ブログ「いらけれ」

明日は外へ出られないかもしれないと思って雨は降っていたけど出かけた。

これは本当のことだろう。記憶ではそうなっている。最近は本当の事ばかり書いている。本当の濃度が濃くて息が詰まる。不自由が嫌になる。

教養がなくて勉強もしない人はゲームをやるか思い出を語るか暴露をするかしかなくなっていく。そういうユーチューブチャンネルをたくさん知っている。そういう他人に苛立っている。つまりそういう自分にも苛立っている。

雨はそこまででもなかった。たまに強くなった。大体は傘を差すほどでもなかった。風もそこまでではなかった。一度だけ傘が裏返った。そこは熱帯魚を売っている店の前だった。大きなガラス窓だった。割れたら大変だなと思った。窓ガラス一つとってもテープを貼った方がいいとか悪いとか意見が割れていた。期せずしてジョークになった。

木のこぶが巨大な昆虫のような形をしている。霊園のフェンス沿いに木が並んでいる下を歩く。葉と葉の間の橙色に金木犀かなと思ったが違った。今年はまだ金木犀の香りを感じていない。言葉が海を渡ることにも時代を超越することにもリアリティが持てない。そんな切実さを持って言葉を発する人はもういない。瞬間的に花火のように爆発して散る。誰もがそれで構わないと思っている自殺の季節だ。

聞けば答えが返ってくると思っている内は子どもだった。探ればすべてに原因があると考えている内は幼かった。空に開いた穴を鏡に映したみたいに地面が陥没した。これはSFではなかったしCGでもなかった。とてもリアルな映像のVRみたいだと思った。ただし私たちに驚きを与えたのは数週間だった。すぐに見慣れた。報道は良い宣伝になった。すぐに観光地になった。すでに写真家たちが何枚も撮影した真っ暗な空間を素人たちが挙って撮った。何人か落ちて柵ができた。向こうにも街があった。一大決心をして居を構えることにした人がいた。その家があった。使われなくなった子ども部屋にモビールが吊るされていた。ろう石で円が描かれた道があった。白線の上をトラックが走って揺れた。それらをすべて覚えていた土地がなくなった。故郷を失った人がいたことを忘れてはいけなかった。そのはずだった。

家に着くと電話がかかってきた。台風のせいで予定が飛んだ。明日は一人で何をしよう。部屋のなかでもできること。幸いなことにやりたいことが見つかった。やりたいことがあって幸せだ。みんなが幸せだったらいいと迂闊にも思った。