ブログ「いらけれ」

秋が足早にやってきたようだから、衣替えをしたところ、長袖のTシャツが足りないことが分かったけど、ネット上を探してみても良い長袖Tシャツがない。僕は、もう好きなTシャツしか着ないし、そこに思想性を込めて、プロパガンダに使うことに決めたんだ。だから、それこそプロレスのTシャツとか探したけどなくて、気が付いた時には、洪申豪のレーベル「Petit Alp Records」の半袖のTシャツを買っていた!見つけたときに、買っておかないと、あらゆるものが、手に入れられなくなってしまうから!という、そういう言い訳をして。4800円でございました。2000円の靴買わなかったくせにね。

イヤホン運がない。Bluetoothのイヤホンは電源入らなくなって久しいし、有線のものも一本断線しちゃったし。それで、また「RP-HJE150」を注文した。これ、音質とか気にしない人にとっては、1000円以下で安くてそれなりで、本当に名機だと思う。
あー、ちゃんとBluetoothイヤホンの補償を頼まないとだな。やらなきゃいけないことは無限にあって、部屋も片付かないままだし。気合をいれよう。

そうそう、買ったといえば、空になったカルーアの代わりに、トップバリューのやっすいウイスキーも買ってみたんだ。味が心配だったけれど、同じくトップバリューの炭酸水で割ってみたら、ハイボール中のハイボールみたいな味だった。それはちゃんとアルコールで、ちゃんと酔った。

これらのことを書きながら、本当にダメ人間だなって思った。ダメ人間の暮らしを読んで面白いですか?いや、面白く書ける人のものは面白いんだよな、それでも。僕は、チャールズ・ブコウスキーが好きだ。

入試の点数を操作して、「不正だとは思っていなかった」と言う人がいるなんて夢にも思っていなかったので、そんなことを表明して問題ないと考える人がいるなんて想像もしていなかったことだったので、久々に面食らった。


Homecomings “Blue Hour"(Official Music Video)

オススメに出てきたニューリリース、何の気なしに開いたら日本語。もちろん驚いたけれど、しかし、言語が何であるかということは、本質ではない。心地よさに身を委ねていたら、つながりは分からないけれど、もう何年も会っていない、二度と会わないであろう人のことを思い出した。この世界のどこかで、元気にしているのだろうか。あなたは、元気にしていますか?

ブログ「いらけれ」

目的もなく歩き出して、八坂のダイエー(今は「イオンなんとかかんとか店」になっているらしい)に向かう感じになって、歩いていた並木道の先に、立ち止まって木と木の間を見つめている女性がいて、また歩き出したから見つめていたところを見てみたけれど、何もなかった。僕の方が歩くのが早くて、追い抜いたときに「何を見ていたんですか」と聞いた。

ダイエーの一階に新しくできた大きな休憩スペースに、世界一可愛い女子高生が座っている。一緒の席には、父親くらいの年齢の男性と、おじいさんが座っている。あまりにも美人だったので、その顔に見とれてしまって、こうやって見られることも日常茶飯事なのだろう、大変だなあと思うとともに、見つめてしまって申し訳ないなと思った。

二階にできたノジマは、もともと久米川駅前の西友にあったものが移転してきたものだ。そういえば移転されてしまった西友の、その跡地に何ができたのか知らないなあと思って、確かめに行くことにした。

西友の三階の半分は閉ざされている。まだ何が入るのかすら定まっていないようだった。同じ階に入っている靴屋は、元気に営業中だったが、めぼしいものはなかったので、少し歩いて東村山駅の近くの靴屋に行く。

東村山駅の近くの靴屋は東京靴流通センターというやつで、入ってみて、値札の書き方などを見て気付いたのだが、西友の中にあるのも東京靴流通センターだった。あまりに馬鹿らしかった。でも、西友にはなかった靴があって、気に入ったものがあって、それは2000円して、悩んで、2000円の靴を即決で買えない自分の経済状況が悲しくなって、逃げるように店を出た。

マンションに掲げられた、ゴミの不法投棄を注意する看板に描かれている人の、ゴミを投げるフォームが、花束を投げるバンクシーの絵の、あのフォームと少し似ていた。

施設の壁面に貼り付けられている、「東村山市民スポーツセンター」の文字に明かりが灯って、光る瞬間を目撃したんだ。誰かに伝えたいと思ったから、ツイッターに投稿した。文字が光るくらいだから、いつの間にか辺りは暗くなっていて、西の空が燃えていた。

ロックンロールで救われてるみたい 騙されたら唄うのです

『きみのせい』学園祭学園

暗い部屋で一人で、エンターテイメントに救われて、今何かを表現している人には、とても響く歌詞だ。燃えるような夕暮れを見ながらこれを聞いて、大きな川沿いの道で涙した。とりあえずこのまま走って、ナニモノカになれるような勘違いのまま、転ばないところまで行ってみようと思う。

ブログ「いらけれ」

日々の研究の結果、ポケモンGOで駅前や公園に集まる人たち(「無言の大人たちが公園の一角を占拠しているのは、子供の教育上よくない!」というのは冗談です)の、その距離感と銘々の向きが、いつも遠くから見ている、駅前などの喫煙所に集う人たちと、まったく同じであることが分かった。
ゲームでも、たばこでも同じ。同じ目的を持って集まっているわけだが、それぞれが単独で物事を行えるので、お互いを意識しつつも、お互いが関わるわけではないが、そこにいなければならないため、一つの群を形成する人々だ。
あるポイントから離れられないが、他者がいるため、近すぎないように、向き合わないように図っている彼らの、その立ち方の研究をしたら面白いんじゃないか。もうすでに、どこかで調べられているのかもしれないけれど。

WWEが、サウジアラビアで開催する予定だった大会「クラウン・ジュエル」が今、開催の危機だという。「プロレスを見れば、世界が分かる」というのが僕の持論なわけだけど、マジでサウジアラビアが、それとアメリカの関係が、こんな風になってしまうなんてなあ。それもこの時期に。別の場所でっていう説もあるみたいだけど、どうなるんでしょうか。要注目。

あるとき誰かが思ってしまった。それが風邪のように、ゆっくりとその人から伝わっていって、周りの人々を変え、果ては日本中の意識を変えてしまった。
少し前に、この保育園の前を通ったときには、大声の子どもたちと同じか、それ以上の大きさで叱る大人の声が聞こえたものだ。しかし今では、それなりに年を取った人々は、声を荒げることも、もっと言ってしまえば、ちょっぴり大きな声を出すこともない。つまり、声が大きいということが、子供っぽいというように、価値観が変わってしまったのだ。
人々がささやくようになって、怒るとしても、パントマイムのように怒るようになって、アイコンタクトのために見つめ合うようになった。誰もが近づいて、顔を寄せ合っていたけれど、だからといって、世の中がよくなるということはなかった。小声で、顔を寄せ合って、誰かの悪口を言い、悪巧みをしただけだったから。

日めくりの孤独について。いつだって、それなりに面白いつもりなのに。それなりにだぜ、それなりにだけど。でも、この世界には、それなりにも面白くないものも多いし、そもそも、書かなければ何もないのだ。だって、僕が何もしなければ、本当に何もないのですよ?いいんですか?だからさ。

ブログ「いらけれ」

わざわざここにきて、時間を使って読んでくれた人に、ありがとうってどうやって言うの?書かれていなくても、ずっと感謝しているよ。もう二度と読まない人に、もう何かを言うことはできない。だから、今のうちに感謝を。「僕らに拍手を みんなにも拍手を」@『ライフワーク』peridots

返却期限を延長したとはいえ、読まなければ読み終わらない『現代思想史入門』は、非常に面白いのだが。面白いと言いつつ500分の100ページしか読んでいないのだが。
「あなたを健康にします」という権力に対して、どのように考えるべきかという議論が、投げかけるものはとても大きい。ちょうど千葉雅也が、その関連のことをつぶやいていて、タイムリーだった。

職場で先輩が怒られていても、何も思わないようにした。一ミリも未来は見えないけれど、10年たったら、なんとかなっているだろうという、そういう楽観主義。ここは最後の場所ではないし、僕には未来があるし、なんていったって筆が、剣よりも強いペンがあるのだから。

アルバイト情報を見てイライラしながら(平日のみ週3日からという募集多すぎ。みんなそれだったら、平日は5日しかないんだから、一つのバイトで3日働いたら掛け持ちできないやんけ。採用担当者って、みんな頭弱いんですか?)、やはり街へ出て仕事を探すべきなのであるとか思って、キッチンで豆を炒っていた。ミックスナッツチャレンジ(通称:MNC)はずっと開催中で、ごま油かけたり、よく分からない中華のスパイスを買ってきてかけたり、七味をかけたり、コショウをかけたりしていたのだが、今日は!思い切って!フライパンで炒めてみることにして、ポッドキャストで「マキタスポーツ食道」を、本放送ではカットされた部分があるというので聞いていたら、納豆チャーハンの作り方を語っていて、そのなかで、またごま油の話していて笑った。マキタスポーツはごま油ラバーだなあ、などと僕もフライパンにごま油を入れていた。肝心のナッツの味は、焦げていて、脂っこくて、でも、豆があったかいだけでおいしいかった。


『恋は桃色』細野晴臣

好きな曲が結構あって、で、それを紹介できて、spotifyは便利。ありがとう、現代の文明。最初にこの曲を聞いたのは、中村一義のカバーだったなあ。「ここがどこなのかどうでもいいことさ」!僕の友達たちに聞かせたいと思ったから、僕の友達たちよ、聞いてくれ。