ブログ「いらけれ」

ツイッターで、調子に乗ってリベラルな文化人をフォローしまくって、その発言を頷きながら眺めていたりすると、現実に出会う人々の無邪気な発言に、そのリアリティに驚くことになる。文化人が言えば一発アウトになるような(しかし、政治家ならば、なぜか水に流せてしまうのだが)、差別とか陰謀論とか。そして、その言葉を訂正したり、注意することもできずに負けていく。最近は、「正しさは負けていく運命にあるのではないか」という考えが、確信に近いものに変わってしまっていて、そうなると世界に期待することもなくなって、つまり、とてもあっさりと諦めてしまった。

青山の、あの児童相談所の問題(20xx年に見た人にとっては、なんのこっちゃ分からなくなっていたりするのだろうか?)、あの非道な発言に対しては、素直にまず、とても驚いた。なぜなら、その発言こそが土地のイメージを悪くすることなど、容易に想像が付きそうなものだからだ。僕は、少し時間がたった今、こうした言葉を言ってしまった人のことを考えたいと思っている。エネミーとして切って捨てることは簡単だが、彼/彼女たちが、そこまで余裕がなくなってしまった理由や、簡単に分かりそうなことが分からなくなってしまった訳を、そして、どうしようもない人々に対する望ましい救いを、見つけていきたいと思う。

人間とは、影響的な存在であり、あるいは、より的確に言い換えるのならば、影響に皮を張っただけの生き物なのであって、近づくことによって、互いに押し押され、目に見えない波紋を伝えあって、それによって変化していく。初めて会った人と交わす会話で、人生にとって決定的な決断をしてしまうような、興味深い生態を持っていることを、深夜の2時に見つめた。自室の隅で、真っ暗なリビングで、自分のあり方を再考する年末。今を、雌伏の時と捉えるか、ただダメなのだと捉えるかで、だいぶ違ってくるものだ。自分にかかった呪いを解いていく。たとえば、今の仕事をやめても、働き口なんてないという思い込み。出会う人が、自分のことを嫌っているに決まっているという疑心暗鬼。とにかく深く息を吸って、絶つ。急所を間違えるな。勘所を押さえろ。大事なものから目を離さないように、大事なものだけは手放さないように。己(お前)の人生は、己(お前)のためにある。


TWICE TV 2018 EP.14

繰り返される、アイドルと労働の問題……(詳しくは、「アイドルも人間だし商売だし」を)。ファンの人たちが、「休んでくれ」とお願いする言葉を、たくさん読んだ。同感だ。しかし、こうした姿を見せること自体が、一昔前なら有り得ないことだったわけで、つまり、涙を見せることができるという状況ではあるということまで、含みこみで考えなければならないような複雑さのなかで、芸能に関わる人たちが、どうすれば幸せでいられるのか、そしてファンは何をすべきなのかというのは、まったく答えの見つかっていない問題だ。