ブログ「いらけれ」

口々に語り始めた人々の、少しずつの綱引きによって、あったことの形が変わっていく。ユーチューブでもなんでも、誰の審査もなく、何でも言えてしまう。口を封じられることと、無限に口が開かれることは、どちらも、とても恐ろしいことだ。放たれた言葉は、印象で信じ、無根拠に断罪し、とくに責任は取らない人々の間で回る。逃げ出したくなる。

人間性のぐずぐず。ラジオのニュース。大人になったら、言ってはいけないはずのことを、偉そうな誰かが口にしている。久々に苦笑し、吐き気を覚えた。そのように言葉を運用するべきではないことが、子どもでも分かるような、最低限の約束を反故にすれば、私たちは、私たちではなくなるというのに。もう期待はしていなかったとはいえ、最低を下回られると、呆れてものが言えない。

リアルを充実させたい。あるいは、リアリティを獲得したい。友だちを増やしていきたいところだ。呼びかけたら、人を集められたりするのだろうか?ゲームがしたいだけなんだけど。
暑いって言っていた、テレビでは。しかし、夕方に差し掛かっていたおかげか、それほどでもない。図書館まで歩く。
いつもは行かない萩山図書館で、鞄の水筒の水が揺れる音を気にしていた。10月になったら開いているかなあという読みは当たって、開いていた。パソコンのシステム入れ替えという理由で、1週間ほど閉まっていたからか、少し混雑しているようだった。
本を選ぶのは嗅覚だと思いますか。それとも、センスという表現をしますか。僕は、本選びは技術だと思う。表紙、奥付、目次、著者紹介。ぱっと見の佇まいと、ぱらぱらと頁をめくった際に目に飛び込んできた一文で、すべてを理解しなければならないのです。かく言う僕が、30分悩みに悩んで、はたして何を選んだのか。
手ぶらで帰った。今回は難しい選択だった。前日の夜に、Syrup16gを聞いていたからだろうか。同じような状況を、かつても書いた気がする。やっぱりこう、面白い本を読んだ後だと、どれも色褪せて見えてしまって。
あ、そうそう。館内のパソコンは、しっかりと新しいシステムになって、きっちり使いづらくなっていましたよ。ああ、なんだか上手く行かねえなあ、人生。

最新ビデオの棚の前で
2時間以上も立ちつくして
何も借りれない
何を借りればいい

Syrup16g『神のカルマ』

間違えちゃいけないのはさ、他者に冷淡な人は、何よりもまず自分の尊厳を毀損しているってことよ。そうでないと生き抜いていけない社会なんだろう、ということよ。みんなが自分の得だけ考えて、その結果、みんなが損をしているという、とても単純な仕組みだけがあるのだから、必要なのは愛ね。

ブログ「いらけれ」

ここのところ、この日記に広告が表示されないパターンが増えていることに、あなたは気が付いていただろうか。自分ではクリックしていないのだが、8月に「無効なトラフィック」(自分/依頼した第三者が、不当に収益を得ようとするクリックを行うこと)が検出されたということで、広告の配信が制限されているようだ。
インターネットでお金を稼ぐのは難しいんだな、ということを学んだ。グーグルがどのように判定しているのか、これでは悪意を持った誰かが、広告(の権利)を剥ぐことができてしまうではないか(実際に、「アドセンス狩り」と呼ばれる、そのような嫌がらせも行われているようだ)。
でもまあ、別に良いんだ。強がってるわけじゃなくて、そもそもが勉強と、練習と、会話のネタにするために作ったサイトだからさ。初めは日記だって書いてなかったわけだし。稼ぎは毎月数十円だったわけだから、身の立て方を考えなければならないのは、広告があってもなくても同じことだし。
ただ、なぜか魂を削りながら、日々これを書いているので、リアクションがあると嬉しいなあと、とても直接的に呼びかけてみる。なんかあったら、いや、なんもなくても、コメントを送ってみてよネ。

愚かしい人々と、さもしい人々が上に立つ。問題は、踏みつけられながらも、それを許すばかりか、権力者を支持したり、応援したりする人々が出てきていることだ。つまりこれは、あちら側にいる人々の、意識を変えるための戦いである。だからまず、「意識を変えるための戦い」の渦中にいるのだと、こちら側の私たちが、意識を変えなければならない(といったように、世界に線を引く者を警戒せよ)。

Mリーグが開幕したので、それを見ているって書けば、日記らしくなるだろうか。日記らしく書くことが、目的だったのだろうか。ああ、麻雀は面白い。
そうだった。この前、僕がなぜ、これほどまでにゲーム、なかでもボードゲームやカードゲームが好きなのか、考えたのだった。
もちろん、単純に「勝つのが好き」っていうのはある。生活のなかで、はっきりと他者に勝つ瞬間って、そうそうないからね。僕らは、心のかなり深いところで、争いたいし、勝ちたいのだと思う。
もちろん、純粋に「頭を使うのが好き」っていうのもある。今日だって散歩中、"「バトルライン」における戦術カードを引くベストなタイミング"を考え始めたら、聞いていたラジオが耳に入ってこないほど、没頭してしまったからね。思考すること、それ自体に快楽を感じてしまう人間が、僕らだ。
でも僕は、それだけではないと思う。ゲームが持っている、もっとすごい何かに触れる瞬間が、好きなのだと思う。あれは、真剣にゲームをプレイしなければ、得ることのできない感覚で、一枚、一手、一アクションによって、すべてがひっくり返っていく、その一瞬にやられているのだ。それは、ここまでの不運や不遇、犯した失敗や間違いでさえ裏返り、逆に、それこそが運命的な"正解"だったのだと、肯定されてしまう奇跡……。

朝礼の校長先生みたいに、とてもつまらない話をしてしまったから、これでは反応が無いのも当然だろうと、反省したからといって、話が面白くなるわけではない!私語を読んでいるあなたが悪い。

ブログ「いらけれ」

根本的に嘘つきだし、実際以上に卑小な人間として振る舞っているふりをして、実際はそれ以上に卑しい。引きこもりだった。心を病んでいる。運転免許証を持っていない。つまり、すべてを持っているのに、ルサンチマンだけを忘れてきてしまった。羨ましいと思う心すら挫かれてしまった。ね。この世でも焼かれているというのに、地獄でも業火にくべられるのだろうか。
おかしい。子どもの頃を思い出してみると、全部嫌な思い出だ。とても恵まれた環境で、毎日欠かさず三食取った末に、毒人間が生まれた。そんなことって起こるんだ、ということが起こった。金太郎飴のように、人生のどこを切っても、失敗が出てくる。もっとちゃんと、まともだったらよかった。しかし、そんな自分は、どのパラレルワールドにもいない。出発地点から、決定済みの最悪。

予感の通りの嵐になって、荒れた海の波が、岩にぶつかって砕けた。舫ってあった船は、どこかへ行ってしまった。強く吹く風の音だけが響いている。鳥が流され、犬がよろめいた。それでも世界は壊れなかったから、いつか、美しい夕暮れ時も訪れるだろう。僕の網膜が、それを捉えることもあるのだろう。

ぬるい冷奴を食べて眠って、違和感の無い夢を見て、パニック発作で目を覚ました。注いだ水の冷たさを、コップの表面で確かめながら、飲んだ薬をもらったクリニックには、もう行くつもりはない。精神科のことを考える。精神科か……。辛いけれど面倒だからな。
病院で聞いたのか、薬局で聞いたのか忘れてしまった。いつか、老齢の男と女が、「良い時代に生まれた」とうなずき合っていた。そこまで生きたから、そう思えているんだ、と理解するのは簡単で、それはつまり単純だ。そう思える人だけが、長く生き残れる社会なのだろう。僕は、絶対にそうは思えないだろうから、すぐ死ぬに違いない。
ちょっと負荷をかけると動かなくなってしまうのは、子が親に似るように、僕のパソコンもそうだ。ただ単に、安物だからなのだが。パソコンが欲しいと思って、ずっと探していたのだが、増税前に買うのが嫌で、そのままにしている。腹が立つことには、逆らっていかなければならないし、屈服せずに高楊枝を決め込む姿勢でなければならない。
日々アゲンストの連続で、そろそろ限界という感じがしている。新しいことを始める余裕がなくて、要領の悪さに落ち込んで、あんまり自分を苦しめないようにね。できるところから、できることを。