ブログ「いらけれ」

物欲が壊れた、あるいは、財布のひもが緩んだ、ないしは、消費でストレスを解消したかった。それとも、明日明後日とイベントがあったから?

僕は、いつも通りイオンに行った。休みだったから。肩掛けカバンは体に、というか肩に悪い気がしていたから、小さめのリュックを買った。3000円ぐらいの。お金があるわけではないが、とりあえず、再来月までは死なないだろうから。

それまで使っていたボロボロの肩掛けカバンをリュックに入れて、背負って帰るためには、タグを切らなければならない。行こうかやめようか迷って、意を決して、レジに戻ってタグを切ってもらう。ただそれだけ、声をかけるだけのことが大きなプレッシャーで、勇気を振り絞らなければならない人間がいるんだっていうことを、少しでも伝えられればと思って、これを書いている。
リュックを入れてもらっていたビニール袋もリュックに入れて、背負ってみるもののしっくりこない。肩紐が短い気がする。背中に対して位置が上すぎるような、背中の大きさに対して小さすぎるような気がする。デザインは気に入っているのだけれど、どうも似合っていない気がして、道端にあるガラス窓に写る自分の姿を、何度も確認してしまう。小学生のコスプレみたいになってやしないか。滑稽な姿なのではないかと、そわそわする。すれ違う高校生に、買ったばっかりで新しいこのリュックと、君のそのリュックを交換してくれないかって、声を掛けたいと思う。

その日は、他にも回収しなければならないものがあった。auスマートパスの抽選で当たったスイーツ。ローソンのプレミアムロールケーキと、ファミリーマートのバウムクーヘン。ローソンまで20分かけて行って、20分かけて戻ってきて、久米川駅前まで歩いて西友に寄る。実は、イオンに行く前に靴をチェックしていたのだ、僕は2000円の、あの靴を買うのだと思って売り場へ向かった。安靴は、そのままそこにあったが、サイズをチェックするのを忘れていた。26.5cmは、僕の足には大きい。売り尽くしで安くなっていることもあって、違うサイズの在庫は無いようだった。一応、少し離れたスーパーセンターまで行って、靴を見てみたが、安くもなかったし、デザインもイマイチだった。一番近い大きな靴専門店は、隣の駅の方だ。遠いよなあと、グーグルマップで経路を検索してみたら、歩いて20分で着くという。その時点で、もう歩数は1万2000歩にまでなっていたし、ロールケーキとバウムクーヘンがリュックに入っていたけれど、僕の運命は決まった。僕は、東村山駅の方面へ歩き出した。


Daniel Kwon -A Tiger’s Meal

ブログ「いらけれ」

子どもに夢を聞く意味はあるのだろうか。すでに夢を持っている子どもには聞くまでもないことだし、その多くが夢破れる運命にあるとしても、内に秘めておけばいいだけのことだ。そして、何よりも罪深いのは、夢を持っていない子どもが、悪いことをしているような気持ちや、あるいは劣等感を抱くようになることで、だから、名を成した人のインタビューで「子どものころは夢がなかったけど、○○に出会って……」と、そのことがトラウマ的に語られることになる。成功者はそれでいいとして、子どものころに夢がなかった者の多くが失敗し、そこには敗北感だけが残った。

土曜日には、「平成最初の僕たちだけがおもしろい特殊ゲーム会」に行ってきました。一応、初回からすべて聞いているリスナーとはいえ、ガチ勢リスナーの方々に混ざることはちょっと申し訳なくて、しり込みしていたのですが、とある縁があってお誘いいただいたので、勇気を出して参加しました。
生仁尾さんと生あららさんを見るのも初めてで、とてもドキドキして座っていたのですが、めちゃくちゃ楽しかったです、行ってよかった!
音声を録音していて、ポッドキャストで配信もされると思うので、あまり内容について詳しいことは書かないですが、これまで番組内で遊ばれてきて、ずっと聞いていたゲームを実際にやってみると、とても難しかったです。それでも、個人戦の方は30点以上取れたので(と言われても、その場にいなかった人には、良い点数なのか分からないと思いますが)、悪くはなかったですが、チーム戦の方では、全然貢献できなかったのが心残り。でも、参加されていた方々の、スーパープレーがたくさんあって、盛り上がれて楽しかったです。
また、おみやげがいっぱいもらえたのも嬉しかったです。内容もデザインも素晴らしい冊子や、かわいい鉛筆(!)をいただけて、作る大変さも容易に想像がつくだけに、そのサービス精神に頭が下がる思いでした。
でも、とにかくそのようにずっと、サービス精神たっぷりでポッドキャスト配信を、お二人とスタッフさんで続けてこられたからこそ、あれだけの人が集まって、あれだけ良いお客さんばかりで、あれだけ楽しいイベントになったのだろうなあと思いました。
そして、壇上のお二人が、トークで客席を大爆笑させている姿を見て、かっこいいなって、ちょっぴり羨ましいなって思いましたとさ。

本当は、春が近づいていることを、そのように書けるはずだった。しっかりと目は痒くなり、鼻水も出るようになったけれど、外はビックリするほどの寒さだ。ノースフェイスの緑の薄いジャケットで出かけたのは失敗だった。小平駅まで、夕方の墓地を歩いた。僕は、あまりにも一人だった。でも、今日も明日も、僕には会う人がいた。それに、傍らには歌があった。ささやかな幸福と希望があった。もっとささやかな未来もあった。上を向いて歩こうと思った。


GRAPEVINE – Our Song

もう二月のニュースも 「雪が降った」て告げた どこでさ?
春はもうちょっと 先の事でしょ? あれま もうすぐかい

ブログ「いらけれ」

朝5時にメールを書き、送信し終えて眠った。起きて、挙動不審な様子でラジオを聞きながら、家の周りを歩いて、耐えられなくなって帰ってきて、部屋でドキドキしたりしていたら、もう出発の時間になっていた。

この日は、友人と二人で「渋谷らくご」に行った。18時から1時間の会だった。

開口一番の小痴楽さんも触れていたが、会場に女子高生の三人組が来ていて驚く。冒険しているのだなと思い、なんだか羨ましく思った。『宇宙よりも遠い場所』を思い出し、友人にはその話をした。

小痴楽さんの高座は、時間が押すほど枕がたっぷりで面白かった。それに、とても自由で、途中に考えてきたネタを忘れてしまったという理由による”空白の時間”はあるし、小痴楽さん自身「失礼だったね」というほどの、女子高生いじりはあるしで。それでも、それらがすべて笑いに変わっていくのだから、やはり落語家、噺家という人々が、座布団の上にいるのって、最強なのではないだろうか。

太福さんも熱演だった。後に、別の出番があるのが信じられないほど。声、そしてフィジカルにまず驚く。浪花節とも言われる浪曲のこと、「男はつらいよ」シリーズという題材との相性がとても良くて、もちろん、「映画の登場人物に似ていない」というギャグなどもあり、「男はつらいよ」を見たことがないのに、非常に面白かった。映画も見てみようと思った。小痴楽さんのおかげで(?)、予定より遅い時間に会は終了し、外へ出た。

電車に乗って地元へ帰る。西武線の車内に貼られたマンションの広告には「グラマラスなキャンピングができるレジデンス」というキャッチコピーが付いていて、二人でひとしきりいじった。まず、マンションがあるんだから、キャンプしなくて良くないか。

電車内でも、この後どうするのかということについて会話していたが、結局、はっきりとした結論が出ないまま駅に着いた。駅の柱に貼ってあった地図を見たら、それに名前を載せている店が良さそうだったから、とりあえずそちらに向かったが、その道すがらにある店に入った。

かなり入りにくい店構えだったが、その場のノリで扉を開けた。ここが大当たりで、飯がめちゃくちゃ美味かった。料金も決して高額ではなく、久米川とは思えないクオリティだ。炒った銀杏と鯛めしに、感動させられると思わなかった。僕が、常連になりたいと思った、この良い店がどこかにあるかって?それは教えられないな。

ブログ「いらけれ」

僕が歩き方を忘れないように、鳥は飛び方を忘れないし、魚は泳ぎ方を忘れないのだろうか。それならば僕が、この数日の間に、文章の書き方を忘れてしまったということもないのだろうか。

「天才ペリカン大臣」が僕の名前だ。スーパーマーケットの床をツルツルにして、お客さんを滑らせることを生業としている。秘密結社を2つ組み、CIAのスパイでもあるし、日がな一日、公園で空を見上げることを苦にしない男だ。「日経平均」という言葉だって知っている。あの、クネクネした線が何を意味しているのかは分からないけれど。

言葉は有限だから、千年後の競走馬は、とても長い名前を背負って走っているのだろうか。それとも、名前を継いだ2代目として、「(2代目)ディープインパクト」とかが、賭けの対象になっているのだろうか。場外馬券売り場では、主にそんなことを考えながら、モツ煮込みを食べたいと思っていた。金がなかったので帰った。

まんじりともせず朝の5時を迎えていた。パソコンの画面を見ていた。だいたいのことが、インターネットである現代では、ラジオの「ふつおた」だってEメールだ。朝の4時まではとくにないもしないで、ただ焦っていた。そろそろメールを送らないと、読んでもらえなくなってしまう。今から寝て、起きてメールを送ったら、締切を過ぎてしまっていそうだ。

初めて投稿したのは、1年前のことだったか。ハガキ職人には、連綿と続く伝説があって、また、投稿から構成作家になったという例も知っていたから僕が、その存在に憧れを抱くようになってから、10年以上が経過していた。ただし、決して投稿をすることはなかった。友人に対してもそうだが、こちらから何かするのが、極端に苦手だったからだ。

メールを送ったラジオ番組は、昨晩放送されていた。僕は、好きだった女の子が忘れられなくて、その子との思い出を消化するために、メールを書いた。そして、二人の思い出の曲をリクエストした。なかなか決心がつかなかったが、夕方に散歩するときに、録音した番組を再生し始めた。そわそわして、変な顔になっていた。上手く歩けなかった。小心者すぎる僕は、ラジオへの投稿に向いていないと思った。結局、メールが読まれることはなかった。

初めてのときは、いつだって初めてだったのに、人間は、どんなことにもすぐに慣れてしまう。初めての失恋の思い出が、もう痛みを伴わないように。それならば、なおさら僕は、初めてのときに思ったことを忘れないようにしようと思う。


七尾旅人「迷子犬を探して」

Ah 聴こえない でもそのまま 途切れ途切れの 悲しいレディオ