ブログ「いらけれ」

僕の、そしてあなたの2018年がもうすぐ終わる。冷たい風が吹く平成最後の年末に、あなたは何を考えて過ごしているだろうか。僕は、僕が好きな歩道橋の、とりわけ好きな、東村山駅の近くにある線路を跨ぐ歩道橋の上で、写真を撮りながら、今年を振り返っていた。

始まったものも終わったものも、出会いも別れもあった。ポッドキャスト番組をやめたり、その後一人で始めたり。「デモクラシーカフェ」という会に参加したり、「渋谷らくご」に行くのをやめたり、その後また行くようになったり。自分のせいで疎遠になった人もいたし、自分の活動のおかげで出会えた人もいた。出会いはかけがえのないもので、楽しい思いをいっぱいできた。

間違いなく中心にあったのはこのブログだ。これを書くためという心の言い訳で、勇気を出して何かに挑戦することもあったし、就活も本気を出したし、また、記事を読んで反応をくれる人もいて、書き続けてよかったと思った。この年の瀬には、リアルとネット、どちらの人生もまた少し動き始めていて、自分の未来にワクワクしている。しているのだが……。

なぜ、こんなに"くさくさ"しているのか、ということだ。「冷静に考えろ、お前は恵まれている」という脳内ボイスに、なぜこれほどイライラしてしまうのか、という問題が線路上を走っていく。そうだ、運のいい一年だった。しかし、本当にコレでよかったのだろうか?

世界に生きているから、世界に引っ張られてしまう。世界は、僕とは一切の関係なしに、その様相を変えていく。今年話題になったものを思い出してほしい。そのほとんどが感情を刺激するもので、コメントしやすいものではなかったか。すごいから、優れているから売れるのではなく、売れたから、人々が話題にしたからすごいという転倒が起こってしまっているのではないか。すべてのコンテンツが、世に出てすぐに流行るかどうかでジャッジされ、そこで話題にならなかったものは、内容にかかわらず軽視され、忘れ去られていく運命に……というような感覚はないだろうか。

そこないものは(広い意味での)哲学だ。あるいは思想と言い換えてもいい。哲学や思想がないから、数字や金という物差しで判断するのだろうし、その話しかできないのだろう。そうだ、僕の一年にも、哲学や思想はなかった。その時々の情報に踊らされ、状況に流され、正しそうな方について、有利な方について、ただやり過ごしてしまっただけだった。冒頭の写真のように、きれいなだけで、それだけだった。

来年になれば、すぐに自己の哲学が確立できるなどと僕は思わないし、そんなことをしたいとも思わない。だって、そのように簡単に手に入れられるものは、パッと見で正しそうに思えるだけの、インスタントなものでしかないから。自分の足で立つために、名店のシチューが長い時間と手間をかけて煮込むように、ゆっくりと練磨していくことで、そんなことで僕は、僕の理想に近づくのだろうか?

2019年は、胸を張って「生きた」と言える一年になりますように。結果は残らなくとも、意志が生まれた2018年だった。


キミドリ「自己嫌悪」

主義・主張なんて俺はないけど自己だけは確立したいよ

ブログ「いらけれ」

ああ、もうすぐ大晦日ですね。今年は芝浜を聞かないまま終わってしまうなあ。あ、あと今日は大掃除もしなければ。年末のスペシャル番組が、テレビもそうだけどラジオにも増えてきて、嬉しかったり、楽しみにしている番組がなくなって悲しかったり。年末は好きなようなそうでもないような、お正月も好きなようなそうでもないような。人も街も、ちょっと浮かれているところは好きだけど。

誰かのためではなく、ここに小説を生じさせるために、ここで書く。間違った文法で、嘘を書く。

やっと仕事が納まったが、私の知らないところで、また何かが起こっていたようで、修羅修羅している。修羅修羅している現場だから、また問題が起こるということもあり、絵に描いたような悪循環が起こっているわけで、やはり考えなければならないだろう。
お金がないからと慌てて仕事を始めて、お金がないからと嫌々仕事を続けて、いまだ辞めていない。この世に生まれるという宝くじに当たった人は、一等〇億の宝くじが当たったら辞める仕事を続けてはならない。それを分かって、人生を展開しなければならない。来年は、もっと良い気持ちで年末を迎えられたらなと思う。そのためには、今のままではいけないのだから。

夜中に寒波が到来したというトウキョウで、寒さで目が覚める。凍えながら布団を出て、熱いシャワーを浴びて、と言うが、そんなに熱いシャワー、浴びるか?普通。普通のシャワーを浴びて、支度して外へ出かける。いつもより早く行動できていて、少し得した気持ちだ。三文の徳。
青空に白い飛行機。日差しは暖かくて助かる。線路沿いの地面には霜が降りていて、歩くとしゃくしゃくしている。小学生のころも、この小学校へ続く道で霜を踏んで楽しんでいた。楽しかったなあ。今も楽しいから、だからずっと、僕は変わっていないのだ。


「全部自分の思い通りの画になった」多摩川クラシコでの得点シーン。なぜ左足でのラストパスを選択したのか?【中村憲剛インタビュー3/4】

これホント面白い。日本のなかでもトップオブトップの選手が、試合の振り返りを、「誰にでも伝わるように」という、ある種テレビ的なレベルダウンをせずに、仔細かつ本音で語っていて最高だ。僕が、フットボリスタとかに感じている面白さ、つまりインタレスティングな、ということだが、こういう専門的な話をプロが語る場が、ネットで生まれているのは素晴らしいこと。動画だとより分かりやすいしね。「相手DFがクロスしたらいいなと思っていたら、思い通りになった」というところとか、鳥肌が立ったよ。試合のハイライト動画と一緒に見ると、さらに面白いから見てみてね。

ブログ「いらけれ」

「頭痛派」なんて言っているのに、最近は、すっかり頭痛に襲われることもなかったのに、久しぶりに頭が痛くなって、何もできない……。やはり、僕はここで少しゆっくりして、休んで、また立ち上がる日のために、力を蓄えた方がいいのだろう。

Amazonとから楽天とか 、ポイント増量だとかクーポンだとか、僕も活用しているし、あれば嬉しいけれど。だけど、いつかお得なセールやキャンペーンがあることを知っていて、今、この何もない状態で、ものを買うということが、とても損に感じてしまう。もともと、これが普通のはずなのに。しかし、どうすればポイントが貯まるかとか、クーポンが手に入るかというアナウンスが、あまりに多くて、しかも複雑だったりすると、それを調べる気も起きなくて、つまり、ただ「買うと損してしまう」という気持ちだけ残ってしまったりして。アンケートもそうだけど、相手は人間なんで、複雑になったり面倒になったりすると、どれだけ有益でも心が離れてしまうという、このことを理解してシステムを上手にデザインする人が出てきたら、世界を制覇するだろう。

そういえば、駅から伸びる商店街の、歴史ある佇まいの和菓子屋の商品ケースに、「サンタクロース」というサンタの顔のお菓子が並んでいたことを書き忘れていた。僕の中に、この光景は鮮明に残っているが、ここで書かなければ、いつか忘れてしまうだろうし、忘れてしまっても、ほとんど人生に影響はないだろうが、しかし、書き残しておきたいと思った。

家に飾ってある唯一のサインは五十嵐亮太のものだ。煤けているそれは、私が子どものころに、家族で神宮球場に行った時のもので、番号が球場のビジョンに表示されて、その番号のチケットを持っている人は、試合後の選手から色紙にサインをもらえるというプレゼント企画に当たったのは、今では結婚して、家を出ている姉だった。
姉は、野球に興味がないで連れてこられていたのだし、私は幼かったのだから、少し嘘をついたって、私がもらいに行くべきだったのではないか?しかし、五十嵐と握手して、色紙の○○さんへのところに名前を書かれたのは私ではなかった。もしそこで、私がサインをもらっていたら、もしかしたら本格的に野球に取り組むようになっていたかもしれないし、そうしたら人生は変わっていただろう。そんなことを考えながら、彼が10年ぶりにヤクルトスワローズに復帰するというニュースを見ていた。

金に目がくらんで戦争すんのも、損得を勘定して戦争しないのも、どちらも人間なのですね。すべては良くも悪くもなりえて。

ブログ「いらけれ」

ブログ記事の、2019年1月1日分のフォーマットを作った。もう、来年がすぐそこなのだ。少し意識し始める。今年に起きたすべてのことについて、長い文章を書きたいという気持ちもあるけれど、僕に長い文章を書く胆力はもうなかった。いずれは、長いものも書けたらいいけど。

Amazonで1000円の腕時計が、文字盤とベルトを繋ぐところの金具が壊れて、買ってまだ5か月くらいだったので、大きなショックを受けた。時計部分は保証もあったんだけど、ベルトは何もないらしい。ああ。しかし、寝ても覚めても、風呂でも身に着けていたので、しょうがないのかもしれない。西友に買いに行ったけど、腕時計は見つからなかった。神が、時間を気にせずに過ごせと言っているのだと思って、そうやって生きてみよう。

あれだなあと思った話。こんなに歩いているのに、なぜ痩せないってこう、考えていたわけですが、ああなるほど、気持ちを入れて文章を書くときに、コーヒー飲んだり、ミックスナッツを食ったりしてるからだなあって分かったわけ。飲食してないと書けないようになってしまいましてね。でね、ナッツに落花糖混ぜたり、チョコでコーティングされた柿の種を混ぜたりしてきたわけ。ナッツだけじゃ味気ないからさあ。これが合うんだなあ、それで止まらなくなっちゃう。それで、今度はドライフルーツを混ぜてみて、これもイケるなあ、発明だなあと思ってたんだけど、今日西友に行ったら、ミックスナッツとドライフルーツが一緒にパックされたものが売っていて……ああ、調子に乗っていたなあと思った。

ビックリした話。うちにあった菓子パンがさあ、たぶんクリームパンだったと思うんだけど、パンにしては結構前から置いてあるなあって気になって、小腹も空いていたし、もし賞味期限がギリギリとかだったら食べてしまおうかなって夜中に、天井の電気ではなく、部屋の隅の小さなライトで、包装に書かれた日付の表示を目を凝らして見てみると、26日だった(これ24日のことなんだけど)から、ああ、もう少し大丈夫だな……って、そこに2がなくて、つまり12月ではなくて1月26日までが賞味期限で、手に持っているこれはクリームパンではなくて、防腐剤を焼いたものなのかなと思った。

スーパーマーケットから出たとき、左下から右上にかけて斜めに飛行機雲が、17時の赤みを帯びた空に、視界の外から始まって、視界の外に向かって伸びて、あのマンションから駅舎まで、こうして引かれた一本の線によって、一瞬の内に人生が特別になった。


American Pleasure Club – “this is heaven & id die for it" (Official Audio)

“art is dead” read the personal ad