パレードの再演

ブログ「いらけれ」

中学ん頃の引きこもりの自分に、外への出方を教えてあげたい。高校に通うようになって、初めての休みの日に、僕は自転車に乗って外に出た。行き先はなかった。40分ぐらいだった。多摩湖の自転車道だった。行き交う人をたくさん追い抜いた。ただそれだけをして家に帰ると、親に驚かれたほどの僕だ。毎日1時間は外に出るようになった、今は。

風呂場と街で思考している。音がこもる風呂場は、とても閉じ込められているように感じる。街には、壁と天井がない。開かれていない場所と、開かれ過ぎている場所でのみ、考えることだけに集中できる。今日も、麻雀の世界で「デジタル派」と呼ばれている、とても合理的な考えの人々が、なぜあれほどのアレルギー反応を、一部の麻雀ファンに引き起こすかといえば、人間という生き物が非合理的であり、麻雀というゲームが不条理だからだろうということが分かって、これは、僕にとって有益な気づきだったからよかった。

12月に借りた本の話をしなかった理由は単純で、読むことがなかったからだ。時間を有効に使えなくて、前に進まない自分が、自分を傷つけ続けていた。延長までした本を返しに行って、図書館から出たときには、なぜか手元の本が二冊に増えていた。この愚か者めが。

図書館を出たときに、「どんな朝にでも変わりなく~」と、sunbrainの「Houston」が頭の中で流れた。だから、ポッドキャストではなくて、sunbrainの『rainbow album』をランダム再生していた。その時の雰囲気と景色に合っていて、とてもよかった。だからこれらは、勘の良い方ならお分かりかもしれないが、二日前のブログを書く前の出来事だということだ。

1月が終わると、僕の誕生月になる。そうすると例えば、今掛けている眼鏡を作った眼鏡屋から、これを持ってきてくれれば割引しますよという内容の手紙がくる。誕生日を迎えると僕は27歳になる。27歳になることを思い出して、西友のエスカレーターでクラっとする。こんな奴になって、こんな状況にいるなんて、中学生の自分には、とてもじゃないけれど、教えたくないし教えられない。

パレードは繰り返されない。パレードは、日常の憂さ晴らしに行われて、その場限りだからこそ、盛り上がるのだから。パレードが繰り返されるのは、夢の国だけだ。

家に帰ってきてツイッターを見ていたら、『文化系トークラジオLife』のイベントで、さっき借りてきた『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』が、塚越さんのオススメ本として紹介されていたようでビックリした。流れが、ついに僕のところへ来ている。先月には本を一冊も読めなかった馬鹿が、踊り狂うように加速するのだ。その馬鹿が僕だ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤