その日の昼間は、野球のオープン戦を流しながらブログを書いていた。スワローズの若手野手たちの活躍に気分を良くしていた。打つ方はいいんだ、守る場所が足りないってぐらい逸材が揃っている。問題はもちろん投げる方で、次の日に行われた試合では、新戦力のピッチャーや期待の若手がボコボコにやられていた。
夕飯を食べて、外に出た。風が強く吹いていて、とても冷たかった。真っ暗な街だったし、僕は僕だった。
外に出たのには理由があった。ずっと聞けていなかった「314 熱量と文字数 【19年2月のヲタ・与太・編集室】」を聞くためだ。部屋で聞けばいいじゃないかって?小心者の僕にそれは無理だ。歩いて気を散らさないと、聞いていられなかったんだ。
番組が始まった。その時は、新しいクラスで自分の自己紹介を待っていたときのように、早く番が来て、早く終わってほしいと思っていたけれど、トークを聞くうちに、そういった緊張感は薄れていった。「オタク心をくすぐる番組の話、メールを送ればよかったなあ」と思ったり、そういえば、イベントのチケットをまだ買ってなかったから、帰ったら予約しなければと思ったりしていた。※帰宅後にすぐ申し込みましたよ。みなさま、八木橋百貨店でお会いしましょう。
心は落ち着いてきた。けれど、赤になった交差点の信号の前で立ち止まると、足が震えている。ビックリする。本屋に入っても、西友に入っても、足は震え続けていた。もう家に帰っちゃおうかとも思ったが、まだメールが読まれていなかったから、遠回りすることにした。そうしたら、すぐに読まれた。
メールは、ボケたところをすべて拾ってもらって、嬉しかったしありがたかったし、出演者のみなさんの温かさを感じた。ただ、肝心のネタのところは、もうちょっと上手く書きたかったなあと思った。午前5時のテンションで書いていたから、しょうがないとはいえ、人に読んでもらって初めて気付く瑕疵もあったし。……そんなことを思いながら、自分だけがその先に話されることを知っているラジオを初めて聞いて、ニヤニヤしながら歩いていた。このお兄さんとすれ違った人は、さぞかし気持ち悪かったことだろう。
これが、「いぬのジョン」が生まれた日の記録だ。ヒストリーの1ページ目だ。要するに、むしろ「やってやる」という気持ちになったってことで、そして、このように僕の状態は変化していったというわけだ。おそらく僕は、誕生してしまったこの歴史の続きを、必死に書いていくのだろう。そのことに今、とてもワクワクしている。