ブログ「いらけれ」

最近は仕事のことばかり考えてしまっている。今の職場をいつ辞めて、辞めるなら何をするというのか、そんなことばかり。人としてダメだから堪え性がないので、それにこのままでは未来が見えないので、新天地を探したい。ここにいたことは、文無しからの緊急避難にはなったわけで、それだけでもよしとしたいところだ。懐に余裕のあるうちに、いろんな企業に応募して、ステップアップ先を探そう。どこがいいかなー。
追記:とりあえず新しいところに応募してみた。会社名だけじゃなく、職種とかも書かないでおくけど。僕は頭がいいからね!恥ずかしい自己PRと志望動機を書いて、その内容も書かないでおくけど、とにかく一歩踏み出してみた。ここですぐに決まるとも思えないが、近いうちに、別のところに移ることになるだろう。どうなるんだろうなー。未来が楽しみだってことにしておく。しておく。

テレビで自動ブレーキの話。それを聞いて、車で崖に突っ込もうにも、速度は出ないし、直前で止まるしってなるんだろうなって思った。誰かの労りのおかげさまで、死ねなくなる社会。そんで、その妄想は飛躍して、僕たちを生かす優しい権力者の作った街が、ビルから人が飛び降りると形をウネッと変えて、下がクッションのようになって、どうやっても死ねないというSFになった。
これはSFで、現実はきっと、そんな大変なことせずに、死にたいと思わないように、脳にアプローチしてくるんじゃないかと思う。薬か電極か、はたまた情報か環境かは分からないけれど。誰もが希死念慮を抱かなくなった世界は、ユートピアなのだろうか。

いつもいなかった誰かみたいだった私が、青梅街道沿いのサイゼリヤで、黙って探していた最後の間違いを見つけたときに兄は、これまでのことを責めるような目でこちらを見ていた。これまでのことを責められていると思ったのは私の勝手だ。ただ団欒の時間に、一言も発さずに、子どもを黙らせるために置かれている間違い探しすることで、子どものように黙った今の数十分に怒っていたのであって、それも分かっていたけれど、まず高校に行かなくなって、家に帰らなくなって、顔を合わせなくなっていたのだから、久しぶりに会う気まずさを思ってほしかったし、なによりも、まずここにいることを祝福してほしかったわけよ、私は。あと、黙るのが長くなってしまったのは、間違い探しが難しすぎるからだし……。

人の一生を左右するドラフト、日付変わって今日のことだね。とても楽しみにしている。別に、誰がチームに来ても応援するし、有力選手の誰がどこに行っても構わない。僕の楽しみ方は、指名された選手の名前で検索して、成績を調べたり、フォームを見たりして、来年を妄想すること。小川の時なんか「かなりいいんじゃね?」って思ってたし、大下も「世評よりはやれそうだけどなあ」って思ってたよ!(後出しじゃんけん)
まあでも、人の仕事場がどこになるかより、自分の仕事場の心配をした方がいいことは、重々承知の助だ。

ブログ「いらけれ」

僕の脳内という「そこ」にある街の、犬一匹の位置を気にするように、あるいは、構築する世界の細部にまでこだわるように、今を文章化するためにある気構えを持って、毎日に立ち向かっていたというのに、それがさっき、突然に、雷に打たれたようにどうでもよくなった。
僕がさっきまでしていたのは、ドミューンを見ることで、それはあの、新宿でしか手に入れることができない、新宿歌舞伎町を舞台に書かれた文学についてで、それはまあ、それとして、とにかく、「菊地成孔の粋な夜電波」が終わるということを知ったからだろう。
想像以上に、精神的な支えになっていたらしい番組の終わり、それも打ち切りということで腰が砕けたようになって、ただただTBSラジオ許すまじという気分にしかならない。編成という、こちらからは見えないところで、何かが起こっているのか?内紛か?政変か?
僕がしたかったのは、僕が面白いと思う好きなものを、僕が経て、僕がなにかを思って、僕が書いて、僕が伝えるという、どのつまりそういうことで、だから、好きなものがなくなってしまえば、僕に書く理由も、動機もなくなってしまうのだし、確実に一歩、僕が書くという行為が、終わりへ近づいたわけだ。

ある時期から、死ぬことばかり考えるようになった。中学校に火を放って、その校舎の中で死ぬという妄想を、いつも寝る前にしていた。死にたさは、年を取ったらなくなるのかと思っていたが、そんなことはなかった。今でも、いつも死ぬことばかり考えているが、死なないでいる理由は増えた。楽しいことが増えたわけではない。楽しいと思うことが、うまくなったのだと思う。

「特別編-対話のボイスメモ2-1」
僕のポッドキャスト「ボイスメモを公開する。」の特別編が公開されました。実は収録したのが10日で、「もうすぐ公開すると思うのでお楽しみに!」と書いたのが13日で、なにやってたんだって話ですけど、むしろなにもしていなかったからこそ、更新されなかったわけですね。はい。
内容についてですが、仕事内容に関する赤裸々な告白という、誰が聞きたいのか分からない話から始まり、最終的には人間という存在の、生の不可思議さについてという、それこそ誰が聞きたいのか分からない話になってますけれども、少なくとも、ラジオを聞き始めた中学生のころの僕が聞きたかったような中身にはなっていると思います。僕は、あの頃の自分のために、あの頃の自分のような人のために、今生きていて、発信をしているというところがあるのでね。
なにはともあれ、50分と少々長くなっておりますが、ぜひに皆さまに聞いていただきたいという宣伝?です。また、この続きの音声が、これから二週にわたって公開されますので、そちらもお楽しみに。

ブログ「いらけれ」

20時の段階で一文字も書けていないという、ブロガー人生最大のピンチ、ピンチっていうかまあ、やめてしまえばいいだけなのだが、ともかく、いつもwordpressに文字を書き込んでいるわけだけれども、それが0、0文字というわけではなくて、0と書き込んであるのだが、その理由は、パーマリンクの仕様とかもあって、先にタグ付けや公開日時などを指定したフォーマットを作ってから、あとでタイトルや内容を上書きしていくというスタイルを取っていて、それで、0文字だとその外枠も作れないから、一応入力する文字がいつも0で、このままではそれが公開されてしまうというわけで、焦っているから一刻も早く家のキーボードの前に、と駆け込んだ、と書くと何を思われるか分からないから、極めてゆっくりと駆け込んだ特急電車の中でも、それを降りて、乗り換えのために雑踏を抜けて、アイドル?の路上ライブに集まった十数人の脇を抜けて、赤信号で足止めを食らいながらも書いて、また電車に乗って書いて、「粋な夜電波」が終わったから「ラジオ寄席」に変えて書いて、書くことがなかったわけではない というか、むしろ書くことはたくさんあって、今日だけでも、荻上チキの目眩と頭痛が、近くのものばかりを見ていたことによる目の疲れから来ていたという話をラジオで聞いたから、朝の電車の中から遠くの景色ばかり見ていて、そうしたら、いつも仕事終わりになる頭痛が、今日はしないなあと、やはり遠くを見るべきなのだなあと、夜空に何か遠くのものをと探したら、すごい月だ!とかではなく、もっとさまざまな、なかには大きな出来事もあったのだが、昨日は帰ってきてから、心の調子が良くなったことを実感したから、ほっぽっていた作業をこなして、それから書こうと思っていたが、疲れて寝てしまったから、僕はスマートフォンを握って、それでは書けることも限られているから、こうして一筆書きをしている内に家に着いて、生野菜と唐揚げと納得ご飯を食べて、風呂に入って、また昨日のことを考えてしまって、それはまだ書いていない大きな出来事についてで、そこで起きたことについて悩んだまま上がって、それでウイスキーを入れて、パソコンの前に座って、やっと今、キーボードに向かってこれを書いていると、ここまで朝の電車のなかで書いたが、その後に大変なことが起こってしまったから文章は、スマートフォンの中に残されたまま、ブログが更新されることはなかった。

ブログ「いらけれ」

時間がかかったけれども、分かってよかったのは、完全に心の調子が狂っていたということで、プロ野球選手だったら、原因不明のコンディション不良で二軍落ちしていただろう。ここ最近のすべてが、不調と不調からくる空元気だったということを、元カノの名前をググっているときに気付いた。虚しくなって、大きく落ち込んだ先で、やっと精神の変調を理解した。こんなときに書くものが面白いわけがない。こんなときじゃなければ面白いものが書けるみたいじゃないか。そもそも、お前は人間としての能力が低いんだという声が聞こえる。それは、尊敬する物書きが、本を書き、もちろんそのための調べものをしながら、フルタイムで働いているという事実を知ったことも大きいかもしれない。そんなことはない、だって、声はその事実を知る前からずっと聞こえていたのだから。だから、自分が憧れを抱いている人物のように、何かを知っているということがないということは、分かっていたのだ。文化資本も教養もない、それを補う才能もない。今日やったことといえば、1円玉ぐらいの大きさのクモをつぶすことだけ。嘘、靴も洗った。真夜中に自分を見限ろうとしていたところ、TWICEのミニアルバムリリースと、頼んでいたTシャツの発送を知って持ち直して、朝起きてから意気揚々と、来月の渋谷らくごのチケットを取ったり、求人情報を調べて、ラジオ制作の仕事に応募しようと思ったり、靴の乾き具合を確かめたりしながら、外に出た。合間に、LINEで渋谷らくごの話をしていた友達に、予約した回の出演者である柳亭小痴楽のラジオが面白かったという話をして、おすすめもした。ここまではよかったし、散歩をしながら聞いた、渋谷らくごのポッドキャストの月間太福マガジンも素晴らしかった。ただ、大雨が降ったのが計算外だった。片側の空が茶色くなって、雷鳴が聞こえた。遠くの空は晴れている。少しずつ視界に縦線が入るようになってきた。その内に雨が段々と強くなって、いつのまにかびしょ濡れになって、着ていたシャツが肌に張り付いた。遠くの空は晴れているのになあ。脳内には、見たこともないのにくっきりと、少女が浪曲師になろうとして挫折する姿が、アニメーションの絵で思い浮かんでいた。こちらから迎えにいかなくても、想像がやってくるというのが、芸能の力だと本当に思う。突然の稲光。恐ろしくなって走った。しかし、雷が落ちたのはその一度きりだった。みっともない姿のまま、歩みを進めていたら、雨雲を抜けた。雨の中の興奮では気付かなかったが、秋の風はとても冷たくて寒くて、泣きそうになる。僕が何をしたっていうんだ。家に着いたけど、干していた靴を取り込むまでに、たくさんの手順を踏まなければならなかった。お湯を沸かして、久しぶりにホットコーヒーを飲んで、一息ついた。生き返る心地だった。生きていることに対して、少し前向きになった。だから、これを書きながら聞いていたラジオから流れてきた、情報の少ない音楽家の音楽に感動して泣くこともできた。つまり、神様はそこにいた。


Keath Mead『Sunday Dinner』