ブログ「いらけれ」

12月も「デモクラシーCafe@東村山」に参加させていただきました。(会のブログはこちら。僕のひどい顔も結構映り込んでいるので、興味のある方は見てみてね☆)陽の光の当たるところは暖かかったけれど、とても寒い日でしたなあ。しかし、「四季の花」はとてもいい場所で、気持ちのいい環境のなかで、お話しすることができました。

今回は、人気があったそうで、座席の関係上断った方もいたとのことで、一席埋めてしまうことは、若干申し訳ない気もしていて。人気の映画や演芸でもそうだけど、自分がそれを楽しいと思う、だから参加したいと思っても、それによって、新しくそこに参加できたかもしれない誰かの、可能性を奪うのだということは、常に考えてしまうテーマではあって。まあ、考えすぎなのかもしれないですが。

それで、ブックカフェということで、上記のブログに載っている本の一覧を見ていただければ(そして、いつもこのブログを読んでくださっている方ならば!)、お分かりかと思いますが、あの本を紹介しました。しかーし、あまりに上手く喋れなくて、とてもガッカリしました、自分に。人前で、それなりに話せるようになるというのは、来年のテーマですね。参加されている方のなかには、とても紹介が上手な方もいて、聞くだけで「読んでみたい!」と思うようなお話しもあって。

ちなみにですが、一番読んでみたくなったのは、『ゲイルズバーグの春を愛す』でした。自分の興味関心と、重なるようなテーマが、描かれている小説なのではと思えたので。実際に、買って読んでみようと思います。そうやって人生を動かしていくことだけが、豊かな生活を作っていくと思うので。

だって、ヘロデ主義とゼロータイ主義の話もできなかったんですよ?前日の深夜に、「明日どう話そうかな~」と、考えていたことの半分も伝えられませんでした。別の本も持って行っていたので、そちらにすればよかったかなあ、と後悔するところもあり……。もし、またブックカフェの企画があればリベンジできればと思いますし、そのためにも、もっと本を読めればなあと思います。

それで、会の後には懇親会へ。みんなお話しすきだなあ(自分もその一人ですが笑)。20時半くらいまで、やってたんじゃないかなあ。ずっと話してた。会よりも、終わった後の方が盛り上がるというのは、あるあるですね。

で、そこでも話したんですけど、本当は、自分が言いたいことを言えなくても、自分が上手く話せるかどうかということよりも、さまざまな人と出会って、対話を交わすなかで、自分の心に、考えたことのなかったなにかや、思ってもみなかったなにかが生まれて、それを持ち帰れるということが、この会の素晴らしいところなのではないかと思うんです。だから、会が終わっても、もっと話したい!となると思うんですよね。

いろいろな方の人となりを知ることができましたし、親交を持つこともできたので、それも嬉しかったです。この会に参加するようになったことが、自分のなかで今年一番の収穫だったのかなと。来年も、継続して参加させていただくとともに、「自分でも会を開けないないかなあ」と、ぼんやりと思うようになったので、そちらの方も学んでいけたらなと思います。ともかく、今年はこれで終わり!また来年、よいお年をといって別れたのでした。

ブログ「いらけれ」

僕はおそらく、先の日曜日に哲学カフェに行っているはずだが、諸事情あってブログを書き溜めておかなければならないので、その報告は、もう少し待って、って誰に言っているのだろうか。

Amazonベーシックのマウスが届いたから、さっそく使っている。これ、今年のベストバイかもしれない。サイズも動きもちょうどいいのに、たったの600円だったわけだから。近所の家電量販店で1000円の買うのよりはよっぽど。しかし、どうしても安い、使えるってなると、そちらを頼ってしまうので、アマゾン帝国の侵略に逆らうことはできないなと思う。目先の便利には弊害もあって、長い目で見たら悪かもしれないとしても、強い意志でもって、それをやめることなんて……できるだろうか?これはつまり、社会的な問題すべてに言えることなのではないか?と。殊勝なこと言っていても、低賃金で働いている人のおかげで、低価格を実現している服や食を、ためらうこともない買っていたりしてね。

applemusicを開いたら、透明雑誌『透明雑誌FOREVER』が聞けなくなっていてビックリ。ダウンロードしていたはずのファイルも消えていて、さらにビックリ。これ、端末まで管理者が手を突っ込んで、任意に消せるってことだよね?ヤバいなあ。配信系のサービスはこれがあるから信用できないよね、という"これ"に似た経験を前にしたのは、大人の配信サービスなので詳しくは書かないけれど。CDなりDVDなりとは、やはり大きな違いがあって、やっぱりできるかぎりCDとかで持っていた方がいいのかなあ、と思わなくはない。あるいは、提供者側に消されない形で、こちらで保存しておける聞き放題系のサービスを選ぶか(って、そんなのあるのかなあ)。とりあえず、光速で『透明雑誌FOREVER』の中古をアマゾンで注文したけど、まず一つは、ちゃんとしたブツが届くのかという問題、二つ目は、そんなお金使ってあんた大丈夫?という問題があり、それらに関してはノーコメントで、次の質問をどうぞ。

自分がどうとか、もっとこうとか、もういいかなと思った。始めてみて、ここまでやってきて、これ以上は無理だろうことが分かった。ツイッターとか見てると、僕より勉強してて、上手に表現してる若い人がどんどん出てくるし。いつまで、一人称僕とか言ってるんだというのもあるしね。これはとても残念なことで、だから基本的には、いつも死にたいなあと思っています。


TWICE “The Best Thing I Ever Did(올해 제일 잘한 일)" M/V

やべ、マジで普通に見逃していた……。聞いてみたら、音楽的には結構、面白いと思うところもあったんだけど。逆に?拡散しなさそうな、キャッチーじゃない、こっちの路線もアリだよなーと。しかし、またメンバー勢ぞろいで映画見てる……。このネタ被りは、狙いなのだろうか。見たことのない、新しいイメージを見せてもらいたいものだけどなあ、来年は。

ブログ「いらけれ」

ソフト発売から結構時間がたったからなのか、ウイニングイレブン2019の一部のモードが無料でプレイできる「Lite」という太っ腹なコンテンツの配信がスタートしていたから、喜び勇んでダウンロードして、落とすまでの長い待ち時間に遊べるエキシビションマッチを、少しだけ触る。少しといっても三試合ぐらいはやった。
いつも、ウイニングイレブンの新しいタイトルを遊ぶと、それまでの選手の動きや、画面の雰囲気に慣れさせられているから、かなり違和感を覚えることになる。プレイする上で、特に影響が大きいのが操作感で、タイトルごとにパスやドリブル、相手選手の動きも、相当違うように感じるから、攻めるにも守るにも、上手くこなせるようになるまで時間がかかる。さきほど話題にしたエキシビションマッチを例に出せば、分かりやすいと思うのだが、初戦は80分にやっと先制して1-0で勝ち、二戦目は2-0で勝ち、三戦目になると感覚を掴みだして4-0で勝てた。
傍から見ている人にしてみれば、テレビに映し出されているそれは、それまでのものと大して変わらないのかもしれない。しかし、プレイヤーには確実に違和感があり、このように小さな違いに違和感を持てるということが、そのゲームに習熟していることの証拠なのだろうと思う。
例えば将棋には、「金銀逆形」という言葉がある。これは、王様の守りや囲い、自陣への配置が、文字通り「逆」ということなのだが、逆もなにも、別に王様の守り方や自陣への駒の組み方に、これといった決まりがあるわけではない。しかし、経験を積み重ねた先人たちによって、導き出された原則というものがあり、例外はあれど、だいたいこのような陣形を組むべきだというセオリーが存在している。攻められにくさや隙の少なさという面において、確かに基本とされている形は優れていて、セオリーを無視し、基本形の金と銀が逆になった陣形を組んでしまうと、劣勢に陥りやすいのだ。この「逆」の感覚は、将棋を知らない人や初心者には分からないもので、対局や勉強を重ねていく内に、いつの間にか違和感を覚えるようになっていくのである。
なにが言いたかったのか忘れてしまったというか、そもそも、なにかが言いたかったわけではない。私のことを、私が分析するにおそらく、どんなゲームであれ、一つゲームに精通するということは、無限に細かくなっていくことだ、ということだろうか。だろうか?ともかく、そんなことを、今日は考えた。

ブログ「いらけれ」

「攻めた」とか「攻めてる」とか、本当に嫌いな言い方なので、僕には使わないでください。じゃああれか、"攻めた文章"とかいって、忌憚のない意見として(笑)誰かの悪口とか書けばいいのか?ああん?姿勢とか威勢の良さしか見てないんじゃん。大事なのは内容でしょ?守るとか攻めるとかじゃない地点でないと、お話しにならない。

沖縄のことも、入管法のことも、本当に勉強不足でよく分からない。だから、何かを言うことはできない。何かを言わなければならないとは思わないけれど、何も知らないことは恥だと思う。不意に始まって、不意に終わるのが人生だ。すべてが何も知らない内に決められ、何も知らない内に変わって、何も知らない内に終わっていく。だからまあ、それはそれで、しょうがないことのかもしれないけれど、知らないのは恥ずかしいという気持ちは持っていたい。

狐に化かされたような1日だった。朝起きる時に手をついたら、それが近くにあった眼鏡の上で、フレームからレンズが外れて、「壊れた!」と思ったとき、つまり、朝からどうもおかしかった。夕方に散歩から帰ってきて、くつろぎながらスマホをチェックしていたら、アプリをダウンロードしてミッションをクリアすると、auのポイントがたまるというものに、新しいアプリが追加されていた。それはシンプルなソリティアで、一回ゲームをクリアすればいいという条件だった。それで、メチャクチャ久しぶりにソリティアをプレイすることになる。以前使っていたパソコンには、ピンボールとソリティアが入っていた。そのころは、学校にも行かず暇だったから、よくやっていたものだった。ルールを思い出し思い出し、まあ、そりゃ最初からクリアはできないだろう、2回目も、まだコツがつかめないから3回目は運がなかったな……とギブアップを重ねることで、少しずつ攻略の糸口を見出していく。7回目ぐらいで一つクリアし、二つ目三つ目と、熟考し、手順に悩みながら連続でクリア、四つ目が一発クリアできなかったところで、スマホを放り投げたら22時だった。しっかりと24ポイントが付与されていた。ただし、時間は返ってこないから不貞寝した。追記:よく見たら、アプリのタイトルが「フリーセル」だった。そのことに気づいて、初めて「ソリティア」とは何なのか、「ソリティア」について検索し、調べ、非常に勉強になった。なので、もし私のように知らない方は、調べてみてほしい。

抗議するということが、(抗議する人間は、雰囲気を悪くする、和を乱す……だから、そう見なされたくなければ、抗議するなという感じで)封じられている気がする……。すべてが交渉と話し合い、合意と和平に、なごやかにすり替えられた後の世界は、信じられないほど不幸なのではないだろうか……。怒るべき時が来たら、怒らなければならない……。