ブログ「いらけれ」

プロ野球の球団に、ルーキーが入団するというニュースが流れてくる時期に来た。プロでまだ一球も投げていないピッチャー、これから何球投げられるか分からないピッチャーに、年俸一千万円というのもすごい話だ。あと契約金。契約金って、渡すことになっているから渡している、そういう習慣になっているんだと思うんだけど、どうなんだろうね。契約時に払うんじゃなくて、退団時に、その後の生活保障金として渡すことにしたら良いのにって思う。だって、年俸はもらえるわけだし、寮だってあるわけだから。もちろん親へ渡したり、世話になった人に渡したりとか、新しい暮らしの準備にお金がかかることもあるだろうから全部じゃなくてもいいけど、一軍で活躍できずに引退する選手が大半わけだし、セカンドキャリアで失敗する人も少なくないと聞くからさ、退団後にお金が必要になることの方が多いと思うんだけどなあ。まあ、勝手な意見だけどさ。

大火事の夢を見た。もう何年も会っていない馬鹿な友人と、見たことのない気味の悪い大男と話していた。ふざけた友人はガソリンを、校舎の中に設えられた大きなゴミ捨てボックスの中に撒いた、そうしたら途端に煙が上がって、一瞬のうちにゴミが燃える。友人は「やっちまった」とつぶやいて、僕は走って、廊下に面した部屋のいろんな窓を叩いて、火事だと叫ぶ。焦ったように人が、わらわらと飛び出してくる。パニックを抜けて、とにかく下の方の階を一回りして外に出ると、すでに30階くらいあるビルは、ぼうぼうと燃えていて、上層階には、たくさんの人が取り残されているようだった。隣に立っていた落語家が、弟弟子の名前を大声で呼んでいるところで目が覚めた。夢だから辻褄が合ってないのに、夢の中ではそれと気付かないもので、建物が上に伸びて以降、火事の質は横から縦に変わったのではないだろうか。起きて、本当に夢で良かったと思った。


毛玉 – 雨降りの午後に珈琲を(2019年1月9日発売『まちのあかり』より)

毛玉の新しいアルバムが来年の1月に発売されると聞いて、とても嬉しくなって、モヤモヤとしていた気持ちが晴れた。「適切な言葉なんて見つからないよ」でも書いた通り、CD発売を待っていたから。彼らの「生活から生成された」ような音楽が、聞けることが嬉しい。予約しないとな。

※キム・ダヒョンがどういう人間かを語るのならば、「VLIVE」の雑談配信を見るなどしてから出直してくれと思う。本当に怒っているよ、僕は。

ブログ「いらけれ」

承前)それでどうなったかという、なによりもまず優先すべき重要なことを書いていなかった。速攻で電話が来て、まさかの二次面接のお誘いという。えええ。しかも、それを快諾してしまうという。ええええええ。さらには楽天で、その会社の書籍を購入してしまうという(もうお前はダメだよ)。
断るつもりだったし、断ろうとも思ったのだけれど、電話で面接に来てと言われたら、よく分からない内に「はい」と言っていたし、よく分からない内に本も買っていた。本当に自分がよく分からない。というか、受かったら入社するのか?それも分からない。交通費だってかかるのに、なぜまた嫌な思いをしにいくの?それも分からない。自分が馬鹿すぎてもう、どうしようもない。(END)

早くも六時半には夕食を済ませた僕は、久しぶりに、この時間に散歩に出かける。ドアを開けると、冷たい空気を顔で感じた。ゆっくりと巨大な墓地へと向かう。頭の中は、煩わしいことばかりで占められている。これからどうなるのだろうか。夜空には、星と三日月が煌々と輝く。墓地の入り口。階段を上ると、明かりの無い道はもう真っ暗になっていて、ああ、この季節が来たんだなと思う。僕が一番好きな季節が。墓地の外の、家々の明かりと、たびたび通過する電車と、すれ違った一台の自転車のライトだけが光で、それ以外は闇だった。その数十分だけ心が落ち着いて、人が死んだら埋まる場所で、僕は生き返った。生き返ったところで、人生は真っ暗で、今度は本当に生き返ることのない死を、と思う。

ちょ、ちょっとー、来週の金曜日まで、アンケートやイベントや面接や仕事で予定が埋まってしまっているじゃないすかあー。あー、借りた本一行も読んでないし、買った本も一行も読んでないし、ブログのストックはないし、お金もないしー。あー誰か、時間とお金のどちらかとは言いません、その両方をください。


The Magic Gang – Getting Along (Reading + Leeds 2018)

それで、あまりにもストレスっていうんですか?それがヒドイので、これを一緒に歌っている(適当な歌詞で。ざあどわなふぉーるあすりーぷ)。この動画を見るまで、この曲がこんなに盛り上がれて、こんなに歌える曲だと思っていなかったよ。歌える曲だと思うようになってからは、もうどこでも、かかると道でも、踊り歌ってしまうよ。みんなも、これで踊って、歌いましょう。

ブログ「いらけれ」

これはフィクションだから、とある出版社の面接を受けるために裏新宿へ(そんな土地はない)、「東京ポッド許可局」の焼肉イップス論を聞きながら、朝から電車に揺られて向かう。正解が分からないときに、自分で正解を探してカスタマイズしていく、それが楽しいというのと、自分が知らないのならば、詳しい誰かに任せればいいというのは、思想の違いだよなあと思いながら聞いていた。

とても寒い街を歩いて、面接の30分前には会社のビルに着いた。隣のコンビニに入ったりして、時間を潰した。そうこうしている内に直前になったので、緊張を抑えるために、聞くものを音楽に変える。いわゆる「applemusicランダム再生占い」をしてみたところ、一発目にかかったのがSufjan Stevens「No Man’s Land」だったのだけれど、これがどういう未来を示しているのかはよく分からなかった。

漢字のテストができなかった(もう手書きなんてできないよ……)のはしょうがないとしても、面接はひどいものだった。なんであんなに偉そうなのだろうか、そして名乗りもしなかったし。そうしてマナーを欠いていながら、一冊ぐらいは自社の本を読んでくるのが当たり前だろうとか、本当に意味不明だ。あと、徹夜があることと残業代がでないことを誇らしげに言うのもやめてほしい。それに見合う年俸は出るというけれど、実際の金額は教えてくれないし。「稼ぐだけならこの仕事を選ぶ必要はない」「出版はそういう情熱で支えられている業界」とか言うけど、だったらそんなものなくした方がいいんじゃないでしょうか。だって、「本を売る」というシステムが、商売として成り立っていないということじゃないですか。人が無理をして、誰かが損をして、なんとか生き長らえているだけなら馬鹿馬鹿しい。一方で、年俸がそれなりであることの説明として「最底辺の給料でこき使われているようでは良い本は作れない」とも言っていて、矛盾!ってなった。

もう社会が無理だという思いで、その辺りをぶらつく。大きな道路から一本入ると、意外と古い一軒家が残っていて楽しい。縦に塗りつぶされてしまった時間の層が、筋に残存しているようだった。ただ、その裏道の先でも新しいマンションの工事をしているようだったから、いつまでも残っているものではないのだろうなと思う。最寄りの駅から帰るのではなく、一駅歩いて帰ろうと思い、スマホで地図を見ていたら、車に轢かれそうになった(歩きスマホは危ないですね、やめましょう)。少しだけ、轢かれたかった。とにかく地球が嫌だった。僕はもう、宇宙に移住するしかない。

ブログ「いらけれ」

「10月14日の思い出」で予告したように、今月も「渋谷らくご」に行ってまいりました。毎月、生で落語を見る(聞く)というのは、やっぱり良い習慣だし、続けていけたらなと思う。音源で聞くのとは、体験として段違いだしね。

そんで、今月も開演前の腹ごしらえで「松濤カフェ」に行って、サイズを間違えるというミスを犯すという。コスパが良い方に詐欺という、今時なかなかない店だよなー。味は間違いないしなー。リニューアルするという情報もあるけど、どうなるんだろう。渋谷に行ったら、また食べに行きたいなー。

お腹パンパン&ギリギリで、空いていた席に着いて、終演後のトークまで楽しんできました。

こしら師匠。シバハマラジオ裏話から、ウーバーイーツに登録する話まで、枕から飛ばす飛ばす。演目も「火焔太鼓」ってなってるけど、俺の知っている「火焔太鼓」じゃない!(後に高座に上がった全員からいじられていた)。お殿様の前に太鼓を持っていかなかったからね笑。とにかく爆笑爆笑で、今日の公演の勝利を確信した。

市童さん。面白くも怖くもあり、一方で情景、一方で人間の業を描写する「夢金」。めちゃくちゃ良かった。淀みのない口跡で、それまでとは一転、江戸の冬へ連れていかれた。かじかむ指で、ほっかむりを外すその仕草よ!これぞ落語って感じだった(こしら師匠のそれが、落語じゃないってことじゃないぞ☆)。
なお、市童さんが公演後に、「マークシティの中で僕ぐらいの歳の男二人組がシブラクの感想を言っているのをちょっと盗み聞きしました」ってツイートしていたけど、それ私たちなのでは……と私たちの中で話題に。客の目線から、偉そうに批評するようなことを言っていた気がして、私たちなら申し訳ないなと思った。

小痴楽さん。こちらも枕から爆笑爆笑。話があっちに飛び、こっちに行きと天衣無縫。それでいて、どんな話か分からなくなるってことがないのがすごいよなあ。小痴楽さんが話せば、どんなエピソードも、どんな落語も面白く料理されてしまう。しかし若いのに、テクノロジーに関してはこしら師匠との差がすごくて、おじいちゃんみたいだなって思ったw

馬石師匠。「井戸の茶碗」ってこんなに面白い話だったっけ?というほど、最高級の高座だった。タツオさんもアフタートークで話していたけど、元の落語にある、今の時代からすると疑問に感じてしまう部分はカットされ、すっと胸に入るものに仕立て上げられている。同じ時代に生きていて良かった。

ということで今月は、4周年記念本も手に入れられたし、大勝利したのだった。連れて行った友人も、喜んでくれていたようだった。来月は「しゃべっちゃいなよ」の年間大賞を決める回に行く(すでに予約済みだ)。毎年外れないから、今年も面白いだろう。今から楽しみだ。