ブログ「いらけれ」

ここ数日サボっていたせいで、ついに誰も読まなくなってしまった……。とはいえ『「はい」と言って』とか、それなりに頑張って書いたけど……。とはいえ、それなりというのは、自分のコンディションと余裕にしてはって話で、大したことはないのかも……。僕はどうなってしまうのか……。

「文化系トークラジオLife」が放送されて、ラジオクラウドが更新されたこともあって、聞かなければならないものがイッパイだ(一回は聞いたけど、もう一回聞こうかな)。「東京ポッド許可局」と「SHIBA-HAMA ラジオ水曜日」を早く聞きたいけれど、先に消化しなければならないものもあるし。後回しになりがちな「Session-22」の今週分が聞けるのは、いつになることやら。追記:「佐藤大のプラマイゼロ」の更新されてしまった!好きな番組がある、新しいエピソードが更新される、ということは言祝ぐべきことなのだろうけれどなあ。先に聞かないといけないもののせいで聞けないと、生殺し感があるなあ。

野球の日本代表("侍J"って……)の中継を見ていて、ツイートが流れてくる画面が心底嫌だなって思った。文章って、目に入ったら読んじゃうじゃん。読む気持ちがなくても、視界に飛び込んできた瞬間に、脳が処理しちゃうじゃん。なんで知らない誰かの、大して面白くもないツイートを読まなければいけないんだっていう。ニコニコ動画のように、嫌なコメントを見なくてすむようにしたり、そもそもコメントをシャットアウトする機能を付けていても、ユーザー数が減っているというのだから、画面を作るうえで、してはいけないのことっていうのは、自明だと思うんだけど。

先日ここに書いた、400字の作文を送った企業から面接の連絡が来て、良い日だなって思う。夕日もキレイだったし。気温もちょうどよかったし。群馬土産も美味しいし(自分で食べるんかい)。履歴書のみならず、職務経歴書、作文を読んで、それでも面接をということは、それなりに可能性があるということでしょう?ちがうの?
ああ、早くステップアップしたい。早く安心したい。早く人間になりたい。こっからまた気合いを入れて、うす、頑張るっす。

基本的に、伝統しか誇るもののない日本になんて、来ない方がいいんじゃないかな。それでいて、歴史には興味がない国だから。伝統を誇って、歴史に興味がないっていうのは最悪だ。過去は美化するものではなくて、そこから学ぶものだから。

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TWICE “YES or YES" M/V

家に帰ってきて、じっくりと見た。歌い始める前に、まず語りから始めるの面白いな。こういうのって、なんか伝統があったりするのだろうか(聞いたことある気もするが)。そして、それが英語なのもグローバル対応って感じだ。あと、脇をパフパフしながら、足を外に跳ね上げるる振り付けも面白いし、かわいい。

ただ、総じてアルバム収録曲っぽいという印象(なんか聞いたことあるなあっていうか)。曲にはポテンシャルというものがあると思うわけですが、そこまでのものじゃない素材を、工夫して仕上げているって感じ。それを象徴するのが、このシンプルじゃない楽曲構成の、一番ユニークなMV3分40秒頃のパートだろう。「ブーン…」って音が、ずっと鳴っているわけだが(あと、2番?の頭も同じような音が鳴っているわけだが)、およそポップスとは思えないこの音色こそが、クリエイターの苦悩の跡(あるいは一番腕を振るったところ)なのかなと。

デビューアルバムのリード曲である「Like OOH-AHH」のYouTubeの公開日が2015年の10月19日、2016年の10月23日が「TT」、2017年の10月30日が「LIKEY」と、デビュー記念日あたりの楽曲が、彼女たちの歴史を象徴している気がしている。それも、とても分かりやすくね。

オーディション番組から出発して、見返してみると垢抜けない印象もある「Like OOH-AHH」から、アイドルグループとして成長して、「TT」で社会現象的な流行に成功して、そこから人気を確かなものにして、「LIKEY」で世界の市場も視野に入れた表現として、(個人的感想だが)一つの極に到達して、という。

じゃあ「YES or YES」がどうなのかってことは、皆様に、各々に考えてもらいたいわけだが、多分ハリウッド映画がそうであるように、アイディアが枯渇しているのは間違いないだろうと思う。やれることはやってきているわけで、ライバルグループにも色があるなかで、TWICEらしくて、かつ新しいイメージを打ち出すというのが、かなり難しいことは容易に想像できる。

それに、人々っていうのは移り気で、新しいもの好きだからさあ。新しい人、新しいグループなら、簡単にフレッシュさを獲得して、話題になることもできるだろうけどさあ。長く活動することって、やっぱりとっても大変なことなんだろうな。

日本でのリリースが、必ずしも大成功とは言えないなかで、次の活動(それは、もっと大規模な世界進出なのだろうか?)に向けて、グループとして難しいかじ取りを迫られていることは確かだ。いずれ来る終わりまで、ずっと見続ける覚悟ではいるけれど、それがいつで、どういった形で訪れるのか、またそれまでに、彼女たちのどんな姿を見られるのか、ファンとしては楽しんでいくしかないなと思う。

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仕事を早上がり(早く出社してたんだが)し、鈍行列車で2時間以上かけて群馬県の高崎へ。

到着して食料を買い込み、友達の家へ。

豪華なおつまみと酒を前に、深夜まで飲む。くだらない話をする。

ゆっくり起きてうだうだした後、天気が悪かったので、当初の紅葉狩りから予定変更。軽井沢のアウトレットへ。途中、名物の釜めしを食べる。

ショッピングをしている内に、すっかり暗くなり、イルミネーションがきれいだった。

暗い道に靄がかかっていて、恐ろしい思いをしながら引き返し、夕食を食べて、駅まで送ってもらって、特急のグリーン車で帰ってきた。精神がリフレッシュされたので、明日からまた、がんばろうと思う。

ブログ「いらけれ」

「ファンの皆様、おめでとうございます」いやね、かねがね書いてきたサイトの更新なんですけどね、とりあえずドメインの契約は一年更新されました(パチパチパチパチ)。契約時は1000円だったんですけど、更新は1500円で、なんだかずるいなあって思いながら、まあお金を払いましたよ。次の山は3月です。サーバーとの契約はそこまでなんで(なんかサービスで三か月分長い契約なんですよね)。だから、もしこのサイトがなくなるタイミングがあるとしたら、来年の3月ということです。そこを越えれば、また12月ですね。

リツイートできるのは、パッと見て分かるもの、パッと見てキレイなもの、パッと見て面白いもの……そうやって共有されることだけが良しとされて、自分が未熟で、まだ何が良いか分からないけれど素晴らしいものに向かう人もいなくなって、ここに立って私が、反旗を翻している。

大人が泣いている姿を見てしまった。昼寝から目を覚まして、喉が渇いた僕が部屋を出て、リビングを通って冷蔵庫から麦茶を取り出すだけのはずの、その間に兄が、ソファに座って電話をしながら涙を流している。とどまって話を聞くことはできなかったけれど、親しかった誰かが事故で亡くなったようだった。真っ直ぐ前を見ていた目が、こちらを見た。目が合って、心がざらついた。戸惑ってしまって、逃げるように部屋に帰る。いつか兄が、僕に話してくれるまで、僕は何も聞かないでおこうと思った。この日の夕飯の時に兄は、食卓にいなかった。

例えば、今目の前にいる誰かが、ひどい行いをしたとしよう。あなたは、その誰かを批判するだろう。それは当然なのかもしれない。でも、その誰かが狼に育てられていたとしたらどうか。その誰かは、ある意味での被害者なのではないだろうか。
こういうこと考えてしまうと、それこそ先日のデモクラシーカフェで、日本の教育はどうかという話になったけれども、日本の教育がひどいのならば、僕たちは知らないうちにひどいことをしていて、批判されてもしょうがないのかもしれない。あるいは、そういった批判すべき教育が、どこかの国で行われているとしたら、その国で教育を受けた人については、どう考えるべきか、という問題にもスライドされてしまう……。
万引き家族に育てられた僕は、万引きを当然のようにしてしまうかもしれないし、ある年齢を越えて大人になったら、すべてはその人のせいなのかもしれないし、しかし、洗脳とかあるし……。答えがあるものではないけれど、とても難しい問題があることは間違いない。