ブログ「いらけれ」

ABC予想について書かれた記事を読んで、分からなくてぐんにゃりしていた私です。『「異世界からきた」論文を巡って: 望月新一による「ABC予想」の証明と、数学界の戦い』とか、「『宇宙と宇宙をつなぐ数学』未来からやってきた数学理論」とか。あと、2つ目の記事のなかの動画も見た。中高生でも分かるという話で始まって、途中で分からなくなったので、私は小学生なのかしらと思った。
本当にもうすごい、ユーチューブが。でも、続々と開設される有名人の個人チャンネルには、そうは思わない。そういうことじゃなくない?って思う。どっかの会議室で撮った昔話が聞きたかったんだっけ?って思う。それよりも、とにかく学べるからすごい。今日も、朝起きて一番にヘーゲルに入門してしまった(「ヘーゲル入門|京都大学文学研究科 教授 大河内 泰樹 氏|2019.12.05実施」)。関連動画からだ。関連動画はすごい。関連動画はもっとも重要なガイドだって、佐々木敦も言っていた(「佐々木敦、アイドルにハマる 第1回」)。見終わって、私がヘーゲルに入門する意味はどこにあるのかしらと思ったけれど、面白かったから良しとしたい。

未来からやってきたという言葉はすべて嘘だから、言葉は常に過去から。

仕事だけをしていたというわけではないのに、3月のいろんなことが遠い。思ったことを書き留めないのは、とても罪深いこと。そう思ったから、昨日も日記を更新してしまった。とても疲れているから休みたい。まともみたいな顔をしているけれど、本当はそういうまともが苦手だ。コミュニケーションには、どれだけ頭を使っても正解がないから辛い。それなのに、頭を使わずにはいられないから倍辛い。頭を使うから、なんかコミュニケーションが得意な人みたいな立ち位置になる。「なんでだ」と思うが、これは子どもの頃からそうだ。
小6のクラスは一つだったが一つではなく、虫眼鏡で見れば、小さなグループに分割されていたが、僕はすべてのグループ(と言っても、男子だけだが)に友だちがいて、ややオタク気質なグループを本拠としながらも、放課後に野球をする男の子たちとも仲良くしていたのは僕だけで、クラスに欠かせない存在みたいになっていたときも「なんでだ」と思っていたがこれは自慢ではなく、常にただの数合わせ要因でしかなかった僕に親友はできなかったし、内側にいながらずっと疎外感を味わっていたあの頃から何一つ成長しないまま図体だけでかくなって、それなのに人と人の間に立ってまた調整をしているが、それを辛いと知っているのはやはり私だけで、むしろ、そういうことが好きな人みたいな感じになるけれど、違うというのも変だから黙っているが、死ぬまで潤滑油を続けなければならないのだろうか、そうか、私の人生は緩衝材で、ぷちぷちと潰れていく。