音楽とか言葉とか発音について
私は、YouTubeを開いて、そして、「あなたへのおすすめ」に、「Homecomings – Songbirds(Official Music Video)」が表示されているのを見つける。
超絶ステキである。この、超絶ステキな曲を聞きながら私が思い浮かべていたのは、「Shadows of a Setting Sun」で、それは何か、それは何故か、これから述べたいと思う。
「Shadows of a Setting Sun」とは、中邑真輔 (Shinsuke Nakamura)というプロレスラーの現在の入場曲である。WWEというアメリカのプロレス団体で活躍する中邑は、以前「The Rising Sun」という曲をバックに入場していた。
観客が声を合わせて合唱しているのが、よく分かる動画だ。そう、彼は、人気者のヒーローだった。
しかし、最近ダークサイドに落ちてしまい(それも、レッスルマニアという大舞台で!)、今ではAJスタイルズというレスラーへの股間攻撃を執拗に狙うようになってしまったのである。彼の心に何が起こったのだろう?どんな心境の変化があったのだろう?……私にはサッパリ分からない(一応書き加えておくが、私はマークではない)。
彼の、そのダークな変化に合わせるようにして、入場曲が変更された。その曲というのが「The Rising Sun」をアレンジし、合唱を拒否するように、ラップを乗せた「Shadows of a Setting Sun」である。聞いていただきたい。
……「コノヒガクルトオモッタ」と始まったときに、皆さんも一度はズッコケたのではないだろうか。
私はラップに詳しくないので、例えば、「KOHHという日本人のラッパーが、その日本語が、アメリカにおいてどのように受容されたのか」とか、あるいは、「88risingやBTS(防弾少年団)がどう受け止められ、ヒップホップシーンにおいてアジア人のプレゼンスが高まってるのか否か」などは、全然分からないのである。また、ラップを嫌っている訳では全然ないが、聴き分ける耳と知識と素養がないので、「Shadows of a Setting Sun」のラップが、音楽としてどうなのか、判断したり批評することは全然できない。叶うことならば、この曲を解説するような記事を、ラップとプロレスに詳しい人が書いてくれて、読むことができたらなあと思う(私が編集者だったら、誰に執筆を頼むだろう?)。
しかし、この日本語(?)のズッコケ感、違和感については、皆さんと共有できるのではないだろうか。「皆もそうでしょ?」という問いかけが、大抵滑るのを承知でもう一度聞かせてもらう……「コノヒガクルトオモッタ」と始まったときに、皆さんも一度はズッコケたのではないだろうか?発音に対するネイティブの残酷なほど敏感な耳……。
私はHomecomingsの「GREAT ESCAPE」という曲が好きで、よく聞いていた。だから、このバンドの曲の英語の発音について、よく否定的なコメントがされることも知っていた。英語、よく分からないし、気にならないと思っていた(変なのだろうな、とは流石に分かった)。でも、今ならコメントする人の気持ちが分かる気がする。「Shadows of a Setting Sun」を通じて分かった気がしたのである。(「Shadows of a Setting Sun」は明らかに文法などもおかしいが、Homecomingsの楽曲のそれがどうなのかは、英語が分からない以上私には分からない。そしてそれは、ここでは重要ではないので置いておく)
全てをチェックしたわけではないが、「Shadows of a Setting Sun」の動画に付いている英語のコメントは、好意的なものも多い(”Shadows of a Setting Sun reaction”でyoutube検索をしてみれば、外国人がめちゃくちゃ絶賛している動画も見られる)が、日本語のコメントは、否定的なものが多いようだ。
その言語を理解しない人にとって、言語のおかしさはあまり問題にされない。問題にするのは、その言語を理解する者ばかりである。また、片言(カタコト)や訛り、歪さやズレはチャームにもなるのであって、ただ正しい発音にすればいいとか、ことはそう単純ではない。私が、一度はズッコケながらも「Shadows of a Setting Sun」に魅力を感じているように、英語を母語とする人も「Songbirds」を(一度はズッコケるかもしれないが)イイネ!と言ってくれるかもしれないし、Homecomingsの魅力はあの発音だとも言える。
この拒否感の真ん中は、○○語を理解する者として、○○語として差し出されるものが、「確かにそうだ」と認められないときに感じる、くすぐったさなのだろう。変な日本語で書かれたタトゥーやTシャツ(「極度乾燥(しなさい)」)に感じる、あの気恥ずかしさのような。ハリウッド映画で日本人キャラの言葉が適当だったときに感じる、あの居心地の悪さのような。
……こうした「言葉」を、皆がただ否定したり拒否するのではなくて、それを、そのおかしみを含めて味わうようになれたら、もっと世界がよくなるのかなーという、ビックリするほど雑な締めで、終わります。
ディスカッション
コメント一覧
彼らは本当に日本人なんですかね?それ次第でこのおかしい日本語の文法と発音の受け止め方が変わってしまう自分が悲しいと思いながらコメント打ってます。
kyono様
コメントありがとうございます。
国籍など詳しいことは情報を見つけることができていないので分かりませんが、少なくともボーカルの方は、日本語のネイティブスピーカーではないのではないかと、私は捉えています。
記事にもある通り、英語の歌を日本人が歌ったり、あるいは、日本語の歌を外国人が歌うことには、その行為の持つ特有の魅力があります。アグネス・チャンさんのカタコトが愛されているように(リアルタイムではないので、上の世代を見てのイメージですが)。ですから、表現それ自体は、とても豊かなことだと思うのです。
つまり、kyonoさんが書かれている通り、受け止め方の問題ですよね(kyonoさんの、自分についての告白はとても正直で、尊敬します)。
おそらく、日本でも同じように○○語として話されていたり、大雑把に○○人として一括りにしているものの中にも、当事者にしてみれば、おかしなものが相当含まれているはずですし、それはだから、人間の他所に対する認知や気遣いなど、その程度のもんだし、しょうがないだろうということなのですが……。
同じWWEに所属するジンダーマハルの入場曲のヒンディー語?について、それが中邑真輔の入場曲と同じようにおかしいものである可能性には、なかなか思い至らないのに、しかし、自分のこととなると話は別で、アメリカのみならず世界中で、(おそらく)日本語ネイティブじゃない人が歌っている歌が、日本人レスラーの入場曲だからといって、その歌詞や発音のおかしさがスルーされ、日本語だと思われているのは、「なんか嫌」なもので。例えば、「歌っている人は、日系のアメリカ人で、日本語話者ではないです」などと正式にアナウンスされ、それとして(つまり非ネイティブが歌っているものとして)、受容されているのならば、こちらの違和感も少しは減少するのでしょうが。
返信していて、私は正しい日本語(そんなものあるのか?)で歌ってほしいのか、おかしな日本語であることを世界中に知ってほしいのかすら、自分でも分からなくなってしまいました。考えがまとまらないので(すいません!)、このあたりで今回の返信は終わりますが、またコメントなどいただけると幸いです。以後お見知りおきを。