ブログ「いらけれ」

何かをしなければと、いつも焦っている気がする。見たい映画がなかったというのが一番デカいけど、映画館へ行くのをやめてしまった。ここのところ、毎週行っていたのに。本当に焦る、焦っても良いことないのにね。
今はこうして、書く練習をすることと、いろんなものをインプットすることを、両方やりたいと思っている。自分の人生にとって、そういう時期だと思っている。
書くことは続けている。ただ続けているだけだけどね。バイトを首にならなければ、ドメインとサーバーの更新もするだろう。
この先に何があるか分からない。いつか単著を出したい。そのためにはもっと、もっと面白いものに触れなければ。あ、そうそう、僕の書いた記事と、僕の名前がネットに載るそうですよ。まずは、良かったですね。

立っている人のすぐ近くに固い球を投げて、投げられた人は、それを観客席に向かって打ち込もうとするって、野球は野蛮なスポーツなのでは?という感じが、立ち止まって考えてみると、すごいするなーって思いながらナイターを見ていた。
ナイターを見ていた。すっとこどっこいなプレーが起こった。みのもんたにナレーションしてほしいような珍プレーだった。野球は、すっとこなプレーもエンタメになっていると思う。いつだって「なにやってんだよ」って、応援しているチームにも、相手チームにも言いたい。プロがすっとこしてお金になるってのは珍しいんじゃない?味わうってことが、すっとこの味わい方が、長年の蓄積でファンの中で共有されているっていうことなんだろう。

日常はこのように、ささやかに差し出されるべきものだ。映像や音の強さに、その有無を言わせぬ強制力に対して、文章に何ができるかということ。わざわざ文字を目で追って、読んで、頭で理解したり、想像したりという一連の運動の中に、何を孕ませるかという企み。即効性のない、ゆっくりとまわる毒のような。成功しているとは思っていない、ただ、試してはいる。

夕方に変な音がする。窓の外を見ると大雨が降っていた。大雨という言葉ではとても伝わらないような雨だ。雷も鳴り始めた。とても近くに落ちたらしかった。雷光で目の端がまぶしかった。誰かが巨大なカメラのシャッターを切っている。心がざわついた。少し緊張する。この部屋から逃れられないのだと思うと呼吸が苦しくなる。水害を想像する。
帰るころにはすっかり弱まっていた雨。街に残っていたのは跡だけだった。しかし、落雷のせいで電車は止まっていた。止まっていたらしかったというべきか。駅前に人が溜まっていた。ちょうど運転再開のアナウンスがあって、僕は改札を通ったけど、電車が来て、発車するまでにはもう20分くらいかかった。

ラジコから良さげなイントロが流れてきて、誰かなって確認したら、The Lemon Twigsの新曲(俺が知らなかっただけで、7月には発表されてたらしいけど)だった。俺は前にも、彼らの音楽に掴まれたことがあったし、彼らとは気が合うのかもしれないな。

The Lemon Twigs – Small Victories

ブログ「いらけれ」

東京ポッド許可局で話題になってたセブンイレブンの揚げぎんなん買って、お酒を飲みながら書いている。思っていた食感とまったくもって違ったけど、おいしい大人の味ほろにが。コンビニは、仕事をするようになってからよく行くようになって、「会計終わり店員さんにニコッとしながら『ありがとうございました』って言う運動」を、一人展開しているほどの僕ですが、最近、家で使っているマウスが、一度押しただけなのに二度押されたみたいになることがよくあって、そういうのにはイライラしてしまう。動作が重くなる時とかもイライラしているけれど、本当にこのイライラはなんだ、なんなんだというか、なぜこんなことにイライラするようになってしまったのかと思う。パソコンには独特の、イライラの誘因となる何かがある。おそらく諸悪の根源はこの計算機で、これでインターネットが始まってしまったのは、不幸なことだったのかもしれない。

仕事の電話はあんなにしゃべれないのに、普段のトークはペラペラと、むしろ得意な感じなのはなぜ。そんなことはどうでもいい。とにかくおしゃべりは楽しく、世界中の人に全手動おしゃべりマシーンとして利用してほしいという感じだ。みなさん、メールなりコメントなりいただければ、いつでも電話でもなんでもしますよ!!……って、ねえ。そんな人いないよねえ。楽しいのは僕だけだからねえ。

オレンジの壁と無数の筋交いの巨大駐車場を見たとき、僕を襲ったのは強烈な懐かしさだったけど、襲われたその時には分からず、言葉にならない気持ちだと思った。そういえば、到着した駅は大学時代に毎日乗り換えで使っていたんだった。あの日々を生きているとき、それは一日一日だったけど、今となっては全部くっついているあの日々の、細かい思い出ではない、ぼんやりとした全体像が見えた。それはただ、過ぎてしまったもので、そしてそれは、すべては過ぎていってしまうということを僕に理解させた。


アニメ井戸端会議(2018年8月23日配信)【WOWOWぷらすと】

細田守論が語られていて面白かったので。工業製品性と作家性のバランスが悪いっていうのは、『未来のミライ』を見て僕も感じたことだったけど、そのどちらかに振り切るのではなく、僕としてはこの挑戦を続けていってほしいと思った。いつかの未来には、両方ともが噛み合った大傑作ができるかもしれないし。まあ、失敗続きで映画撮れなくなるミライかもしれないけど。
あ、そうそう、
「【お知らせ】2018-2019シーズンのNBAバスケットボール中継について(8/24)」
これを読んで「うっわー」って「井戸端会議うっわー」ってなった。別にWOWOWと契約していたわけでもないけど。でも「楽天うっわー」ってなった。井戸端会議だけでも続いてほしいと思うものの、他サービスの宣伝になってしまうという性質上、難しいよなあと。イニエスタとっちゃう楽天までいかないにしても、それなりにお金のある井戸端会議ファンが、個人的にお金をだして、番組をやってもらうしかないね。

ブログ「いらけれ」

「2018/08/26 今日のボイスメモ」
ポッドキャストが更新されてるから、聞くといいよ。正直、再生数もクソ少ないし、ずっと続けているのに広がりないし、そっち方面のやる気はない。無力感でいっぱいになってしまってる。だけど、やってるとなんだかんだ楽しいから。今回は声が暗いけど、暗いのは声だけでニコニコだったよ。

「彼らのなかに、確信として悪徳が実ってしまっているのならば、対抗手段はシステムしかないでしょ」って、話題のニック・ランドについて書かれたブログ記事を読んで思って、しかし、こういう考え方こそが分断や抑圧を生んでいる気もして、「彼らも人間なのだから、話し合いましょう」という思想も一方ではあって、この両極の間で揺れているのが今の自分なのだなって思った。

「世界は、世界の外側からしか分からない」というのが、今外側にいる僕の意見だ。そしてこれは、内側にいると分からないことで、つまり、社会生活を営む多くの人が世界を分からずにいるということだし、分かっていないことが分かっていないということでもあって、また、分からないまま死んでいくということだと思っている。
分からないまま死んでいくほうが幸せなのだろうけれど、世界のことが分かっていない人々によって占められて作られていく世界は不幸だと思った。

ハンバーグを切っている。将棋をやっていると分かるのは、間違えるのは選択肢がある方なんだよね。必然の一手なら、初級者でも選べるんだけど、道がたくさんあるときにこそ、ダメな選択肢を選んでしまうわけでね。でも、こういうのを人生にそのままスライドする奴はバカだよな。そういう奴をバカと言います。人生は将棋のように勝ち負けのゲームではないし、何が正解かも分からないんだから。ピンときた。今理解した。僕の文章には誠実さが足りないんだ。そういうことだったのか。もっと誠実に書かなければならないんだ。しかし、逃げ出した人ってそんなに恐ろしいだろうか。その人にバッタリ出会って何かされる可能性より、普段不義理をしている人に何かされる可能性の方が、よっぽど高いと思うけど。ハンバーグの味はよく分からなかった。

24時間テレビが放送されているらしい。やっていること自体も、その内容もほとんど知らなくて、なんか申し訳なくなった。お金をかけて作っているだろうし、宣伝もしていただろうに。ひとえに私がテレビに疎いことが悪いのでありまして。しかし、どうせポエムを流しているんでしょ?……ある言葉を「ポエムだ」と言うことで、何かを言ったつもりになっている人も、あるいは社会も、ポエムによって動かされているんだ。ポエム以外の言葉は力を持たないだろうとまで、僕は考えている。だからこそ、ちゃんとポエムを見ていくことの方が重要だと思うね。


Rex Orange County – Sunflower

ブログ「いらけれ」

つぶやいてほしい人ほどつぶやいてもらえないのがツイッターです。

「佐藤大のプラマイゼロ」で話されていた"事故"といえば、それこそ『カウボーイビバップ』の劇場版をアニマックスで見て、見てというか、最初はたまたま回していたらやっていて、何か絵がカッコイイなーとか思いつつチャンネルを変えて、変えても気になってしょうがなかったから戻して、かっこつけてる感じかーとか思ってやっぱり変えて、でも気になってしょうがないから戻して……みたいなことをして、それで名前を知って、次にいつ放送されるかを調べて、それで頭から見てヤラレて、テレビ版も見てハマってという感じだったなあ。
そろそろビバップは見直さなければいけないと思うんです。もちろん色々な理由によって、作品に呼ばれている気がするし、それは僕の人生にとって重要なことだから。

TWICEの日本での活動を見て思うのは、映画の宣伝とかもそうだけど、韓国で活動していた時から好きだったようなガチな人ってのは、文化に対する執着がすごい人だから、世界の音楽とかの文化的な流行を知っていて、それに引けを取らないというか、むしろ上回ってるんじゃね?みたいなところが好きになったりするわけじゃないですか。で、日本は市場のガラパゴス化すごいから、日本デビューってなると、それに合わせてコンセプトを作っていくわけだけど、それにガチな人はなんか「えっ」てなって、それを発言して、それで、そういうガチな人ってフォロワーが多かったりするから、なんか微妙っていう空気が作られていくみたいなのがあると思うんです。
もちろん「これでいいのかな……」という気持ちは共有しつつ、でも僕は、そういう齟齬というか、韓国での曲と、日本での曲が全然違うみたいな、そういう文化的差異を考察するのとかが面白いと思って、楽しんでしまうんですけどね。

人間の脳が考えられるかぎりの業火を夢に見た。僕ら少年少女は合宿所にいた。二階の窓から夏の街を見ていた。突然、とても遠いどこかから、巨大な円柱上の炎が、見えないほど上の方まで伸びた。「なんだあれ……」と言っている内に、炎は街を伝って、近づいてくる。慌てて僕らはプールに飛び込んだけど、炎は頭上を覆って、僕らは死んだ……。
夢占いとか、俗な夢診断を僕は信じていないけれど、あれがなんだったのか、僕の深層心理に何があるのか、そのことについてはよーく考えてみる必要があるなって、そう思うんだ。

書いているのは毎日、時間に追われるようである。本当にその時思ったこと、考えたことをまとめているだけだ。書き終わったらタイトルを付ける。基本的には内容に合わせて。だから、まったく気がついていなかった。このブログタイトルの並びを見るまでは。うん、やっぱり疲れているのかもしれない。精神状態がヤバい人って感じがすごいするもの。だからか分からないけれど、「風待ち」を聞いたら泣いてしまったもんね。

GRAPEVINE – 風待ち

あれ?いつの間にこんなに疲れたのかなあ
まだいけるつもり ちょっとはつらい