ピーキー

ブログ「いらけれ」

なんとなく、ユーチューブでの生配信にも慣れてきて、気持ちが前向きになってきている気がする。配信をしなければならないから、書かなければならないと思えている。そうやって書いて、書いてしまえる自分を見直す。生活が上手く回っていると、元気が出るみたいだ。

家に着いてポストを覗いたら、珍しく近所のカラオケボックスのチラシが入っていた。詳しい料金表が書いてあったけど、つい最近、遊ぶ場所を懸命に探した経験のある僕は、すでにすべてを把握していた。下の方にクーポン券が付いていて、切り離してこれを使えば、室料が半額になるという。そっと手に取って、自室へと持ち帰った。

『2019年4月「デモクラシーCafe@東村山」(前篇)』において、『僕は友達が少ない』という作品タイトルが「いる/いない」ではなく、「多い/少ない」であることに着目した自分はすごいと、今でも思っているのだが、それは置いておこう。基本的に、友だちが多い人というのは、つまらない人だという偏見が、僕のなかにはある。でも、1が2になれば半分に、10になれば10分の1に、思いが薄まってしまうのは当然ではないのか?そうして思いが薄まっていくことを認めても良いものなのか?知り合いではなく友だちと、そう呼べる人間は数えるほどしかいないという状態こそが、実は理想的なのではないか?というのは、友だちが少ない人間の強がりなのだろうか……。
それにしても、居酒屋なんかで軽く一杯、気軽に飲みたいと思える人が、もう何人か近くにいた方が健康的な気がする。出会いは偶然だから難しい、とか言っている内に人生が終わってしまいそうだ。しかし、その方法が分からない。勢いで「バトルライン」も買ってしまったけれど、遊んでくれる人を見つけないといけない。こっちにはカラオケの半額券があるんだ!と、部屋で叫んでいてもしょうがいない。ゲームをしたいという気持ち以上に、もっとはっきりと、リアルで何かしたいという気持ちだってある。旅したい気分でもあるから、どこかに住む誰かが、僕が旅に出る理由をくれないだろうかと思ってもいる。
そういう時のSNSなのだろうが、全然上手く行く気がしなくて。というか、実際上手く行かないだろうという完璧な未来予測に基づいて、動くことができない。過去が、性格が、プライドが邪魔しているとか言って、いくらでも言葉にすることはできるけれども、現実を変えるのは、よっぽど難しい。

こんなんだから独りで歩いてた。みんなは逆方向だった。そちらには駅があった。僕は散歩の帰りで、誰かにとっては出勤だったり、遊びに行くんだったり、何かしらの歩かなければならない理由のある道は、ただの道だった。同じ場所にいても、全然違った。この感覚は、物心がついてからこっち、義務教育を経て、高校、大学と進学して、働くようになっても、いつでもつきまとっている。同じ場所にいるのに、全然違う。だから、これからもそうなんだろうな、きっと。


スネオヘアー「peaky」

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Posted by 後藤