ブログ「いらけれ」

書くことがない。書くことが趣味で、書きたくて書いていたはずなのに、こんなに追い立てられるなんて。一日生きて、1000文字書くことがないんだから、それはもう死んでないか?死んではないが、生きているとも言えないな。書くネタのために、何かしようか。泥棒にでもなれば、出歯亀にでもなれば、ネタも増えて、人間としても少しは面白くなれるだろうか。悩みのなかで、調子が出ない。酒でも飲もう。

牡蠣が「海のミルク」と呼ばれるのは、コトバンクに掲載されている解説によれば、乳白色の色合いと、栄養が豊富であるからだという。ホヤは、その形から「海のパイナップル」だ。これらは分かる。でも、クロマグロの呼び名「海のダイヤ」になると、急に価値の話になって、えって思う。

僕が昨日思い出していたのは、あの虐待死の事件のことだ。あのアンケートに書かれた、あの言葉を見て、何も思わないわけがなかった。取り返しのつなかいことは、この世にはたくさんある。簡単に解決しない問題だってある。でも、そのままにしておいてはいけないことだってある。だから今を、未来をなんとかするために、頭を使っていかなければならない。
小学校の何年生だっただろうか。ある時期だけ少し早く登校させられて、朝の授業を始める前に、本を読まなければならない時間があった。文字や文章は、いつでも読めば面白く楽しめたが、それでも強制的にさせられていたから、勉強と同じように、若干嫌いになってしまったように思う。僕には読みたい本がなかったから、母に持たされた本を読んでいた。読書習慣のなかった僕は、15分ほどしかない短時間では、5ページも読めなかったのではなかったか。そこには、アメリカの家庭で「それ」と呼ばれながら、ひどい暴力や虐待を受けている子どもが描かれていた。
覚えていることは、忘れてしまったこと以外だが、覚えていることを、忘れてしまっているような記憶もある。僕には、コンクリートの床と倉庫のような部屋と暗さとそこに立っている男の子のイメージだけが残っている。しかし、小学生にあの本を読ませる母の、当時の精神状態は心配だ。とりあえず、僕は虐待を受けることはなかったから、ここにこうしている。


Field Medic – “henna tattoo" (Official Audio)

gave you a henna tattoo
& it’s fading

「へんなタトゥーの歌かな」って思ってしまって、検索してからやっと分かったが、このタイトルは当然、「ヘナタトゥー」だ。映画字幕の誤訳に対して、過剰にツッコミが入ったりするけど、自分の知識不足や勘違いによる間違いって、なかなか自分で気づけないもので、でも、他人の間違いは簡単に分かって気づけるわけで、不公平だよね。そんなことより、良い曲なので聞いてほしい。

ブログ「いらけれ」

今、麻雀のMリーグの選手となっているプロ雀士が、数年前の動画で、麻雀が競技化して、スポンサーがついてという風になることを目指していると語っていた。そして、そうなった。その時は理想だった未来が、今になった。もちろん裏には、尋常ではない努力があったことも分かっている。
この数日が、自分にとって勝負だと思っている。いや、思っていく。転がり落ちていくのは、重力に任せていればいい。だから、逆らわなければならない。ここで踏ん張って、一歩頑張って書けば、自分の未来が開けるかどうかは分からない。しかしここで、努力を開始して、低い可能性に賭ける。これは、純粋な決意だ。

キャンプ中継のゲストにユーチューバーが呼ばれていて、今という時代が本当に、ユーチューバーの天下なことを実感する。時代は変わった。つまりその天下だってどれだけ続くか分からない、ということなのだけれど。

リアル麻雀やってみてー、そんで、全然お金賭けたくねー、と思っているが、近所を調べても、いわゆる雀荘という奴のサイトすらほとんどなく、もちろん入門者へのイントロダクションなどあるはずもなく、おい麻雀、そういうとこだぞって思った。
あとルール。麻雀を知らない人にとっては、麻雀のプロ団体ごとや大会ごとに、ルールに違いがあるって驚きなんじゃないだろうか。例えば、一つの役の取り扱いについても、認めるところと認めないところがあったりして。点数計算についても、なぜ最小単位が100点なのか、それ以下が無いなら、1点として計算すればいいのではないのかという、これは、テニスのスコアの数え方が0、15、30、40であることに対する違和感に通じるものだが、それはいいとして、やはり複雑で難しいと思う。これについては、U-NEXTパイレーツの朝倉pもインタビューで、メジャー化へ向けたルール簡略化の必要性を語っている(※インタビューはこちら)。麻雀普及に真剣なプロは、みんな考えていることだろうけど、既に決まりがあって、それなりに認知されているものを変えていくことの難しさも、容易に想像できるとはいえ…どうにかならんかなー。
とりあえず、まあ、天鳳でも始めてみるかー。

この世界における、私とは誰か。

床である。大きな錦鯉が飛んでいる。頬が張り付いてしまうのではないかというほど冷たい。部屋に明かりはないが、かつてないほど明るい。飛んでいた錦鯉が、床に消える。永遠だった時間が終わった。怪物はもう、この部屋にはいない。目を閉じて、私は床になった。


GRAPEVINE – その未来

たった今その声が聴こえたような気がしただけ
たった今どこまでも行けるような そんな気がしただけ

ブログ「いらけれ」

それについて、たくさんの本が出ているということは、多くの人が成功してないし、正解を知らないってことなんだよな。ダイエットとか株とか。あと健康とか。それでも本が出続けるのは、それでも正解を求める人々がいるからで、みんなどうかしてる。

アンケート開始前に、久しぶりに大学の講義を受けるみたいな部屋と机と椅子で待っていて、後ろの方に座っていた僕は、この一人一人に主観があって、それぞれの世界を構築していて、その中で生きているということが恐ろしくなった。同じ方向を向いて、同じスライドを見ていても、決定的に違うんだって当たり前のことも、すぐに忘却の彼方だ。

部屋を借りたいと思っている。なんか、遊びに使える部屋。遊び部屋といっても、そういうのではなくて、ラジオ収録に使えたり、集まって話したり、ボードゲームしたりしたい。たまには一人で、そこで寝たりしたい。もちろん僕には、金も友も無いのだが。
それでまた夜更かしをして、ここら辺の物件情報を見ていた。こんなところだからと思っていた、しかし思っていたより高い。安くても3万ぐらいか。気兼ねなく遊ぶためには、もうちょっと高いところにしないと、壁も薄いだろうしなあ。それで、気になった物件を、歩いて見にいってみる。20年以上このエリアに住んでいるのに、一度も入ったことがなかった路地の先に、通りから隠れるようにアパートがあって工事中だった。繰り返すが、僕に金と友は無い。空想と妄想と理想で、こんなに楽しむことができる。それで思い出した。
幼稚園か小学校低学年のころ、父親が会社で使っていたのか、どこからかもらってきたのか、パソコンではなくワープロが家にあって、よくそれで遊んでいた。記憶媒体はフロッピーディスクだった。それを使って僕は、文章を書いていたわけではなかった。僕は、銀行やガソリンスタンドなどのスタンプと、自由に線を引ける機能を使って、架空の街の地図を作っていた。高低差も考えて、坂道は線を変えたりしていた。出来上がったら、フロッピーに記録して引き出しに入れた。たくさんの街が、狭い引き出しの中に、折り重なるように詰め込まれていることも面白かった。
僕の作った街は、どこへ行ったんだろう。あのフロッピーは、家のどこかに、まだあるのだろうか。あったとして、記録を読むことができる機械がないけれど、できることのならば、あの街を見てみたいと思う。

今、こうして書いていることも、空想の地図を作っているつもりだ。

スチャダラパー「TT2オワリのうた」

行った事ない街 まだ通った事ない道

ブログ「いらけれ」

愚か者は蹴って蹴って、死ぬまで蹴り続けると、時代の趨勢が決定したようなので、地獄に向かってまっしぐらですね。僕はもう、知らない!

今日はあるアンケートで初台へ。カラッと晴れた空に感謝しながら、西武新宿駅から歩く。貧乏人にとって節約は、とても大事なことなのですし、また、どうせ散歩するわけですから。趣味と実益を兼ねるってこういうことかなと思った。多分違う。
休日の新宿には、ポケモン広場というものがあるようで、そこでいっぱいの人が、ユーロライブの客席をいっぱいにするぐらいの人が、座ったり立ち止まったりしている。ポケモンGOをやったことのない僕の目には、無心に画面を連打する人々が、とても奇妙なものに映るわけだけれど、それはまあ、どこかで何かしている僕も、誰かにとっては奇妙なのだろう。
東京オペラシティの中の書店は、比較的品ぞろえが良くって、ロードサイドのショッピングセンターの本屋との違いを考えるに、やっぱり文化度って大事なんだなと思う。もちろん、話題のアレな本も置いてあるんだけど、その隣にカウンターとなる本が並置されている感じ。頑張れる余地はまだあるんだって少し頼もしくて、少し安心する。
アンケートは、今まで経験したことがない感じだった。あることについてのプレゼンが、アンケートの途中に挟まるという構成。知らない世界を教えてもらうのは、確かに面白いんだけど、安価に宣伝されているような気もしてしまう。ウェブ上でやるアンケートにも、アンケートの皮を被った宣伝が増えているように感じていて(ステマの一種?)、なんだかなーと思う。もやもやを抱えて帰った。

初めてあなたに会ったときから僕は、10キロ以上痩せていて、だから数字で分かりやすく、見た目に分かりやすく僕は変わった。自宅周りのストリートビューを見ると、ときどき、少し古いデータが残っていて、今では立派にマンションが出来上がった土地に、一軒家が並んでいたころの写真が表示されることがある。あなたは、初めて会ったときから変わったのだろうか。髪を少し短くしたことなんて、僕にとっては、サイゼリヤの間違い探しみたいだ。叶うのならば心の方が、ちょっとは好きに変わってもらえていると、僕は嬉しい。ストリートビューみたいに、あの時のデータが残っていて、比較できたら、どれほど楽だろうか。でもこれは現実だから僕は、不安を打ち消すために、好かれるようにずっと、頑張っていくしかないんだと思う。


The Magic Gang – All That I Want Is You (Lyric Video)

You’re trying to save me but maybe all that I want is you
You’re trying to help me but maybe all that I want is you