ブログ「いらけれ」

読んだもの:相沢直「医学部平凡日記 20200410-20200416」柴崎友香「てきとうに暮らす日記 7~11」(10で、ボブ・ディランのことをボブさんって書いているのがとても良い)/細馬宏通「ライブの家が鳴る(神田試聴室ライブのあとで)」(最後まで読んでほしい)

暇だから、インターネットで文章を読むようになって、本当に素晴らしい文章がたくさんあって、こんな状況じゃなければ、それはとても良いことなんだけど。

なんかもうちょっと書き方を変えたい。もっと面白いと思ってもらえるものを書きたい。

中学校に行ってなかった私は、高校生になって携帯電話を持てるようになって、初めて持った時は感動していたのに、すぐに嫌になった。

JスポーツでWWEを見て、見ていられない。どうしても練習に見えてしまう。観客のいないプロレスにおいて、ヒールとは何だ。会場へのアピールが虚しい。でも、こういう時こそ支えなければ、とも思う。実際、レスラー(スーパースター)が大量に解雇されたという悲しいニュースも見た。
でも、ネットの有料番組は見ないけど、なぜかTVKでやっているダイジェスト番組は見るとか、そういう付き合い方が丁度良いと感じている自分もいて、でもそれだと、団体が潰れてしまうかもしれないし、そうしてなくなってしまったもの、やめてしまった人をたくさん見てきたじゃないかという思いもある。難しい。

高校時代の昼間は青空で、陽の光が強烈だった、そんなイメージが残っている。グレーのスラックスはチェック柄で、後ろのポケットに薄い文庫本を入れる。電車は空いているから座って、舞城王太郎とか町田康の、尻の形に合わせて曲がった小説を取り出しして、読むのがかっこいいと思っていた。

ヨーロッパ企画の暗い旅「スピードハンモック選手権の旅」を見て笑って、パソコンの前に移動、ストリーミングで「LL教室の試験に出ないJ-POP講座」を聞くという、今人生で一番楽しみにしている土曜日の深夜を堪能しつつ、DELIが松戸市議なこと(いつどこで知ったのか分からないけれど、知っていた)とか、大木兄弟や菊地成孔が千葉出身なこと知っているよ!って思っていた。でも、ツイートできなかったのは、自分が見ている人、ステージの向こう側にいると思っている人から、こちらを見られる、存在を知られるのが苦手な人だからで、そういう人はやめて、気軽にツイートする人になろうと思った。

楽単の朝は早い。一限目には詩歌についての講義があり、はじめに配られる紙に名前を書いて出せばもらえる単位のために、誰もが席につき、そして、腕を枕にした。教授の話は続いていて、その間、後ろの方に座った私は、大学生になってガラケーから機種変したスマートフォンで、『実験4号』の歌詞を検索して、読んでいたというこれが記憶なのか、はたまた夢なのか、定かではない。