぶが巨大な昆虫のような形をしている。霊園のフェンス沿いに木が並んでいる下を歩く。葉と葉の間の橙色に金木犀かなと思ったが違った。今年はまだ金木犀の香りを感じていない。言葉が海を渡ることにも時代を超越することにもリアリティが持てない。そんな切実さを持って言葉を発する人はもういない。瞬間的に花火のように爆発して散る。誰もがそれで構わないと思っている自殺の季節だ。

聞けば答えが返ってくると思っている内は子どもだった。探ればすべてに原因があると考えている内は幼かった。空に開いた穴を鏡に映したみたいに地面が陥没した。これはSFではなかったしCGでもなかった。とてもリアルな映像のVRみたいだと思った。ただし私たちに驚きを与えたのは数週間だった。すぐに見慣れた。報道は良い宣伝になった。すぐに観光地になった。すでに写真家たちが何枚も撮影した真っ暗な空間を素人たちが挙って撮った。何人か落ちて柵ができた。向こうにも街があった。一大決心をして居を構えることにした人がいた。その家があった。使われなくなった子ども部屋にモビールが吊るされていた。ろう石で円が描かれた道があった。白線の上をトラックが走って揺れた。それらをすべて覚えていた土地がなくなった。故郷を失った人がいたことを忘れてはいけなかった。そのはずだった。

家に着くと電話がかかってきた。台風のせいで予定が飛んだ。明日は一人で何をしよう。部屋のなかでもできること。幸いなことにやりたいことが見つかった。やりたいことがあって幸せだ。みんなが幸せだったらいいと迂闊にも思った。