ブログ「いらけれ」

大きな音がしたから振り返った。何の変哲もない街があり、音の出処が脳内だと知った。

細胞分裂のことを考えながら、私は座っていた。少しずつ形成されていった私について、少しずつ大きくなっていった私について、物心がついてからの私について。思い出は枯れた井戸だった。目を凝らしても、何も見えなかった。無から生まれて、無に返っていく無だった。夜のように暗かった。水を流して部屋に戻り、そのまま横になった。その闇に目を覚まして、重たい空気を吸い込んでいた。かろうじて呼吸をしていた。苦しみに抗って、不安を和らげる薬を飲む気力さえなかった。主観的な時間は、ゴムのように伸びていた。死んだことはないが、死ぬ必要もないだろうと思った。私は、すでに地獄を生きていた。

肉体も精神も、段階的に破壊されていくのが人生だと悟り、意識の目眩で駅前のベンチに座り込んだ。私の中の私に、ありとあらゆる汚い言葉で罵倒されていた。その胸の痛みは、次第に呪いへと転化していった。誰も私の内心を知らないということだけが救いだった。歯を食いしばって、頭にしまっておけばよかったからだ。

とにかく今は、気丈にしていなければならない。ご存知の通りこの世界は、不条理が理(ことわり)なのだから。外面よりも本当の私の方が良い人間である私を、弱い人間は、理解できないのかもしれないと思った。私は、高潔な私を認めた。生き続けると決めた理由は、それだけしかなかった。それだけが命綱だった。

ブログ「いらけれ」


BUGY CRAXONE「ロマンチスト」

ママ、世界はインチキだけど
思いやりながら生きていくのって
ロマンチックさ

考えないようにしている。いや、思わないようにしている。思わないようにしているという表現の方が正確だ。正確に自分の心を表現してはいけないと学んだばかりなのに、そうしてしまう。

季節の変化は不規則で、暖かくなるかと思えば寒くなる。寒くなったかと思えば熱くなる。熱くなったけれど、涼しい風が吹いている。あれだけ綺麗だった藤の花の紫は、すでに存在をなくしている。どこかから生まれて、どこかへ消えた。

あの藤棚に向かう前に、精神科のある病院の脇を抜ける前に、大きな霊園の正門まで15分ぐらい歩いて、霊園の一番外側の道を15分ぐらい歩いて、小さな出口から出なければならない。最近は、そのルートばかり歩いている。人が少ないというのもあるし、そこで人が死んでいるのが安心という気持ちもある。人は死ぬが、天気雨だった。雨粒はとても小さくて、風に舞っていた。小さな虫がたくさん飛んでいた。どれが虫で、どれが雨だか分からなかった。視界がざわざわしていた。家に着いたら雷が鳴って、大雨になった。開け放った窓からは、ざーっという音が流れ込み続けていた部屋には、蜘蛛がいることを私は知っている。蜘蛛と暮らしてる。私は蜘蛛が嫌いなのに、壁に這うそれをじっと見ていたら、殺してしまうほど嫌う必要もないと、そう思った。でも、ある時突然に、首筋にしがみつかれたら嫌だな、という気分で過ごしている部屋で、私は『トト・ザ・ヒーロー』と『神様メール』と『リトル・ダンサー』を見た。見たはずなのに、何も覚えていない。普段なら絶対にしないような誤読をした。抑うつ状態には、集中力と判断力と記憶力が鈍ってしまうようだ。すべての前と後をつなぐことができない。それでいて、今に専念することもできない。人体実験の真っ只中にある私は、その霊園の側を歩いていた。どれだけ蔑ろにされても、優しくしてしまうから駄目なのかもしれない私の頭の上に何かが落ちてきて、下を見ても何もなかった。向こうからやってきた壮年の男は、すれ違いざまに天を指差したが、私にはその意味が分からなかった。戸惑いながら少し進んで、迷ったけれど踵を返した私を目掛けて、飛んできた烏が顔の横を通り抜けた。そこで初めて、霊園を囲む柵に掲示されていた「カラスに注意してください」という貼り紙の意味が分かった。

ブログ「いらけれ」

崖の上に、人が立っている。こちらを向いている。ヘリコプターから空撮された映像は、とても大きく荒い波が、何十メートルも下の岩壁にぶつかるところまで捉えているが、顔はよく見えない。近づいて左側を抜け、そのまま遠ざかる。気がついたら、あるはずの後ろ姿は消えている。

強く信じている記憶は、その真実味が現実と変わらないのならば、記憶にある出来事が現実にはなかった出来事だったとしても、私にとっての現実になるのならば、妄想でも構わない幸福を、地獄の業火に焼かれながら、強く信じることができるだろうか?

死んでいた脳細胞が復活し、頭が痛くて眠れなかった僕の10時から始まった時間は11時になり、それでも比較的涼しいから助かる。家の近くの大きな交差点は赤信号で、赤信号で止まった目の前の車は、横断歩道に差し掛かっていたから、少しだけバックした。それを見る私は、抗うつ薬を処方されたときに、「飲み始めは腹を下すことがある」と言われたことを思い出していた。精神と身体。精神の薬で下痢になるというのは、どういうことなのだろう。この副作用のように、私の存在が他者を苦しめている。轢かれたいと思った。

まったく最悪の気分だ。なにもない。すべてを放棄する。力がない。知識も意欲もない。手も足も出ない。このまま死ぬと知っている。誰よりも僕に希望がない。これで本当に生きてきたと言えるのだろうか。生まれたことも生きたことも失敗だった。そして未来が死んでいた。

フリーズした夜だった。ときどき、大きな車が走る音が聞こえ、いたたまれなかった。あらゆる手段がとれた。ただし、その勇気がなかった。暗闇に目が慣れ、そこに天井はあったが、僕の上に落ちてくることはなかった。床が抜けることもなかった。僕は、おかしくなってしまった。もっとおかしくなってしまう前に、今を捨てる必要があった。部屋を用意しよう。普通の人のように暮らそう。その世界を見よう。人間のメッキを僕にあげよう。そうしたら、まともな小説の一つぐらい書けるようになるだろう。この決意は、死なない遺書のようなものだった。あるいは、殺さない復讐なのかもしれなかった。考えた時間の長さで、カーテンの向こうが明るくなり始めた。少しずつ、天井は白くなった。"希望の朝"だ、そう思って眠った。

ブログ「いらけれ」

 目的地がないので、どこまで行ったら良いのか分からないで歩いていた。どんどん眠れるようになっていて、間違いなく精神は回復傾向にあって、今日も天気は良かったから、抑うつ日記を期待していた人には申し訳ない。ただ、いつまた悪化するか分からないから怖いし、抑うつ日記を期待している人には、目を離さずにいてほしいと思う。朝が受け入れられるようになって、シャワーを浴びて、カップラーメンを食べて、9時には家を出たら、まぶしい太陽の光。
 新しい病院の話は、またいつかしなければならないわけだが、そこでパニック障害の新しい頓服薬をもらった。知らない国の首都みたいな名前のそれは、「不安時に服用」することになっているのだが、新しい薬を飲むということ自体が不安だから、この薬を飲む前に、別の頓服薬を飲まなければいけない。もちろん、そういうわけにもいかない。それで、どうするかといえば、元気なうちに試しておくのである。部屋にいるときに飲むと、薬のことばかり考えてしまいそうだったから、出かける前に飲んでおいた。私のなかにある、ありったけの不安がなくなるわけがないから、効果は実感できなかったものの、目的は副作用がないか調べることであり、その意味では問題がなさそうだった。だったのだが、一つ、気になるところがあった。それは、首から上の異常な発汗である。
 もともと私は汗っかきだから、大汗をかくのはおかしなことではないが、首から下はそこまで汗をかいていないのに、襟足が雨上がりのようにびしょ濡れになって、顔を覆うマスクのなかには、喉を潤せそうなほどの水滴がたまっていた。
 しかし、この「不安を和らげる薬を飲むのが不安」という、とても小さな心の動きを、私が書き残さなければ、誰かが書き残してくれていただろうか。書き残す意義は決して大きくはないけれど、かといって、ないわけでもないと思っている。
 自分の心を的確に表現できてしまうというのも、考えものなのだろう。怒りを隠して書かれた文章は、平熱の文章ではなく、しっかりと怒りを隠した跡のある文章だった。伝えるということの容易さに比べれば、伝えないということは非常に難しいのだろう。千文字までは、あと少しだが、疲れたから今日はここでやめる。