ブログ「いらけれ」

怖いものなんて、何一つなかった。それはだから、僕が小学生と呼ばれているぐらいの頃で、校庭の木は今よりもずっと小さく見えていた。大きくなればもっと小さく見えるだろうと思っていたから木は、大きいけれど小さかった。大きくなった今でも木は相変わらず大きくて、その大きさにびっくりしてしまう。

思い出すあの時があるかぎり、恐れに取り憑かれている今が見える。

晴れやかなはずだった春には、冬にはなかった地面を這う鮮やかな緑が河川敷に続いているから、とても悲しい。満開の桜も桜吹雪も、フィクションのなかでは美しく描かれるばかりで、散った花びらの積み重なったアスファルトの汚さは、現実でしか見られないものだった。

気持ち良いのだろう、大きなあくびをした子どもの隣の子どもが立ち上がり、それを追いかけた大人の陰から、また座る子どもが出てきた。これは、それほど切迫していなかった頃の、切迫していなかった証のような光景、今同じようにしていたら、咎められそうな。

二〇二〇年の三月は具体性でポケットがいっぱいになって、ずっしりと重い。書かなければならないのは、この不満?あるいは、あの不幸?それとも、冗談みたいな希望……なのだろうか。そのどれも書きたくないと思う時、いっぱいの具体性は心を塞ぐバリケードになって、橋の上から見下ろすと、淀んだ川がそこにあった。

押し黙っている僕は、バスの停留所に誰かが置いた椅子に座っている。目の前を通りすぎる車たちを見ていて、車が個室であることに気がつく。ありふれた日常を蹂躙するのは、いつだって、ありがちな非日常だ。しょうがないとつぶやいて、ありのままをしぶしぶ受け入れていくのだとしたら、僕たちは本当の本当に生きていると、胸を張って言えるだろうか。

こんなことは考えずにいたい。一人で歩き続けて、疲れて座ったバス停でコーラでも飲んでいたい。言葉がもたらすのは、アルコール消毒された二メートルではない。それは、目を背けたくなるほど猥雑な、複数の身体が密着する世界だ。

その未来では、口づけの代わりにフルフェイスとガスマスクをぶつけるようになる人々を前に、そのまま死ぬのは気に食わなかっただけだ。正しさならば、いくらかましだったろう。正義の前に置かれた思いに躓いた。だからこれは、すっ転んだ男の日記ではない。もう一度派手にすっ転ぶための約束。エイプリルフールの失われた四月に、僕は本当のことしか言えない。