ブログ「いらけれ」

すっかり肌寒くなったので、長袖。長ズボンで歩いていたのは、夏の間もそうだった。どんよりと曇っていたが、雨は降っていなかった。左手の甲の真ん中の皮が、小さく剥けて血が出ていた。そのことに気が付かないほど、集中していたみたいだ。

伏線は「ダイアリー」にあって、僕は、将棋大会に出ていた。その結果、賞状をもらった。トーナメントの山は二つしかなかったが、それでも代表は代表だ。来月の頭には、河口湖近くのお店にまで行って、全国から集まった(岐阜代表もいるらしい……)猛者と、熱い戦いを繰り広げる予定だ。この事態に、僕が一番驚いているのではないか。恐ろしいことになった、本当に。

将棋に勝ったのは嬉しかったけれど、山梨からの帰りは自費になりそうで、それはそれで恐ろしい。高速バスを使っても、2000円ちょいかかるって、乗換案内アプリが教えている。これは……大会に優勝して、賞品をいただいてくるしかないな。

いくつかのクリニックが入った建物の前に、それは立っていた。高さ2メートルはある、大きなオブジェのような看板だった。立っていたと書いたが寝ていた。根元で折れたのか、それとも予め倒されていたのか、錆びた面が顔を覗かせていた。あの台風のことを思った。

灰色の空が黄色くなった。黄昏時が訪れていた。飛ぶ鳥を見ていた。黒い羽が広がって、広がっていた黒い羽に重なった。戯れるように二羽が、左から右へと移動した。そちらへ目をやると、視界に収まらないほど長い電線に、すでに、無数の影があった。ああ、そうだ。僕はそう思った。秋から冬にかけての季節を、僕は繰り返し、もう何度も、何度も生きていた。だから、満員電車のように、鳥たちでぎゅうぎゅうの電線を見て、はっとした。それは、あの秋にも、いつかの冬にも見た、ありふれた光景だ。しかし、だからこそ実感できたのかもしれない。高温の季節を乗り越えたということを。

おセンチな気分に浸っていたのは、それほど長い時間ではありませんでした。行き交う車に、流れる川に、どこにでもあるキンモクセイにさえ、趣を感じていたのは。
そんなものは、向こうから歩いてきたおばさんの、左手に着けられた厚手の手袋に、フクロウと思しき鳥が、がっしりとつかまっている姿に、ぶっ飛ばされてしまったのです。猛禽類ですぞ。
フクロウが、それと同じか、それ以上にミミズクが好きな僕は、素直に羨ましいと思いました。とても可愛らしかったのもあって。でも、実際に飼うとなると、きっと想像以上に大変なのでしょうね。羨ましいと思えるのは、何も知らないからなのでしょうね。

気にして歩いてみると、民家の庭から公園まで、本当にキンモクセイはどこにでもあるということを、思い知らされます。もしキンモクセイが、地球を侵略しにきた宇宙人だとしたら、日本支部については、かなり成功を収めていると言えるでしょう。