ブログ「いらけれ」

先日ここに書いたものが、読み返してみたところ日記じゃなかったので、自分のサイトに移動した(「音楽とか言葉とか発音について」)。書き始めた時は、もっと日記日記したものを書くつもりだったのだが、いつの間にか日記じゃなくなっていた。はじめからあちらに置けばよかったなあなどと、どうでもいいことを考えている。

どうでもいいことといえば、あれを書いているときに着ていたTシャツに英字が書かれていて、書いている途中にそのことに気付いて、そのことをオチにしようかとも考えた。それはまあ、あんまり面白くないと思ったから止めた。ちなみに書かれていたのは、「Sooner or later in life」から始まるプリーモ・レーヴィの『これが人間か』の一節だ(もちろん、"s""o""o"……と、一文字一文字慎重に打ち込んで、グーグルで検索するまで知らなかったことだ)。

より日記らしく書くならば、あるジャーナリストのツイートから考えたことがあるのだが、記事にしようかなーどうしようかな。でも、誰からも必要とされていないからなー、しかし、必要とされているから書くのではなく、書くから必要とされるのであり、必要とされるように書くべきだ、という当たり前のことは知っている。もっと詩的というか、エッセイ的な題材もある。それはアイドルを見ながら思いついたことだが、まあそれも、やる気が起きないので書けない。

羽生竜王の行った講演が記事になっていて、それを読んだ(「羽生竜王の金言、「結果と一致しないことに物事の機微は潜んでいる」」)。曰く

ただ、重圧を感じている時も悪い状態ではない。最悪なのはやる気のない状態。

僕は最悪だ。

ブログ「いらけれ」

「「とくにないよね」2018/03/26 The Bitter End」
……いつまでリンクがあるのか分からないけれど。

2016年の7月に始めて、ただただ続けていたラジオが、3月に終わった。
終わったというか、正確には僕が終わらせた。
終わることに決めたのだった。

終わらせることにした理由はいくつもある。
しかし、その詳しい顛末は書くほどのものではないと思う。

僕たちには、たくさんの問題があった。
それには二人で抱えているものもあったろうし、個人に降りかかっているものもあった。
それは、間違いなくラジオの質の低下にも繋がっていただろうし(自分たちを客観的に判断することはできないけど)、だから、聞く人も減ったのだろうなと思っていたし、誰にも聞かれていないことが、また新たな問題となった(完全なる悪循環)。

会うことや話すことが、様々な事情もあり、色々な意味でキツくなっていた。
お金になるわけでもないのに、続ける理由を見出せなくなっていた。それだけのことだ。

しかし、(これを読んでいるあなたが知ってるかは分からないが)オリエンタルラジオがオールナイトニッポン生放送中にした喧嘩が一つの"伝説"になっているように、問題とは「ネタ」なのかもしれず、それこそが面白いと思う人も多いのかもしれず、僕の一存ではどうにもならない部分もあるとはいえ、無理にでも何とか続けて、もっと殺伐としたやり取りを公開した方が良かったのかもしれないが……今となってはもうどうでもいいことだ。少なくとも今の僕にとっては。

今の僕と違って、(もうあまり覚えていないけれど)始めたときには理想があった(と思う)し、間違いなく自信もあった。
しかしそれは、上手くいかない"現実"の中で失われた。
何かをするとき、表現するなどというときに必要なもの、それは"根拠"のようなものだと思うが、それがなくなってしまった。
意欲がなくなってしまった。自分のすることが面白いと思えない。

僕にさせる気がないので、このラジオが復活することはないだろうが、人生は続く。
思い返せば高校生時代、誰に見せるでもないノートに、誰に言われるでもなく評論や詩のような文章を書いていた。
すべてはその延長線上であって、病気のようなもので、どうしようもなく、僕はまた何かをすると思う。
僕がまた何かをしたその際には、よろしくお願いします。

後藤

ブログ「いらけれ」

「頭痛派」というグループと、その公式サイトを作った。なぜか?

僕にはずっと不満があって、それは、世に出ている人の、その出ている根拠が「肩書き」ということの多さだ。つまり、自称文筆化だから書かせるというように、自称○○だから仕事をふられる、ということの。

と、いうことで!それを逆用しようと考えたのです。「公式サイトがあればそれっぽい」とか、「プロフィールがあれば興味を持ってくれる人がいるかも」と。

「頭痛派」という名前には、宣言文「頭痛派宣言」に書いた意味と、「頭痛の種という言葉もあるように、頭痛には心配や、厄介なものという意味があるから、頭痛派とは、やっかいな人たちのグループ」という裏の意味がある……これらは全て後付けだ。ただ、青梅街道沿いを歩いている時に閃いた神様からの贈り物だ。

それでサイトを作ることになる。ない金から、1000円捻出(ただ、泣きながら払っただけだけど)し、独自ドメインを取得(zutsu-ha.com)、試しに無料サーバーで始めることにした(その後、広告が出るのが嫌だった+慣れてきたということで、有料のサーバー(年3000円!!)に切り替えるのだが、移行が思っていたより大変(専門用語頻出で素人には難しい)で、後悔することになる)。

もちろん初めての体験だったから大変なこともたくさんあったけど、世の中にはクリック数を集めるために、ホームページの作り方を解説しているサイトが山ほどあったし、何よりWordPress様様というか、これまでブログサービスでブログ作ってレイアウトをいじっていたのと、感覚的には大して変わりがなかった(だからもちろん、このブログのデザインを変えるために「HTML」や「CSS」をいじった経験が役に立っているということで、そういう経験もないって人はもっと大変だと思う)。

デザインをいじる中で、作るつもりのなかったアイコン作成の必要性を感じ(見た目が段違いによくなるし、ツイッターでも目立つ)、ペイント(とワードアート)で作ることになる。それで生まれた(僕が生んだ!)のが「頭痛くん」だ。

こいつは本当に気に入っていて、自分で作ったと思えないほど良いと思う。「人は時に、能力や才能を超える何かをしでかしてしまうものだ」と思った。

コンテンツは後から考えようと思っていた。とりあえずプロフィールと、過去のブログ記事の抜粋を上げた(一応、TWICEの記事は追記しました)。これから、今まで僕が話したこと(ラジオ「とくにないよね」)の書き起こしをしたり、新しい何かを書いたりしようと思う。

とはいえ、それらは全部試供品なのだ。僕は、肩書きを偽り、これから仕事をもらおうとする身。あまり無暗に文章を書くべきではない、と考えを改めたし、喋りもそうだ。コンテンツのクオンティティをコントロールしなければならない。

あとはSEOってやつとかで、とにかく、いかにサイトにアクセスしてもらうかが今後の課題。人の心はコントロールできない。何がバズるか分からない。また、それを狙ってはいけないという思いもある。

人の気を引くために、過激なことや流行りに飛びつかず、品よくコンテンツを増やしながら、将来的には、今見てくれている人たちが、未来に「後藤って奴、昔っから知ってたんだよ」と自慢できるように、世界のなかで活躍出来たらと思う。

今んとこ全部が夢物語で、冗談にしか聞こえないだろうけれど、本気だ。その本気度は、サイトを作ったということが証拠だ。

ブログ「いらけれ」

鳥が死んだまさにそのとき、地球の裏側の音楽家は新しい曲を作った。それは早すぎも遅すぎもせず、静かすぎでも派手すぎでもなかった。死の厳かさをまとった曲だったが、音楽家がその曲を発表することはなかった。それが、誰にも聞かれることのなかった曲だ。もし、その曲が世界にもたらされていたら、音楽家は大金持ちになっていただろうに。
音楽家が飼っていた犬は、世界を見ることをしなかったがゆえに、音とにおいの世界を生きた。犬はそれでとても幸福だったので、それでよかった。犬はその幸福を、全身を使って表現し続けていたが、音楽家は生涯気が付くことはなかったけれど、犬も音楽家も幸福だったので、それでよかったのだろう。
その警察官は、音楽家の屋敷の前の並木道をいつも通っていたが、それは、警察官の巡回ルートだったからではなかった。その日も警察官は、並木道を車で運転しながら、考え事をしていた。もし、地球の裏側に誰も知らない木があったらと。警察官は知らなかったけれど、警察官が考えていた木は、世界中から顧みられることのない事実として、確かにあった。


ダニエル・クオン – Judy