ブログ「いらけれ」

毎日、毎日やる気でねーって言っている気がする毎日。楽してお金持ちになるか、有名人になるかしたいなあ。努力しないで報われたいなあ。見えているものは面白いし、予定もいっぱいあるのに、劇的なことは何もないなあ。しょんぼり。
立川吉笑さんが、「SHIBA-HAMA ラジオ」で一つの企みを成功させていて、裏番組のオリラジ中田氏にツイートが届いているのとかを見ると、うっうわーってなって、すっすごいなあって思って、自分も啓発されたようになる。『カメラを止めるな!』の上田監督のインタビューも好きでよく読んでいて、それでも同じ気持ちになることが多い。失敗する気で何かを動かさないと、どうにもならないんだ。だから、またなんかしよう俺。

一つの動きとして、「対話のボイスメモ」の続編を収録するために、お相手をお願いして、承諾をいただいて、お話ししてきた。2時間半、僕みたいな奴との会話に付き合っていただいて、本当にありがたかった。あと、時間読みを間違えて、開始予定時間に提供されたナポリタンを食うのを、前で待っていただいたのも(笑)。内容はすごいと思う。客のほとんどいない喫茶店で、非常に真面目な話をしているので。かなり、聞きごたえがあるでしょう。もうすぐ公開すると思うのでお楽しみに!

駅前にずっとあった地方銀行が潰れたのは知っていた。張り紙を見たからね。そんで今日、アルバイトの求人を見ていたら、ドラッグストアのオープニングスタッフを募集していて、場所が、どう考えても銀行のところ。普通じゃんって思う?でも、道を挟んで隣の隣が、ばっちり別のドラッグストアなのよね。ドラッグストア戦争が起きるのだろうか、大丈夫かなあ、どっちの店舗も。(こうして書かれたコレが何を意味しているのか、あなたはいつか分かるだろう)

自分にいいところなんて、数えるくらいどころか、ほとんどないし、「誇れるものは何ひとつ持ってねー」@『ばかやろう』って感じだから、だから誰にも見向きもされない人生なのは分かっていて、それでも、あえてでも書くけれど、僕の言葉には、裏に悪意が込められてない、他意がきっぱりとないところが美点だなと思った。含みがないとも言えて、面白みっていうのがないのかもしれないけれど、とにかく目の前の誰かに対して話す言葉が、すべて単純にその通りなのだ。自分の言葉から逃げ出したくなるほどに、本当のことしか言わない自分が、やはり少しはグッドだなと思う。いつまでもこのままでいられるように、そのようにいたいと思う。

ブログ「いらけれ」

僕は、単著を出すことが目標だって、ずっと言ってきたし、ここにも書いたかもしれないけれど、それって誰もが認めることだからしたいだけ、世間的に価値があると思われているからやりたいだけなのではないだろうか、僕よ。本当に世の中変えたいのなら、それじゃだめだよね。
ネットで場を設けて、こうして文章を毎日更新していることのほうが、本を書いて出すことよりも、本質的にはすごいことなはずだ。媒体はなんでもいい、とにかく読まれればいい。書くことで暮らしていくことを目標にするべきだろう。

昨日からこっち、首が痛いんです。『首が痛い歌』を歌いたいくらいに、首が重いんです、とにかく。もうずっと高校生とかのころから、首とか肩とか、あと腰とか、ジョイント部分が悪いんで、本当に困っているんですけどね。首肩が凝ると頭も痛くなって、昨日のことも思い出せないほどになにも考えられなくなってしまうし。パソコンをやめ、スマホをやめ、ちょうどいい本でも読んで、ゆっくりするのがいいことは分かっているんですけど、なかなかそういうわけにもいかないし。なにかいい対策はないものでしょうか。

ここのところうまく眠れないで、短い睡眠時間で仕事に行っていたからか、眠りすぎて13時に起きた。気づかなかったけど宅配便が来ていたようで、不在票が入っていたという。出かけるついでに荷物を取り出したら、懸念の品だった。船便で来たからか、緩衝材でフワフワしている。歩きながら「東京ポッド許可局」を聞いて、話題が二週目に入っているなあと思った。やっぱりこういうラジオは、毎週ネタトークするより難しいのだろう。人のこと言えないけど。いつも同じようなことをブログに書いていて、なんだけど。人間、そんなにたくさん鋭いことって言えないよ。
ちょっと遠くの業務スーパーへ行く。いろんなものがあって、いつも楽しい気持ちになる。今日は、1キロの紙パック入り水ようかんを買った。家に帰って、配達物の包装を開けて、CDをトレイに突っ込んで、流しながらこれを書いている。洪申豪『bored』は素晴らしくて、手に入れた甲斐があった。

書くことはあって、始まってしまえば流れのようなものができていって、それに乗っていけばいいだけで、すぐに500字くらい書けてしまうのも分かっているんだけど、そこに行くための道を作るのが難しい。キーボードの前で30分悩んだりしてしまう。書くための"構え"を作るその方法を見つけたい。ただ、毎回同じように、同じ気持ちで書けるようになってしまっても、それはそれでつまらない気もする。試行錯誤しながら、書くことに向かっていけるようなやり方を。

ブログ「いらけれ」

もう、ちょっと古いニュースになってしまったけど、バンクシーの絵画が、オークションで落札された瞬間、仕込まれていたシュレッダーで自壊したというあれを見て、その紙片の一本一本が何百万で売れて、元の絵の値段より高くなったらもっと面白いのに、と思った。と、これをツイートした後に流れてきた情報によれば、一本一本が売れているわけではないのかもしれないけど、とにかく絵としての値段が釣り上がっていて、なんならそれをオークションと結託して狙っていたのではないかという話まで出ていて、なんかこう心が引いて、全部面白くなくなっちゃった。そういうのはダサい。

例えば、僕はよく金儲け主義に対する悪口を言う。「酸っぱい葡萄」という寓話を思い出す。僕は、僕が「酸っぱい葡萄」なのかどうか分からない。それは「酸っぱい葡萄」なのに否定しまうときもあるだろうし、「酸っぱい葡萄」ではないのに概念に引き寄せられて、「酸っぱい葡萄」だと思い込んでいくときもあるだろう。これは少し前に「シャーデンフロイデ」という言葉について、ここに書いたことと似ている。つまり、自分に騙されてしまうということがあるだろうということで、自分を信じ込むことができない。
正しそうに見えるものにべったりと寄りかかることなく、しかし、あらゆることを謙虚に学びながら、自分の足で立って、冷静に思考していきたいと思っている。でも、それは不可能な夢のようなもので、偏った僕がそこにいる。

イギリスでフットボールが続いてる。お金持ちたちがボールを追いかけている。寝っ転がってそれを見ている。試合は、達人たちがお互いの力を認め合って、先に仕掛けた方が不利になるから、手を出せずに睨み合ってるみたいだった。つまり、何も起こらなかった。とても豪華な退屈は、深夜のコーヒーの味とよく合った。

どんな未来が訪れても戸惑わないようにと思って、『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』を通勤の時間などを上手く使うことによって、すべて読んだ。まあ今と繋がるところも多いし、分かるところも多いけれど、とはいえ予想通りというか、想定の範囲内というか、自分に必要なのはこの先って感じはした。ただ、ナチスが人を引き付けるためにこそ、組織構造を増殖させ、カオスを作っていたという話と、アイヒマンは単純に命令に従っていたわけではなく、法への忠誠を持っていたのだという話は面白かった。
次は『現代思想史入門』だが、読み切れる気がしない厚さをしてやがる。少しずつ読むと決め、決め事を守るように読むと決める。

ブログ「いらけれ」

「どういうサイトならシェアしたくなるだろうか」と、よくよく考えたところで、デザインの勉強なんてしたことがないし分からないながらも、とりあえず数日前にサイトをいじって少しスッキリさせたのは、いつもブログを読んでいる御仁ならご存知のことと思うが、これは、このサイトを改善し、私を売り出すための橋頭保としようという壮大な計画のの第一歩なのである。
しかし。サーバーとドメインの権利が切れるまでの一か月の間に、目に見える数字が出なければ、更新しないかもしれないのだが。単年でも5000円かかるからなあ……無理かなあ。

素人取材系番組はそんなに見ないのだが、たまたまテレビをつけたままにしていたりして、そこに映る素人が「周りに恵まれていた」と自身の幸せを語る場面を見てしまったとき、この世界のどこかに必ずいる"周りに恵まれなかった人"のことを考えてしまう。家族や地元に恵まれなかったがために、苦しい暮らしを強いられている、あるいは、そうした暮らしから脱するための思考や術を持たない人たちのこと。
人間への環境の影響は強すぎる。私たちはなぜお互いが、ここまで個別的な環境に引き裂かれているのだろう。差をつけないために、生まれた子どもをすべて集めて、一括して育てる施設を作るべきだ、とまでは思わないけど、神はあまりにも露骨だなとは思う。

昨日よりマシな服装で外に出た。日差しが本当に夏みたいで、10月なのにおかしいのではないだろうか。ラジオを聞きながら歩く。ずっと考え事をしていたけど、書くべきことは一つも見つからなかった。
道路沿いにあったワークマン。以前に働いていた会社が、とても洗脳に近い自己啓発を導入していたことと、資格を持っていないチョウさんがフォークリフトを運転していたことを思い出した。あの会社、今もあるんだろうか。あるんだろうな。いろいろなものが、ギリギリから少しアウトに出ていた気がするけれど。悪習は終わっていてほしいけれど。
車道がとても広くて、歩道がとても狭い道から、川沿いの道へ出た。夕暮れの空を、電線から鳥が飛んでいった。韓国料理屋のおじさんが、店の中からそれを見ていた。子どもたちが団子になってサッカーをしていた。閉まった釣具屋が、時代から取り残されていた。


BUGY CRAXONE「ふぁいとSONG」Music Video

いろいろあったのは僕もそうで、だからってへこたれるわけにはいかないのさって強がりながら、この曲を聞いて泣いた。もう毎日のように泣いている気がする。運と運命は、すべて僕たち蚊帳の外で決まるから、頑張ることくらいしかできないし、友達と語り合うことくらいしかできない。だから、予定のある今日を、楽しもうと思う。