ブログ「いらけれ」

時間の問題ではない。いや、時間の問題だ。そういうことではない。「悲しいことは時間が忘れさせる 楽しいことは時間を忘れさせる」と、LIBRO「タイムトラベル」のリリックをつぶやいている場合ではない。根拠と手続きと責任がすっぽ抜けた決断を支持しない。こういうことを言うキャラではないから、この状況下で書くことが辛い。どうにも元気が出ない。

しかし、すべては大した意味を持っていないのだ。生きることも、書くことも。あなたは簡単に、それなしでは生きていけない、なんて言う。書かなければ生きていられないと言ったあなたが生きている。だからといって、私は私の軽薄さを責めたくはない。なぜ書かなければ死ぬと思っていたのか、大げさに受け止めてしまっていたその心を分解したい。

夜桜は、言葉のイメージの方が美しかった。私の周りを花びらが舞った。その瞬間だけは、物語の主人公のようになれた。普通の焼きそばとあんかけ焼きそばがあったら、あんかけを選んでしまいがちだが、やはり、言葉のイメージの方が美味しかった。風が強くなればなるほど、寂しさも増していった。「好きな自分であり続けてくのは 抱き合うことよりずっと難しい」というスネオヘアー「フィルター」の歌詞は、もっともだなと思った。
2020年とは無関係に、夜だから人のいない高校の門には掲示板があって、いくつかのポスターが貼ってあった。目に留まったそれは、第7回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテストの、ポスター部門の最優秀賞作品で、真っ赤な背景のなかに、「いじめてる君にも来るよブーメラン」という文字が浮かんでいた。いじめられた誰かが辛いとか苦しいからではなく、いじめるといつか辛くなる、苦しくなるからやらないというのは、とても現代だなと思った。

癒やしの話が、どこかへ行ってしまった。私のなかでは、「癒える子」という言葉の遠くに、「アナルコ・サンディカリスム」が響いている。好きなタイトルである。文字起こしをするということは、長い時間モニターを見つめるということだ。精神的に参ってしまった私を救ったのは、やはりユーチューブだったが、それは仕事終わりに見る動画ではなかった。文字起こし中のワードの横に表示していた、車載カメラで撮影されたドライブ動画だ。
BGVのように使った。街が、山が、ときには海が流れて行ったが、いつでも上部に青空があったのは、そういう動画を選んだからだ。上手くいかないストレスや、失敗してしまったイライラが、それを見ることで溶けた。友だちとドライブに行くのが好きだと思っていたが、ただドライブが好きなのかなと思った。いや……友だちも好きだと思うよ。
とにかく、このドライブ動画(再生時間が24時間とかある。あと、アメリカとかを走っているのもある)は、苦しむ文字起こサー(?)を救う……かもしれないので、文字起こしの際にはお試しあれ。