今の私に「何が無い」って、まず第一に時間がない。理由は明確で、とにかく寝ているからだ。
夜中の1時には眠くなって、まだブログを書いていないっていうのに、もう物事を考えることができなくなる。ただし、すぐに眠れるわけじゃなくて、それから1時間ぐらいはテレビを見たり、動画を見たりしている内に、いつしか夢の中にいる。
アラームをセットしていなくても、8時頃には一度目が覚める。時間を確認して、「今から動き出せたら、どれだけ時間を有効活用できるだろうか」などと思いながら二度寝する。9時半には布団から這い出して、風呂に入って覚醒しようとするも、結局湯船のなかで眠っている。風呂から上がったときには、10時を大きく過ぎている。調子に乗っているときには、もう一度布団に戻って横になることもある。
私だって、インターネットで「目覚め 方法」とかで検索したこともある。朝日を浴びたり、冷たい水を一杯飲んだこともある。しかし、朝日を浴びて、冷たい水を飲んだ後に、二度寝するだけだった。
おそらく私に一番欠けているのは、「なんとか起きよう」という"意志"で、それは生活が苦しくて、友達も彼女もなくて、仕事がなくて、未来がなくて、負けて負けて、泣けて泣けて、もう最低にダメな現状につながっているのだろう。意志を獲得する方法は、ネットで検索しても分からない、それは私が、私のなかに育てるしかないものだ。
「毎日色んなことしてる。いつ死ぬか分からんという気持ちで。どうせいつか死ぬんだし。」というのは、『最後の講義「みうらじゅん」』を見たから思ったこと。僕みたいなサブカルチャー寄りの奴は、彼の発言の重力圏から逃れられなかったから、講義で話されていた内容は、すでに、ほとんどどこかで聞いたことがあったけれど、しかし、それでも気持ちが軽くなる。納得する。言葉の裏側に、考え抜かれた強固な人生哲学を感じる。対する、自分の言葉の軽さを反省した。
先週の『東京ポッド許可局』(あ、そういえば「忘れ得ぬ人々」にもメールを送ったんですが、そちらは読まれておりませぬ。ストックされてるだけだったらいいなあ)で、プチ鹿島さんと「キャンプ中継の楽しさ」を話されていて、気持ちがめちゃくちゃシンクロした。試合の楽しさは誰でも分かるけど、練習の楽しさは、"見方"を持っている見巧者じゃないと分からないのよね。
「月額論」的に言えば、僕はアップルミュージックに加入し続けているし、アマゾンのプライムビデオも使ったことあるけど、「サブスク」って、あるものよりも、ないものの方が気になってしまい、ぜんぜん満足感が得られないんだよなあ、個人的に。
そうそう、そんな話を、24日25時より放送の『文化系トークラジオLife』でするらしいので、興味がおありの方は、聞かれてみてはいかが?
新しい出会いも楽しいけれど、やっぱり、続く関係が嬉しい。読み続けてもらっているから、書くことを続けられている、僕は。
フラワーカンパニーズ「東京タワー」
歳はとるぜ
汚れてくぜ
いつか死ぬぜ
神様はいないぜ