物小さりの語始なま
僕が歩き方を忘れないように、鳥は飛び方を忘れないし、魚は泳ぎ方を忘れないのだろうか。それならば僕が、この数日の間に、文章の書き方を忘れてしまったということもないのだろうか。
「天才ペリカン大臣」が僕の名前だ。スーパーマーケットの床をツルツルにして、お客さんを滑らせることを生業としている。秘密結社を2つ組み、CIAのスパイでもあるし、日がな一日、公園で空を見上げることを苦にしない男だ。「日経平均」という言葉だって知っている。あの、クネクネした線が何を意味しているのかは分からないけれど。
言葉は有限だから、千年後の競走馬は、とても長い名前を背負って走っているのだろうか。それとも、名前を継いだ2代目として、「(2代目)ディープインパクト」とかが、賭けの対象になっているのだろうか。場外馬券売り場では、主にそんなことを考えながら、モツ煮込みを食べたいと思っていた。金がなかったので帰った。
まんじりともせず朝の5時を迎えていた。パソコンの画面を見ていた。だいたいのことが、インターネットである現代では、ラジオの「ふつおた」だってEメールだ。朝の4時まではとくにないもしないで、ただ焦っていた。そろそろメールを送らないと、読んでもらえなくなってしまう。今から寝て、起きてメールを送ったら、締切を過ぎてしまっていそうだ。
初めて投稿したのは、1年前のことだったか。ハガキ職人には、連綿と続く伝説があって、また、投稿から構成作家になったという例も知っていたから僕が、その存在に憧れを抱くようになってから、10年以上が経過していた。ただし、決して投稿をすることはなかった。友人に対してもそうだが、こちらから何かするのが、極端に苦手だったからだ。
メールを送ったラジオ番組は、昨晩放送されていた。僕は、好きだった女の子が忘れられなくて、その子との思い出を消化するために、メールを書いた。そして、二人の思い出の曲をリクエストした。なかなか決心がつかなかったが、夕方に散歩するときに、録音した番組を再生し始めた。そわそわして、変な顔になっていた。上手く歩けなかった。小心者すぎる僕は、ラジオへの投稿に向いていないと思った。結局、メールが読まれることはなかった。
初めてのときは、いつだって初めてだったのに、人間は、どんなことにもすぐに慣れてしまう。初めての失恋の思い出が、もう痛みを伴わないように。それならば、なおさら僕は、初めてのときに思ったことを忘れないようにしようと思う。
七尾旅人「迷子犬を探して」
Ah 聴こえない でもそのまま 途切れ途切れの 悲しいレディオ
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