光源のありか
言葉にすることもなく毎日は、一瞬で過ぎていくから切ない。立ち止まらなければ、その切なさすら感じることができないから、なおさら。何かをしていたわけでもないのに感じる徒労感。時間は、生きているだけで流れ落ちてくシャワーだと、シャワーの水を浴びながら思った。本当に無意味だ。
僕の2019年は小吉で、7月14日は渋谷らくごに行った。その日に行くことを、前月から友人と約束していたために、去年の10月から毎回参加していたデモクラシーカフェには行けなかった。でも、何かを得れば何かを失うというのが世の真理だからしょうがないよ。
渋谷らくごは、天候に左右されると前説で言っていた。小雨が降り続いていたから客足が遠のいてしまったのだろうが、客席はゆったり座れる環境だった。それでも100人近くは入っていたようだ。もちろん、だからといって高座のクオリティに比べると、少ないなあという感想は変わらないけれど。
「渋谷らくご」3日目
7/14(日) 14:00-16:00柳家わさび-垂乳根
台所おさん-愛宕山
風藤松原-漫才
林家正蔵-ねずみ来場者 98名#シブラク
— 渋谷らくご 7/12~16@ユーロライブ (@shiburaku) 2019年7月14日
垂乳根も愛宕山も、ねずみだってそうだ。落語のマジックが炸裂した回だった。どれだけ丁寧ったって、あんな話し方をする人はいないし、どれだけ竹がしなったところで崖の上までは戻れない。ねずみなんて、言うまでもないことだ。でも、演者がそうなったと言えば、そうなったことになるのが落語の良い所で、そこに無い長屋や山は当然、ありえないことだって見えてしまうのが楽しい。自ずから想像を迎えに行かなくても、脳内に光景が浮かぶ快楽。それにしても、正蔵師匠は本当によかったなあ。
お笑い好きだから、風藤松原の漫才を分析したくなってしまう。初めて生で見たけど、30分近い出番は爆笑の連続だった。どちらかといえばクスッとくるような、俗に"シュール"と言われるようなコンビだと認識していたから、とても驚いた。ネタの構造としては、お題があってボケるという大喜利に近いやり取りがメインになっているのに、観客が予想する答えを上回り続けるのがすごい。
渋谷から帰って、前回と同じく地元のメキシコ料理屋へ行く。前回と違って、結構混んでいた。前回と同様、やっぱり料理はおいしかった。また行きたいな。満腹で家に着いて、ベッドに横になったら、遠方に住む友人から、家への招待の連絡が来ていた。ありがたいことだ、そして、また小旅行に行きたいものだ……いつになるかは分からないけれど。
それで、寝て起きたら、また日記にコメントをいただいていた。それまで数カ月、さっぱりだったのにである。何もないと何もなくて、動き出すといっぺんに動き出すあたり、本当に人生は不思議だ。小吉の僕だから、良い時と悪い時があるのだと思っておこう。そして、吹いてきた風には乗っておこう、と思う。
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