ブログ「いらけれ」

木原善彦『UFOとポストモダン』、本論の最後の方に「新たな異質なもの(エイリアン)は、災害や伝染病に対するパラノイア的な不安という形で虫かウィルスのような姿で現れることになるかもしれません」と書いてあって、ゾクッとしました。

ねー。なにがなにやらですねー。大胆かつ思い切ったなにかを、速やかに行うということだけが分かった。それ以外のことは何一つ分からない私は、そこにいる人々と社会的な距離を保ちながら歩いていた。
それでも子どもたちは、団地の公園に大勢集まって遊んでいたから、同じはずの世界も一つではなく、一人が一つの世界を持っているとさえ感じる。それ以前であれば、なにも思わなかったであろう光景が、大きな意味を持って私の元にやってくる。壊れてしまったのは幻想、あるいは物語だったのかもしれないけれど、その幻想や物語は、とても大事なものだったのかもしれない、とも思った。

SNS以降で初めての、インフルエンサー時代のパンデミックについて、考えるべきことはたくさんあるのだろう。難しいことを考えるとき私は、人差し指の腹で側頭部を強く押す癖がある。あと腕を組んで、その左手を顎まで持っていって、口元を隠す癖がある。ただ考えているふりをして、そのフォルムまで考えている自分が苦手だ。そういうところがあるから、Zoomのアカウントを取得したところで、通信する相手がいないのだろう。テレワークという言葉に触れるたびに、テレビがテレビジョンであることを思い出す。接頭辞のtele-は、遠くを意味しているらしい。目の前にテレビがあり、パソコン(と仕事)があり、電話があるのに、すべてが遠く。本質は向こう側にあって……私たちの側にあるのは……幻?

同じものが浮き彫りにするのは違いで、同じチェーン店、同じブランド、同じiPhone、同じ病なのに、こんなにも違うということが嫌なのかもしれないですね。我ながら真面目だな。その真面目さゆえに疲れてしまった私を救ったのは、細馬宏通先生のツイキャスだったりするわけで。新しいことに向かうエネルギーと、(非)日常への鋭い洞察と、優しさ。無意識的なメランコリーから逃れられた私が、誰かを助けていたりもするのかもしれないと思うから、もう少し日記を書き続けようと決める。そうして元気になったあなたが、どこかで誰かに元気を分けたら良い。

今日聞いたもの:文化系トークツイキャスLiveの後半、米粒写経公式チャンネル「シャーロック・ホームズの"爆笑"世界」「世界史スーパースター列伝 君主編」、僕おも「川柳はパターゴルフ」、カルチャーラジオ文学の世界「柳田國男と"遠野物語"」1