ブログ「いらけれ」

「生きる気力が失われている」と書いて、"生"と"失"という二文字が似ていると思った。ああ。頑張ろう。

よく言う。よく聞いた。巨大な、強大な敵が宇宙からから攻めてきたら、人類は一丸となって戦うだろうと。たぶん、そんな風にはならないね。少なくとも日本は、内側から破れていくだろう。フィクションならば信じてもらえないような、あまりにもくだらない理由によって。

自分にとって大事なものを。ことを。

「人狼化するポストモダン」だと思っていたんですよね、少し前まで(参考:「なにかを立ち上げる」)。『寄生獣』的なというか。つまり、私たちは同じって顔をしている隣が、一枚剥いだら怪物みたいなイメージで。
でも違う。違うものになってしまった。それは『ブレードランナー』的な、レプリカントさえ自分がレプリカントであることを知らないというような、自分こそがレプリカントかもしれないというような(詳しくないので、間違っていたらごめんなさい)。
すごい揺らぐ、自分という存在が。これは大変なことだと思うよ。もっと頭が良くて、もっといろんなことに詳しい誰かが書くだろう、この世界に対するクリアな批評。

例えば、計算は得意だけど少し冷めたところのある人と、情に厚いけれどおっちょこちょいな人のバディものを書くだろう、私なら。そこには、補い合う二人の関係が描かれるだろう。
翻って現実。現実は翻っている。もちろん小説は現実ではないけれど、単なる理想に終わるものでもない。現実では、どちらが頭が良いか、優しいかの競争をしている。競争ではなく共創へ。あ、やべ。途端に胡散臭くなってしまった。

地元の西友の、エレベーターの終着点の100円ショップをぐるっと回って、買うものがなくて降りる側のエレベーターの右手は窓になっていて、そこから富士山が見えるよ。天気が良い日には。壮大なものを目の当たりにして、へこっとなる気持ちは信仰の一歩手前といった感じで、うっかり感動しそうになるよ。

競馬とかボートとか、あとスロットとか、詳しくないくせに番組を見るのが好きで、あの、こつこつと収集したデータをもとに、めちゃくちゃ細かい分析を行っていく感じが、とても良い。
楽に稼ぎたくてギャンブルしてるんじゃないのって思う、でも次の瞬間に、人生のほとんどが実は博打であることに気づく。毎日コインをベットしているのに、そういう形をしていないから分からない。何をするか、何を食うか、何時に寝るか、選択のすべてが賭けであり、大なり小なりリターンがある。大手企業に入社するのも、あの道の角に喫茶店を構えるのもギャンブルだ、だから、面接対策をするのも、ビジネスを勉強するのも、スロットで稼ぐために機種の知識を増やすことと、違うのは何を使って金を稼ぐかだけで、本質的には同じものなのかもしれない。いや、やっぱり違うか。