ブログ「いらけれ」

無限に書くことが溜まっており、ネタ切れの心配がない日記として、あと一年ぐらいは続きそうな、やはり、ときには休むのも大切だ、という当たり前のことを忘れて、その日は朝から働き続けていた。とはいえ、大した仕事はしていないから、この状況のなか、誰かのために働きに出なければならない人々のことを思うと、私の身は無能ゆえに安全で、その全部が悲しくて、やりきれない。

振り返ってみれば現場優位の、コト消費の10年代は、つまりは接触の時代(握手会!)だったと総括できるわけだが、もちろんそれは、ライブ配信の隆盛とパラレルな現象だったということも、抑えておかなければならないだろう。そして、この先に待っているのは、おそらく壁の時代だ。VR的な何かでteleが近づき、アクリル板的な何かで握手が遠のく。どちらにしても、間に一枚の壁があるという世界。

現都知事を評価したことなんて、一度だってなかったんだけど、「密です!」は良いと思ってしまった。いやこれ現実に、この言葉が流行ることは、セクハラ被害とかを防ぐのでは?(ツイッターで検索してみたら、「近づいてくるキャッチに言おう」と書いている人もいた)。
もちろん究極的には、そんな状況はなくなってしまうのが望ましいわけだが、しかし、私たちがいるのは歴史の過程だから、被害を受ける側が、ある種のユーモアで切り返さなければならない、そうしなければ逃れられないという場面は、これから先も発生し続けるだろうし、そのときの武器として、使えるのではないかと思った。

終わらなかったので、仕事をしながら「渋谷らくご 特別公演」を見た。シブラクは、自分史のなかで大事な会であり、先月は行けなかったという後悔もあり、やはり応援(オウエン)のためには、祈りではなく投げ銭なのではないかと思い、2000円を支払った。ただ、サボっていた支払い手続きを、配信開始20分前から始めたら上手く行かなくて、かなりギリギリになって焦った。クレジットカードの名前のところの、姓と名の間のスペースを、全角ではなく半角にしたら通った。1分前だった。友だちがいないから、ダウンロードしたきり使っていないZoomが立ち上がり、こういうことにも使えるのかと感心した。ちなみに、誰か私とZoom飲み会をしてくれないだろうか。してくれないだろうな。
「三K辰文舎」の3人を嫌いな落語ファンなど、存在しているのだろうか?彼らのことは、何度も生で見ているが、あれほど近くの、真ん前の席に座ったことはなかったので新鮮だった。客席の反応がないところには、一抹の寂しさも覚えたが、やはり高座は素晴らしかった。
ライブも見たことがなかったので、そちらも新鮮。演奏が始まる頃には仕事も終わったから、アルコール度数が9%のハイボール缶を開けた。イレギュラーが生んだ豊かな時間だった。
視聴者数は320名で、演者には大入り袋が配られたという。私と同じ考えの人が、たくさんいたのだろうか。

トータルで見れば良い一日だった。そう思いながら、椅子に座りっぱなしで痛んだ腰を労りつつ、床についた。