ブログ「いらけれ」

今日もやったことから数えていこう。
読んだもの:千葉雅也×保坂和志『デッドライン』刊行記念トークイベント、◎木原善彦『アイロニーはなぜ伝わるのか?』(ある意味では種明かし的だ、しかし、そこから新たな手品が生まれてくる感じ。本文中に出てくる「スペクトル派」が、検索しても一つの情報も出てこなかったから、新しいアイロニーなのかと思った(英語版のWikipediaを探したら記事があった)。だいたいのことは、日本語で情報が存在していると思いがちだが、それは勘違いである)
聞いたもの:細馬宏通先生のツイキャス、FINAL SPANK HAPPYのインスタライブ(ともに4月6日)(菊地さんが郷ひろみを歌っていた)、東京ポッド許可局「この志村けんが好き論」、シブラクポッドキャスト「神田鯉栄 扇の的」、文化講演会「映像作家が旅する西アフリカ」

最近のYouTubeのひどい広告のように、あなた(と指を差される私)が、どれだけ足りていないかを思い知らせる(思い知らされる)映像や文章はたくさんあるけれど、あなた(私)が何を持っていて、どれだけ何をやっていて、それがいかに素晴らしいことかを、それとなく教えてくれるコンテンツなんてなかったから、自分で生み出すしかないと思って、こうして記録を付け始めたら調子が良くなってきた。
現代を特徴づけているのは、読んでいない名著や見ていない名作、聞いていない名曲や行っていないイベントがもたらす欠落の感覚と、それが生み出す「あれを、これをしなければならない」という強迫観念だろう。私たちは、"欲求"による"消費"へと急き立てられているのである。
と、難しいことを考えるまでもなく、あなたも何かをしている。何もしていないとしても、何もしていないをしている。つまり、人間にとって非常に重要な休息をとっているのだと考えれば、あなたも何かをしている。そして、三十万円の貯金はなくとも、一万円ならば持っている……みたいな。
しかしこれは、「現状で満足しろ」というメッセージではない。というか、そういう意味ではないと強く言っておきたいし、言っておかなければならないだろう。まずは、持ち物を確かめること(それは忘れてしまいがちな)。それから、何が足りないのかを知ること(それは絶対に必要な)。最後に、どのような"贅沢"を楽しめば良いのか考えること(それは絶対に不必要な)。
世界の秩序は大きく変わってしまったとしても、人生の意味/無意味は変わらない。だから、辿るべき経路は一つだ。

教会の礼拝も中止で、インターネット配信をするという。鍵のかかった部屋でも救済される時代ならば、それはそれとして受け入れるべき……なのだろうか。