ブログ「いらけれ」

文章を書くために生きているわけではないのだから、そのことに囚われていてはいけない。文章を書くことによって生かされているのだから、ただ書くことを続けていれば、それでいい。

人はなぜ、いけないことだと分かっていながら逢瀬を重ねるのか、全然理解できねえなあと思って、冷たい便器に座って上を見ていた。どれだけの快楽だとしても、過ぎてしまえばなくなるというのに、繰り返すということ。人間が"本当にしたい"のは、繰り返すことなのではないだろうか。繰り返しの苦痛に隠れて、繰り返しの快楽があるから、毎日通勤して、日々の仕事をこなせるのかもしれない。あるいは、連続殺人鬼になるのかもしれない。
何を繰り返せばいいのかが分からないから、苦しいのかもしれない。死ぬまでこれかと、最近はよく思う。生きていくためには、おそらく、それを繰り返していることへの疑いを忘れなければならない。穴を掘り続けることを、掘り続けたいとかそうではないとかの前に、掘ることに熱中できている状態が、幸福というのだろう。
シニックになりたくはない。誠実な人間でしかいられない人間になりたい。つぶさに日常を点検し、好きな服を買うようになったりするのだろうか。ずぼらが悪いことだとは思わないが、すべては現状の谷につながっている。あらゆる諦念を打ち負かし、一歩を踏み出さなければならない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。せめて、生きていたいと思って生きていたい。できれば、それなりに働いて、一人暮らしをしたい。

フットワーク良く外へ出た。そこで起こったことについて、すべては書かないが僕は、昼間に起きて少しだけジジェクの本を読んだけど、あと3、4章を残してタイムアップだった。図書館まで歩いた。1時間まではいかなかったが、本棚の前で相当に悩んだ。何に興味があるのかも分からない。価値の無い人生が馬鹿らしいと思う。
バルガス=リョサの小説を一冊も読んだことがないのに、『若い小説家に宛てた手紙』を借りた。ぱらぱらと開いた頁に、僕が読むべきことが書いてあった。馬鹿らしい人生は、しかし、必然として、すべてがこの瞬間につながっていたのかもしれないと思った。これによって、ようやく僕の人生が始まるのかもしれない、とも。
暗くなった街をぐるりと、自警団のように一回りする。陸橋の下の駐車場の前に、なぜかテーブルが置かれている。それは、僕にとっては、レスラーがその上に相手を投げつけるためのものだった。それか、上に寝かせた相手へと、体を浴びせるためのものだった。そして、綺麗に割れなければならないものだった。僕の心にはプロレスがあるから、ARのように、それだけでプロレスが再生されたのだった。ありがとうと感謝した、僕の愉快な暮らしに。

ブログ「いらけれ」

あなたが発する"言葉"には力がある。あなたが心得ている以上に。現実は、言葉によってなる。言葉以前の世界には戻れないのだから。
だから、あなたは言うべきだ、ということにはならない。多くのことについて、あなたはあなたが思っている以上に無知だ。だから、多くの場合において、あなたは黙らなければならない。しかし、そうはできない。そのようなな自制心を持っているのならば、そもそもインターネットに入り浸ったりしないではないか。
とにかく言う、そういう人間しかいないSNSに、疲れないわけがない。だから私たちは、一刻も早くそこから撤退しなければならない。あなたが賢明な人間ならば、今すぐにそれを手放すことだろう。
私たちに欠けているのは愛だ。これだけ言葉が溢れているのに、愛の言葉の流通量が絶対的に足りていないのだから。あなたは今すぐに、愛を届けるべきなのだ、主に私へと。つまり……褒めてくれても良いんだよ?

髪を切ったのは、反省を示すためではない。確かに、残り物のタンドリーチキンをカマンベールチーズソフトに挟み、その上さらに、スライスチーズも入れてトーストしたのは、カロリー摂取量的に悪いことをした。美味しくて、脳が溶けた。昼間から、氷で一杯にしたグラスに、梅酒を並々と注いだのも良くなかった。大悪党の暮らしだ。
すぐ暗くなる冬に近づいて、手すりを濡らした雨が冷たい。いつまで降っていたのか、いまは寒さだけが残っている。グラスが空になって、身体の芯に熱がこもった。靴に踵を入れながら前に出ると、遠くから救急車のサイレンが近づいてくる。ベッドに横たわった女性の額に、長い髪が張り付いていた。足元には、近所のボーリング場のスコアが、くしゃくしゃにして捨てられていた。そこに至るまでに、どういう物語があったのか、私にはまったく分からなかった。
乱暴な手つきで痛い。ガラスの向こうに並べられたマネキンの首になって、あっという間に短くなった。肌にまとわりついた細かい髪を吸引するための大きなホースは、髪を切ったのとは別の男性によって差し向けられた。私はまるで、工業製品のようだった。そのように扱われている時間は、この上なく心地良かった。
はみ出す髪がなくなって、やっと新しい帽子の雰囲気が分かる。夜に向かって、どんどんと冷えていく空気の冷たさが、首の周りへと直に伝わってくる。いつもより流れが速くなっている川を橋の上から眺めながら、私は考えた。月の最後の土日から31日まで、ハロウィンってずっとやるものなの?

ブログ「いらけれ」

このサイトが重たいことは分かっている。重たいよね?しかし素人には、何とかする術が分からなくて困っている。勉強するかー。面倒だからやめておくかー(突然に、そして劇的にサイトが軽くなったら、勉強したのだと思ってやってください)。

『ちびまる子ちゃん』を見たんです、この前。僕が見ようと思ったわけではなくて、リビングのテレビのチャンネルがそうだったから。「ゲスト声優祭り」というのをやっていたらしいんだけど、そのことを知らなくて、このキャラ、なんかすごい聞き覚えのある声をしている……というか、これ、めちゃくちゃ有名な人が声を当ててるのでは?というところまでは分かったんだけど、クレジットを見るまで田中真弓の名前が出てこなくて、声優聞き分け検定があったとして、まだまだ5級も受からないんだろうなって思った。
『ちびまる子ちゃん』って最近見てます?それじゃあ、見ていた時期はありますか?原作を読んだことのない僕が、何かを言えるとも思わないんだけど、まるちゃんって少し狡いというか卑しいところがあって、でも、それが魅力になっている落語の登場人物みたいなキャラだと認識していたんだけど、久しぶりに見たら、嘘をついたことを謝ったり、人助けをしたりと、とても素直な女の子になっていてビックリした。もちろん、たまたま僕が見た回がそうだっただけなのかもしれないけれど、この話は、「分配された」で『放課後さいころ倶楽部』について書いたことと併せて考えると、かなり視界がクリアになる感じがある。
物語から、飛び越えられる以外のあらゆる障害が取り除かれ、キャラクターから、あまりにも人間的な卑小さや、堕落する様が取り除かれていった先に、一体何があるというのだろう。あらかじめ成功が定められた物語は偽物だし、葛藤のないキャラクターに内面はない。

こんなことばかり書いて、何が面白いんだ。という怒りを抱いて、歩いていた。市民センターの前の掲示板の「東村山土曜寄席」のポスターの上に、「チケットは完売しました」と書かれた紙が貼ってあって、非常に落ち込む。遊雀師匠見たかったのに、と思うのならば、早めに行動すればよかっただけだ。当たり前のことができないから、このような暮らしが続いている。
奥田民生が、音楽で儲からないからTシャツを売るしかないと言っていた、という記事を読んだ。イトーヨーカドーのCDショップはなくなって、紳士服のエリアが広げられた。世界はこの通り、とても分かりやすく動いている。もう文化ではないということだ。
夕暮れ時の街には人がいない。坂道を下った先に、その左側に団地があって、16時57分にスイッチが入れられたから、電灯が点く。一斉に、のはずなのに、とてもばらばらに、瞬きながら点く。美しさに見とれている僕を、後ろから追い抜いていく人がいた。いつの間にか、そこに人がいた。腕時計でタイミングを覚えた僕は、この時間に、またここに来ようと思った。

ブログ「いらけれ」

なんとなく、ユーチューブでの生配信にも慣れてきて、気持ちが前向きになってきている気がする。配信をしなければならないから、書かなければならないと思えている。そうやって書いて、書いてしまえる自分を見直す。生活が上手く回っていると、元気が出るみたいだ。

家に着いてポストを覗いたら、珍しく近所のカラオケボックスのチラシが入っていた。詳しい料金表が書いてあったけど、つい最近、遊ぶ場所を懸命に探した経験のある僕は、すでにすべてを把握していた。下の方にクーポン券が付いていて、切り離してこれを使えば、室料が半額になるという。そっと手に取って、自室へと持ち帰った。

『2019年4月「デモクラシーCafe@東村山」(前篇)』において、『僕は友達が少ない』という作品タイトルが「いる/いない」ではなく、「多い/少ない」であることに着目した自分はすごいと、今でも思っているのだが、それは置いておこう。基本的に、友だちが多い人というのは、つまらない人だという偏見が、僕のなかにはある。でも、1が2になれば半分に、10になれば10分の1に、思いが薄まってしまうのは当然ではないのか?そうして思いが薄まっていくことを認めても良いものなのか?知り合いではなく友だちと、そう呼べる人間は数えるほどしかいないという状態こそが、実は理想的なのではないか?というのは、友だちが少ない人間の強がりなのだろうか……。
それにしても、居酒屋なんかで軽く一杯、気軽に飲みたいと思える人が、もう何人か近くにいた方が健康的な気がする。出会いは偶然だから難しい、とか言っている内に人生が終わってしまいそうだ。しかし、その方法が分からない。勢いで「バトルライン」も買ってしまったけれど、遊んでくれる人を見つけないといけない。こっちにはカラオケの半額券があるんだ!と、部屋で叫んでいてもしょうがいない。ゲームをしたいという気持ち以上に、もっとはっきりと、リアルで何かしたいという気持ちだってある。旅したい気分でもあるから、どこかに住む誰かが、僕が旅に出る理由をくれないだろうかと思ってもいる。
そういう時のSNSなのだろうが、全然上手く行く気がしなくて。というか、実際上手く行かないだろうという完璧な未来予測に基づいて、動くことができない。過去が、性格が、プライドが邪魔しているとか言って、いくらでも言葉にすることはできるけれども、現実を変えるのは、よっぽど難しい。

こんなんだから独りで歩いてた。みんなは逆方向だった。そちらには駅があった。僕は散歩の帰りで、誰かにとっては出勤だったり、遊びに行くんだったり、何かしらの歩かなければならない理由のある道は、ただの道だった。同じ場所にいても、全然違った。この感覚は、物心がついてからこっち、義務教育を経て、高校、大学と進学して、働くようになっても、いつでもつきまとっている。同じ場所にいるのに、全然違う。だから、これからもそうなんだろうな、きっと。


スネオヘアー「peaky」