ブログ「いらけれ」

それでだから、18日火曜日の渋谷らくご「しゃべっちゃいなよ」にも行っているはずですが、その感想はまたいずれ。忙しいということではないけれど、やらなければならないことが多いのでね。書き溜めさせてください。

デモクラカフェに行く道すがらは、『粋な夜電波』の4H(ホーリー・ヒップホップ・アワー)を聞いていた。OMSBさんが映画に出て、銃で撃たれて死ぬ役をやったときのエピソードに対する、萌さんの「死んだんや~」というリアクションで爆笑した。好きな企画だったし、トークも面白かったから、終わるのが寂しい。

自分の肩書きを「ライター」として紹介するたび、間違ってはいないものの、書いているものを思い、恥ずかしい気持ちになる。物書きを名乗れるほど、ちゃんとしたものを書いているわけではないから。いずれ、自信を持って文章を書くことを生業にしているって、胸を張って言えるようになりたい。究極の目標は単著を出すことだかんね。

とか言いつつ、仕事を辞めることばかり考えている僕。辞めて、自由の身になったら、自由な時間に、どんなことができるだろうと夢想する。廃棄するほど食べ物があるのなら、問題になるほど空き家があるのなら、それらを僕にくれないか。生活の、暮らしの不安が僕らになければ、各々が自由に歌い踊り、詩と絵を書いて、相当にすごいことになるだろう。

なんて書きつつ、11時ぐらいまで寝てしまう僕。今の、ぼんやりしている時間すべてを使って、読んだり書いたりしていきたい。成長したいとか、そういうことではない。ただ、楽しみたいことがあるのに、なんか過去の生活習慣を引きずっているだけだ。今日こそ変わるぞって、毎日思ってる。

完全なレンタル落ち品だったけど、『透明雑誌FOREVER』が届いた、TSUTAYAの上小田井店から。愛知県らしい。ジャケットに貼られたシールによれば「J-ロック/パンク」ってジャンル分けされていたらしいけど、Jではないよ。とりあえず、また聞けるようになってよかった。対訳も付いてたし。ずっと大事にしようと思う。

ああ、ただのブログになってしまった。まるで、本当の日記のように。まあ、毎日頑張っていきますよ。ASUKAがチャンピオンになったことだし(関係あるのか?)。「ベルトは取るやろと」って、JスポーツのCMで言っていたのが、まさか現実になるとはなあ。すげえや。自分も夢を見ようって、元気がでるなあ。僕らの青春は、これからもずっと続くのだから、頑張ろう。


透明雜誌 – 透明雜誌FOREVER (OFFICIAL VIDEO)

思いきって飛び出そうぜ
全世界をぶっ飛ばしに行こう
その後僕らは全身に傷を負って
お互いに寄り添って眠ろう

ブログ「いらけれ」

12月も「デモクラシーCafe@東村山」に参加させていただきました。(会のブログはこちら。僕のひどい顔も結構映り込んでいるので、興味のある方は見てみてね☆)陽の光の当たるところは暖かかったけれど、とても寒い日でしたなあ。しかし、「四季の花」はとてもいい場所で、気持ちのいい環境のなかで、お話しすることができました。

今回は、人気があったそうで、座席の関係上断った方もいたとのことで、一席埋めてしまうことは、若干申し訳ない気もしていて。人気の映画や演芸でもそうだけど、自分がそれを楽しいと思う、だから参加したいと思っても、それによって、新しくそこに参加できたかもしれない誰かの、可能性を奪うのだということは、常に考えてしまうテーマではあって。まあ、考えすぎなのかもしれないですが。

それで、ブックカフェということで、上記のブログに載っている本の一覧を見ていただければ(そして、いつもこのブログを読んでくださっている方ならば!)、お分かりかと思いますが、あの本を紹介しました。しかーし、あまりに上手く喋れなくて、とてもガッカリしました、自分に。人前で、それなりに話せるようになるというのは、来年のテーマですね。参加されている方のなかには、とても紹介が上手な方もいて、聞くだけで「読んでみたい!」と思うようなお話しもあって。

ちなみにですが、一番読んでみたくなったのは、『ゲイルズバーグの春を愛す』でした。自分の興味関心と、重なるようなテーマが、描かれている小説なのではと思えたので。実際に、買って読んでみようと思います。そうやって人生を動かしていくことだけが、豊かな生活を作っていくと思うので。

だって、ヘロデ主義とゼロータイ主義の話もできなかったんですよ?前日の深夜に、「明日どう話そうかな~」と、考えていたことの半分も伝えられませんでした。別の本も持って行っていたので、そちらにすればよかったかなあ、と後悔するところもあり……。もし、またブックカフェの企画があればリベンジできればと思いますし、そのためにも、もっと本を読めればなあと思います。

それで、会の後には懇親会へ。みんなお話しすきだなあ(自分もその一人ですが笑)。20時半くらいまで、やってたんじゃないかなあ。ずっと話してた。会よりも、終わった後の方が盛り上がるというのは、あるあるですね。

で、そこでも話したんですけど、本当は、自分が言いたいことを言えなくても、自分が上手く話せるかどうかということよりも、さまざまな人と出会って、対話を交わすなかで、自分の心に、考えたことのなかったなにかや、思ってもみなかったなにかが生まれて、それを持ち帰れるということが、この会の素晴らしいところなのではないかと思うんです。だから、会が終わっても、もっと話したい!となると思うんですよね。

いろいろな方の人となりを知ることができましたし、親交を持つこともできたので、それも嬉しかったです。この会に参加するようになったことが、自分のなかで今年一番の収穫だったのかなと。来年も、継続して参加させていただくとともに、「自分でも会を開けないないかなあ」と、ぼんやりと思うようになったので、そちらの方も学んでいけたらなと思います。ともかく、今年はこれで終わり!また来年、よいお年をといって別れたのでした。

ブログ「いらけれ」

僕はおそらく、先の日曜日に哲学カフェに行っているはずだが、諸事情あってブログを書き溜めておかなければならないので、その報告は、もう少し待って、って誰に言っているのだろうか。

Amazonベーシックのマウスが届いたから、さっそく使っている。これ、今年のベストバイかもしれない。サイズも動きもちょうどいいのに、たったの600円だったわけだから。近所の家電量販店で1000円の買うのよりはよっぽど。しかし、どうしても安い、使えるってなると、そちらを頼ってしまうので、アマゾン帝国の侵略に逆らうことはできないなと思う。目先の便利には弊害もあって、長い目で見たら悪かもしれないとしても、強い意志でもって、それをやめることなんて……できるだろうか?これはつまり、社会的な問題すべてに言えることなのではないか?と。殊勝なこと言っていても、低賃金で働いている人のおかげで、低価格を実現している服や食を、ためらうこともない買っていたりしてね。

applemusicを開いたら、透明雑誌『透明雑誌FOREVER』が聞けなくなっていてビックリ。ダウンロードしていたはずのファイルも消えていて、さらにビックリ。これ、端末まで管理者が手を突っ込んで、任意に消せるってことだよね?ヤバいなあ。配信系のサービスはこれがあるから信用できないよね、という"これ"に似た経験を前にしたのは、大人の配信サービスなので詳しくは書かないけれど。CDなりDVDなりとは、やはり大きな違いがあって、やっぱりできるかぎりCDとかで持っていた方がいいのかなあ、と思わなくはない。あるいは、提供者側に消されない形で、こちらで保存しておける聞き放題系のサービスを選ぶか(って、そんなのあるのかなあ)。とりあえず、光速で『透明雑誌FOREVER』の中古をアマゾンで注文したけど、まず一つは、ちゃんとしたブツが届くのかという問題、二つ目は、そんなお金使ってあんた大丈夫?という問題があり、それらに関してはノーコメントで、次の質問をどうぞ。

自分がどうとか、もっとこうとか、もういいかなと思った。始めてみて、ここまでやってきて、これ以上は無理だろうことが分かった。ツイッターとか見てると、僕より勉強してて、上手に表現してる若い人がどんどん出てくるし。いつまで、一人称僕とか言ってるんだというのもあるしね。これはとても残念なことで、だから基本的には、いつも死にたいなあと思っています。


TWICE “The Best Thing I Ever Did(올해 제일 잘한 일)" M/V

やべ、マジで普通に見逃していた……。聞いてみたら、音楽的には結構、面白いと思うところもあったんだけど。逆に?拡散しなさそうな、キャッチーじゃない、こっちの路線もアリだよなーと。しかし、またメンバー勢ぞろいで映画見てる……。このネタ被りは、狙いなのだろうか。見たことのない、新しいイメージを見せてもらいたいものだけどなあ、来年は。

ブログ「いらけれ」

ソフト発売から結構時間がたったからなのか、ウイニングイレブン2019の一部のモードが無料でプレイできる「Lite」という太っ腹なコンテンツの配信がスタートしていたから、喜び勇んでダウンロードして、落とすまでの長い待ち時間に遊べるエキシビションマッチを、少しだけ触る。少しといっても三試合ぐらいはやった。
いつも、ウイニングイレブンの新しいタイトルを遊ぶと、それまでの選手の動きや、画面の雰囲気に慣れさせられているから、かなり違和感を覚えることになる。プレイする上で、特に影響が大きいのが操作感で、タイトルごとにパスやドリブル、相手選手の動きも、相当違うように感じるから、攻めるにも守るにも、上手くこなせるようになるまで時間がかかる。さきほど話題にしたエキシビションマッチを例に出せば、分かりやすいと思うのだが、初戦は80分にやっと先制して1-0で勝ち、二戦目は2-0で勝ち、三戦目になると感覚を掴みだして4-0で勝てた。
傍から見ている人にしてみれば、テレビに映し出されているそれは、それまでのものと大して変わらないのかもしれない。しかし、プレイヤーには確実に違和感があり、このように小さな違いに違和感を持てるということが、そのゲームに習熟していることの証拠なのだろうと思う。
例えば将棋には、「金銀逆形」という言葉がある。これは、王様の守りや囲い、自陣への配置が、文字通り「逆」ということなのだが、逆もなにも、別に王様の守り方や自陣への駒の組み方に、これといった決まりがあるわけではない。しかし、経験を積み重ねた先人たちによって、導き出された原則というものがあり、例外はあれど、だいたいこのような陣形を組むべきだというセオリーが存在している。攻められにくさや隙の少なさという面において、確かに基本とされている形は優れていて、セオリーを無視し、基本形の金と銀が逆になった陣形を組んでしまうと、劣勢に陥りやすいのだ。この「逆」の感覚は、将棋を知らない人や初心者には分からないもので、対局や勉強を重ねていく内に、いつの間にか違和感を覚えるようになっていくのである。
なにが言いたかったのか忘れてしまったというか、そもそも、なにかが言いたかったわけではない。私のことを、私が分析するにおそらく、どんなゲームであれ、一つゲームに精通するということは、無限に細かくなっていくことだ、ということだろうか。だろうか?ともかく、そんなことを、今日は考えた。